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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

偏移雨

作者: 矢田野 烏
掲載日:2026/05/07

ぷかぷかと、ザーザーと、ぴちぴちと、ジャージャーと

窓の外では雨が昇る。

重力に逆らいながら雨は昇る。

ついさっきまで地面に染み込んでいた水が、

カセットテープを逆再生したように雲に戻っていく。

10月になり偏移雨が昇る、ひどく苦しい片頭痛のような重くるしい季節になった。

部屋にある古ぼけたブラウン管テレビには国営放送で、

今回の偏移雨による神隠しや変異の恐れは極めて少ないが不要不急の外出は控えてくださいという旨のニュースが流れていた。

ルームメイトが朝食にと用意していた切り分けられた質素なパンとコーヒーを手に持ち、テレビの前を陣取った。

偏移雨の影響で半日になった学校のことを考えながらパンをかじると、

つややかな薄茶色の毛並みを持つかわいらしい我が家の小さな同居人であるモイが

物欲しそうにパンを見つめていた。

モイには申し訳ないが、このパンを渡してしまったらおれは空腹のまま午後学校に行かなくてはならなくては行けなくなってしまう。

急いで手に持っている強欲にも口の中の水分をすべて奪っていくパンを口に詰め込み、コーヒーを流し込んだ。

飲み込むときにむせこみ吐き出しそうになったが、何とか胃の中に流すこむことに成功した。

それを見ていたモイは少し悲しそうな表情をしていたが、頭をなでると機嫌が直ったようで嬉しそうにかわいらしい鳴き声を聞かせてくれた。

台所に向かいモイの餌を取り出すと、モイは希望に満ちた目でこちらを見てくる。

モイと書かれた餌台に餌を出すと、飛びつくような勢いで餌にがっつき始めた。

自分の元居た場所に戻るためにソファーに向かうと、ルームメイトがソファーに身を沈めながらテレビを見ながら間の抜けた声で話しかけてきた。

「半日かぁ暇だなー。なぁお前、何か面白い話知らない?」

そいつをソファーの中心からずらし隣に座った。

何かあったか記憶を逆行していく中であることをふと思い出した。

それは霧がかかっているような、ほの暗く薄いベールに包まれている。

まるで自分じゃないような。

あの日は猛暑日だった気がする。

太陽がギラギラ銀色に地上を照らし、体が溶けてしまいそうなほどだっただった。

確か友達何人かと川に向かったんだ。

健司だったかあいつの名は。

もう記憶も曖昧だが、確かその日の朝は快晴だった。

予報でも一日中晴れだといっていた。

だが、夏の天気は変わりやすい。

いや、あれを天気といっていいのかはわからないが。

まぁ慌てたね。

親からは偏移雨の恐ろしさはこれでもかってほど聞かされていたし、

小学生にもなると学校で必ず教わる。

いつもは窓の中から見ていただけだし、

大きな偏移雨であっても親が守ってくれた。

子供だからか、

いや、大人でもか。

みんな訳も分からず走ったさ。

家まで半分ほど走った時、誰かが言った。

「あれ、誰かいなくない?」

みんな雨からだいぶ離れたからか、ある程度の落ち着きを取り戻していた。

みんなで誰も欠けていないか確認しあったが、誰もいなくなってはいなかった。

ただ、初めに言いだしたやつはものすごく慌てていた。

「あいつ、雨にのまれたんだ!おれ見てくる!!」

そうして彼は今しがた命からがら逃げてきた場所に向かうためにみんなに背を向けた。

子供ながら無謀なことだとはわかっていた。

第一、みんな無事に逃げ切れたのだから戻る必要なんてないのに。

きっと気がくるってしまったのだろう。

説得を全く聞いてはくれないし、ただ彼を一人で行かせるわけにはいかないから僕がついていくことにした。

正直僕は、あの中がどうなっているのか興味があったのも理由ではあるが。

今思うと、あの時彼を置いてみんなで逃げ出したほうが幸せだったのかもしれない。

まあ、過去のことをどうこう言うことはできないからね。

僕と彼は道を逆走し雨の境目まで難なくたどり着くことができた。

逃げていた時はそんな余裕はなかったから、まじまじと雨の中を見ることはなかった。

ちょうど雨が昇っている場所との境目はまるでカーテンのようにこちらとあちらを隔てている。

さすがに彼も怖気ついたのか、なかなか進もうとしなかったが、覚悟を決めその非現実的でとても恐ろしく神秘的な場所に足を踏み入れた。

ああ、そうだった!彼の名前は道弘だ!

ようやく思い出したよ。

道弘かぁ、懐かしいな。なんで忘れていたんだろう?

まぁいいか。

それから、雨の中を進む中で僕は道弘に聞いたんだ。

「なんで、戻るの?みんなで逃げてきたじゃん」

「お前、ほんとに忘れたのか?」

彼は少し寂しげに僕の質問に返してきた。

僕はもちろんと答えた。

「多分俺が最後に話してたから覚えてるんだ。もしかしたら変異に襲われてしまったか、神隠しにあったか。まだ助かるかもしれねぇ。もう少し急ぐぞ。」

そう彼は言い、黙々とただし、急ぎながらもといた場所へと伸びている道をたどる。

そんな時道弘は急に止まった。

もちろん僕は彼の後ろをぴったりとついていったわけだから、僕の鼻先が彼の同級生にしては大きな背中と衝突した。

「健司!」

彼の目線の先には人型の、背丈も僕らと同じくらいの、影があった。

影があった、

「おい!戻るぞ!!」

急な怒声が僕の耳を貫いた。

彼はそう言うと同時に、影とは逆方向にがむしゃらに走り出した。

道弘が見たのは影であった。

それ以上でもそれ以下でもない。

多分あれが、健司だったのだろう。

ただ、その健司だったものは動く気配はなかった。

その後ろに、全身ぬらりとしたうろこに覆われた体で、図鑑で見たことのある深海魚のような顔をつけた化け物がいた。

おそらく恥ずかしことに僕は漏らしていただろう。

不幸中の幸いなことに、今は雨であるのと、そんなことを気にしている時間はない。

先に走っていった道弘に追いつくため、泥をかぶり、鼻水をたらし、涙と雨で前が見えない中ひたすらに走った。

僕たちの後ろにはあの化け物が恐ろしいほどの鼻息を立てながら近づいてくる。

ただ化け物はそこまで早くはなかった。子供の足でも十分に巻けるほどに遅かった。

このまま走れば、雨を抜けることができて、家に帰れて、風呂に入り、パパと遊び、ママ腕の中で寝て、今日会ったことは悪い夢だったと忘れることができただろう。

ただし現実はそう甘くなかった。子供にだって容赦はない。

僕は転んだ。

雨で滑りやすくなっていたからかもしないし、足がほつれたのかもしれない。

ただ転んだ。盛大に。大きく。大胆に。悲惨に。

ああ、終わりだ。

死ぬんだな。来なければよかった。ついていかなければよかった。

いろいろな思いが交差する中、一つの声が耳に届いた。

「早く立て!追いつかれるぞ!」

道弘だ。

そうだ、まだ逃げきれる。

そう考え立ち上がった、走り出す、いち早く遠くへ、逃げるために。

走り出そうとしたとき、無慈悲な痛みが小さな背中を襲う。

この短い人生で過去一だった。

何が何だかわからなかった。あいつはまだ遠い。じゃあ何が?

訳も分からず混乱していると、何かが僕の体を持ち上げた。

子供とはいえ、人を軽々と持ち上げるとはどんな化け物なのだろう。

そいつは僕の顔を深々と覗き込んでくる。

穴という穴から冷汗を噴出した。

顔はなく、その代わりに深々とした穴がある。

ただその穴の先などなく、いつか観たSF映画に出てきたブラックホールのような吸引力を持って僕から何かを吸い出していく。

血が多く流れたからか、何かを吸われたからか。

意識が遠のいていく中で軽い打撃音が聞こえてくる。

道弘だ、道弘が戦っているのだろう。

勝てるわけがない。

「に、、げ、て」

ああ、まだやりたいことがあったのにな。

そお心の中で呟きながら眠りに落ちていった。


あぁ!俺は馬鹿か!

どうして戻ってしまったんだ!

後悔ばかりが頭の中で叫びこだまする。

あいつの手にはまだ蒼汰がいる。

足元に落ちている木の棒を持ち、あいつに向かって殴りかかる。

足元はぬかるみ、滑って転びそうになるのを何とか持ちこたえ

わずかばかりの勇気をもってあいつの腕を殴打した。

自分の持てる力を最大限込めた一撃をくらわしたが、

悲しいことに子供の腕力じゃ有効打を与えることなど到底できやしない。

にゅるり

あいつがこちらをみる。

みえているのだろうか。

その顔面には空洞がある。

ああ、おわった。

蒼汰を投げ、こちらに向かってくる。

手を大きく振り上げる。

振り下ろす。

この単純な動作で一人の子供を殺すには十分な力があった。

頭、顔、喉、胸、股

あいつの手が俺の体を通りぬける。

痛みは一瞬だった。

初めて自分の目で自分の顔を生でみた。

蒼汰は生きているのだろうか。

みんなは帰れたのだろうか。

どうしようもない眠気が体を包む。

あぁ、母ちゃんに怒られちまう。


目を覚ますと病院のベッドの上にいた。

悪い夢を見た。

体は冷や汗でびっしょりになり、まるで雨の中を突っ立ていたようだ。

周りには大勢大人が立っている。

大人たちは真っ白の防護服を着て、それまた防護服と同じ色の正方形の機械を手に持っている。

機械から伸びている透明の細い管の先についている丸い吸盤が、夢の中で真っ二つにされた自分の薄い胸に張り付いている。

体は動く。

横を振り向くと無機質な白い部屋の一面につけられたガラスが目に映った。

そこに映っている顔は夢の中で何度も見たものだ。

大人は俺が目を覚ましたことに気が付く。

「気が付いたかい、安藤蒼汰君」


この後のことは鮮明に覚えてる。

カウンセリングや検査を何回かしたら、ある博士が教えてくれた。

まず一つ、あの出来事は夢ではない。

二つ目に、消えた子は健司ということ。

そして最後に、僕は変異したということ。

変異といっても雨の中で見た化け物のように、魂と肉体のすべてが変わったわけではなく、

中身

つまり魂だけ変異したそうだ。

君とは逆だね。

ルームメイトが自身の毛深く手入れの行き届いたしっぽに手を伸ばしながら、

ほんの少し怒りを含む視線を俺に向けてくる。

俺はそれに築きながらも無視して話し続ける。

今のぼくのからだは安藤蒼汰のものだが、意識の半分は道弘のもの。

多分あの時の化け物が吸っていたものは蒼汰の魂なのだろう。

きっと道弘の肉体からあふれ出た魂が隙間の空いた蒼汰の中に入ったのだろう。

自我は混ざり

記憶も混ざり

魂も混ざり

そして今の俺がいるわけさ。

話し終わると同時に、つけっぱなしだったテレビからお昼を告げる時報が流れる。

窓の外を見ると雨も止んでいる。

二人はソファーから身を持ち上げ、各々準備に向かう。

10月の短い日差しが頂点に立ち地上を照らしている。

手識別番号の書かれたパスキーを手首にはめ、投稿用のバスに乗り込み学校に向かっていく。

補足

・偏移雨

決まった時期限定ではないが、主に10月に集中して起きる超常現象。現在この世界ではオカルト研究会が予報観測を行い、国営放送による避難宣言等を出している。

・変異

偏移雨の中の低いな空間安定値により起こる肉体、精神が変形した生命体のこと。

・神隠し

偏移雨の中の空間安定値が著しいく低下したときにおこる現象。その場にある無機質、有機物が一瞬にして消える現象。まれに、「規制済み」

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