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限界OL、前世で私を殺した最強の大魔法使いに執着されてます。~生き残るためと言い張って毎晩溺愛してくるお陰で完全復活~  作者: カクナノゾミ


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第5話:会社から帰ったら――

 その日の仕事は、輪をかけて地獄だった。


 午前九時。席に着くなり、上司の黒田が私のデスクに修正指示の山を叩きつけた。


「小松さあ、この見積もりって、先方の要望って全部反映してる?」


 その声のトーンを聞いた瞬間、胃が縮んだ。「先方の要望、変わったんで。全部やり直し」


 午前中いっぱいかけて作った資料を、黒田はゴミ箱に向かって紙飛行機にして投げた。

 ……いや、実際にはしていない。Slackでのやり取りだ。だが私の心の中の映像は完全にそうだった。


 変わったのはクライアントの要望ではなく、黒田の気分だということは、もう誰も指摘しない。

 かつて指摘した先輩は、半年後に「自主退職」した。この会社では、黒田に逆らう者から順番に消えていく。


 昼食を取る暇もなく、デスクにかじりつく。

 横で佐藤さんが「大変だね」と小声で囁いたが、すぐに目を逸らした。佐藤さんを責める気にはなれない。私もかつて、同じことをしていたから。


「……お腹すいたな」


 小さく呟いた声は、キーボードを叩く音にかき消された。


 そのとき、ふっと前世の記憶が浮かんだ。


 カレンシュとして生きていた頃も、過酷だった。

 夜を徹して政務書類と格闘したことは何度もある。王家と聖教会と魔術院の三つ巴の思惑を読みながら、一字一句ミスのない外交文書を書き上げた夜は、夜明けの鐘が鳴るまで羽ペンを置けなかった。

 敵対派閥が仕掛けた罠を、証拠もないまま十五分で看破して、無表情で応対した朝もあった。

 宮廷の廊下で、にっこり微笑みながらすれ違う侯爵夫人が、前の晩に自分の暗殺を依頼したことを知りながら、完璧な礼で挨拶を返した夕もあった。


 あれは確かに、凄絶な日々だった。

 でも前世でどれほど消耗しても、少なくとも――意味があった。

 誰かを守りたかった。王国の均衡を守りたかった。

 全部砕かれたとしても、自分には守りたいものがあった。


 なのに今日、私は何のために、あの蛍光灯の下で何時間を潰しているのだろう。

 黒田の気分のために。

 前世でお会いした賢者――エリオットの師でもあった、あの白髪の老人は、こう言っていた。


 「人は不当な苦しみには耐えられる。しかし無意味な苦しみには、誰も長くは持たぬ」


 そういうことか、と、今になって骨身に染みてわかる。


「小松! これ今日中な」


 黒田の声に、現実に引き戻される。

 「はい」と返事をしながら、私は心の中のどこか遠いところで、あの老人の言葉を繰り返した。


 § § §


 深夜零時。

 終電に滑り込み、最寄り駅から暗い住宅街をとぼとぼと歩く。

 三月の夜風はまだ冷たく、コートの隙間から容赦なく忍び込んでくる。


 お腹が鳴った。最後に口にしたのは、朝に飲んだ缶コーヒーだ。


 疲れた。

 ただ、ひたすらに疲れた。


 会社を出てから、ずっと考えている。


 家に帰ったら、あのいけすかないイケメンがいる。

 前世で私を処刑した、超絶美形の大魔法使いが。

 にこりともせず「おかえりなさい、カレンシュ」などと言って(加齢臭言うな)、待っているのだろう。


 ああ、帰りたくない。

 本当に帰りたくない。


 そもそも帰る場所が、救いがない。

 駅から徒歩十二分。壁が薄くて隣の生活音が筒抜けの、築三十年のアパート。玄関ドアの蝶番は二年前から軋んでいる。直し方がわからないし、直す気力もない。

 六畳一間に押し込んだ荷物の山。積み上げたコンビニ弁当のゴミと、洗い忘れたカップの群れ。「いつか片付けよう」が、三年間続いている。

 前世で暮らしていたハーゲン公爵邸の犬小屋ですら、あの部屋より広かった気がする。犬小屋ですら、だ。


 そこへ更に、前世のトラウマ製造機が鎮座しているのだ。

 あの超絶美形の大魔法使いが。

 しかも顔がいい。理不尽に顔がよすぎる。疲れて神経が薄くなってる深夜に、あの顔面と密室で対峙するのは、イケメンアレルギー持ちには拷問に等しい。


 第一、あいつはいきなり魔法陣で部屋に降臨してきたかと思ったら「消えそうだからキスしてくれ」とか言い出すし、ルンバに命を脅かされて気絶するし、気づいたら私のゴミ屋敷で丸一日ぐっすり眠ってるし。

 経緯を説明されても意味不明すぎて、まだ全然納得できていない。


 しかも今朝。

 出勤しようとした私に、あいつが「行ってらっしゃい、カレンシュ」って言ってきたやつ。

 思わずしかめっ面で「……奈々!!!」と訂正したのに、あの完璧超人は不器用な、ひどく人間くさい顔をして見せた。


 ……なんか不意打ちだったので、うっかり「行ってきます」って返してしまったのが、今も地味に尾を引いている。完全に飼い慣らされてる人の反応だ。私の口は何をしているんだ。


 あと向こうは絶対に「ナナ」って呼ばないし、絶対に「(完全無視)カレンシュ」って言ってくる。

 あれが一番腹立つ。毎朝あれをやられている。どうにかしてほしい。


 そんな場所に、なぜ私は足を向けているのか。

 なぜかと言えば、あそこが私の家だからである。他に行くところがない。これ以上の理由はない。

 断じてそれ以外の理由はない。


 ――なのに、足は勝手にアパートの方に向かっている。


 錆びついた階段を上りながら、ふと思う。

 今朝のキスのことを。


 ――あれは業務連絡だ。ただの魔力供給だ。

 ……なのに、唇の感触だけが、一日中ずっと、妙に温かかった。


「やめやめ。余計なこと考えるな」


 首を振って、部屋のドアの前に立つ。

 鍵を開け、


「ただい――」


 ……ま、という最後の一音が、声にならなかった。

 目の前に拡がっていたのは――


 § § §


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