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限界OL、前世で私を殺した最強の大魔法使いに執着されてます。~生き残るためと言い張って毎晩溺愛してくるお陰で完全復活~  作者: カクナノゾミ


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第36話:エリオット、主夫スキルが上がる(前編)

 有給休暇、十四日目。


 朝九時。目覚まし時計は鳴らない。もうセットすらしていない。

 ベッドの中で目を開けると、安眠の結界に包まれた部屋は今日も温かくて、窓から差し込む春の光が柔らかかった。


 ――幸せすぎて怖い。


 六年間、毎朝五時半にアラームが鳴り、終電で帰宅し、泣きながら眠り、また五時半にアラームが鳴る。その無限ループが日常だった人間にとって、「何もしなくていい朝」は異世界より異常な環境だ。


 いや、そもそも異世界の住人と同居している時点で異常なんだけど。

 しかも家賃は私持ちだし。世界最強の大魔法使いは無職のヒモだし。光熱費だけは微弱な魔法で踏み倒してるし。ある意味、最高効率の不正受給じゃない? これ。


 リビングに出ると、キッチンからパチパチと油の爆ぜる音がしていた。


「おはよう、エリオット」

「おはよう。朝食は十分後だ」


 エプロン姿のエリオットが、フライパンの前に立っている。

 銀色の長い髪を後ろで一つに結び、袖を肘までまくって。蒼い瞳が真剣にフライパンの中を凝視している。


 この光景にもだいぶ慣れた。慣れたはずだ。

 なのに、朝の逆光の中に立つこの男のシルエットが視界に入るたびに心臓が一瞬跳ねるのは、イケメンアレルギーの後遺症だと思いたい。


「……何を作ってるの」

「だし巻き卵だ」


 だし巻き卵。


 普通の、だし巻き卵。

 空気中の分子を再構築した錬成料理でもなく。


「今朝は、一時間半かかった」


 エリオットが真顔でそう宣言した。

 一時間半? 朝ごはん作るのに?


「君が会社に持っていったあの弁当を作った際は、一食につき五時間を要したからな。やはり手作業は非効率だ」


「……五時間!?」


 思わず叫んでしまった。

 あのお弁当。私が職場で冷え切った状態で食べて、それでも最高に美味しかったあのお弁当。

 魔法を使わないでとはいったけど、五時間!?

 実はエリオットって凄く不器用だったり?

 夜中に起きて、五時間。私のためだけに。


(……バカだなぁ、本当に)


 呆れと、それをはるかに上回る胸の奥の熱いものが、ぐちゃぐちゃに混ざり合う。


 § § §


「急にどうしたの? 無理しなくていいのに……」

「必要だからだ」


 テーブルに座った私の前に、エリオットがだし巻き卵の乗った皿を置いた。

 見た目は……まあ、及第点だ。少し焦げている。巻きがやや甘い。でも、ちゃんと「だし巻き卵」の形をしている。普通の人間が一生懸命作ったような、普通のだし巻き卵だ。


「君の世界で、君と共に生きるなら、君の世界の技術を習得するべきだと判断した」


 箸を止めた。


「魔法で錬成した料理は確かに完璧だ。栄養価も品質も、私の演算能力が保証する。だが――」


 エリオットが言い淀んだ。このポーカーフェイスの鉄人が、言葉を探すように視線を逸らす。


「……魔法は使うべきではないと、君は言った。それに魔法では、足りない」


 足りない?


「何が足りないの」

「わからない。五時間という非効率な工程を経て作られたあの弁当を食べて、君は涙を流した。魔法の力ではなく、あの不完全なものになぜ涙したのか。その理由が、私にはまだ理解できていない」


 思考機械みたいな頭脳で次元座標を計算できるのに、人が泣く理由はわからないのかな。スペックの偏りがバグレベルじゃない?


 あ。

 あの日のお弁当のこと。


「だから、理解するまで、手で作る」


 黙って、だし巻き卵を一切れ口に運んだ。


 § § §


 味は、正直に言って、まあまあだった。

 出汁の加減がほんの少しだけ多い。塩味が気持ち足りない。プロの寿司屋が出すそれには遠く及ばないし、魔法で錬成された完璧なディナーとは比べるまでもない。


 でも。


(……ああ、これだよ、エリオット)


 この「完璧じゃなさ」が、なんでこんなに温かいんだろう。

 思考機械並みの頭脳を持っているくせに、出汁の加減は数式では出せないのかな。

 世界最強の大魔法使いが、卵を手で割って、菜箸で必死に巻いて、少し焦がした。

 その事実だけで、なぜか胸の奥がじんわりと熱くなる。


「……おいしい」

「嘘をつくな。出汁が0.3ミリリットル過多だ。塩分濃度も計算より0.02パーセント低い。次は修正する」


 出た。分子レベルで味のズレを把握しているのに、手で作ることにこだわるのか、この男は。

 ていうか、その精度で「まずい」って言っちゃうなら、世の中の料理人の九割九分九厘はクビになっちゃうと思うよ?


「嘘じゃないよ。おいしいよ」

「……そうか」


 エリオットは一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、ポーカーフェイスの奥で何かが緩んだような表情を見せた。

 それは笑顔と呼ぶにはあまりにも微かで、知らない人が見たら「氷の殺し屋が標的を見定めた」としか思えないだろう。


 でも私にはわかる。今、この男は嬉しいのだ。


 § § §


 朝食の後、私はソファに寝転がって、るんすけが掃除する音を聞いていた。

 平和だ。うっかりすると溶けてしまいそうなほど平和な日常が、確かにここにある。


 キッチンからは、規則的な音が聞こえていた。

 パチ。パチ。パチ。パチ。


 何の音だろうと思って覗きに行くと、エリオットが卵を割る所作をしている。

 見える、空中に浮かぶ卵がパチンと割れるのが。

 一個。また一個。そしてまた一個。


「何してんの」

「練習だ」

「練習?」

「朝言った通り、工程の最適化と時間短縮のための反復訓練だ。本日中に百回作り、最適な工程を身体に記憶させる」


 百回。


「だからって、エアーだし巻きを百回もやるの?」

「ああ、足りなければ二百回だ」


 フライパンを振る所作は、もう五回前より格段に滑らかになっている。

 さっき「0.3ミリリットル過多」と言っていた出汁も、空中で指先を微調整しながら脳内でシミュレーションしているらしい。あの思考機械の頭脳でエアー調理って……ちょっと狂気だよ。


(……この人、本気だ)


 何百年も魔法を極め続け、次元を超え、世界を書き換える力を持つ男が。

 卵焼きの素振りを。百回。


 その横で、るんすけがエリオットの足元をくるくる回っていた。応援しているつもりなのか、ただ掃除しているだけなのかは不明だ。


「……うわぁ」


 思わず呟いた私の声に、エリオットの耳の先がほんのりと赤くなった気がした。


 ――でもわかった。この完璧主義と無限の努力が、エリオットをあちらの世界で大魔法使いにしたんだ。

 そして、今、その力が、明らかに間違った方向に使われている。


 私はそんなエリオットに、思わずクスリと笑みを漏らしたのだった。





 § § §


お読みいただきありがとうございます!

第1部の重い展開から一転、限界OLと最強のヒモの平和な日常が開幕しました。

エアーだし巻き卵を真顔で百回練習するエリオットと、それを見守る奈々の「魔法のない生活」の始まりです。


次回、第37話「エリオット、主夫スキルが上がる(後編)」に続きます。



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