第34話:泣いてもいいよ(中編)
翌朝。
パソコンを開くと、メールが届いていた。
差出人は、総務部。
『小松 奈々 殿
【件名】黒田 弘泰(元・営業課長)の懲戒免職処分、および特別監査の開始について
本日付にて、黒田 弘泰(元・営業課長)に対し、懲戒免職処分が下されました旨、通知いたします。
同時に、社内コンプライアンス委員会による特別監査を開始いたしました。初動調査の過程で、同氏が作成・提出していた各種報告書・提案書の大部分が、実際には小松殿が作成したものであるとの疑いが極めて強まっております。
詳細については後日改めて面談の場を設けさせていただきますが、取り急ぎの報告といたします。
なお、調査期間中の精神的負担を考慮し、本件に関連して小松殿には当面の間の有給休暇取得を命じます。
(人事総務部)』
「えーっと!?」
私は、思わず声を上げた。
§ § §
あの騒動の翌日に届いたメールを見てから、一週間が経った。
会社からの命令に従い、私は溜まりに溜まった有給の消化という名目で、命の洗濯を満喫している。
エリオットの起こしたあれこれを、会社もようやく調査し消化しつつあるようだ。
――目覚ましは鳴らなかった。
セットしていなかったからだ。六年間、一日も欠かさずセットしてきた午前六時のアラームを、もうこの一週間セットしなかった。
天井が見えた。魔法で拡張された六畳一間の、温かい光に満ちた天井。安眠の結界に包まれていたせいか、嘘みたいに身体が軽い。
時計を見ると、午前九時を回っていた。
六年間の社会人生活で、平日の午前九時にベッドの中にいたのは初めてだった。インフルエンザの時でさえ、這ってでも出社していたのに。
隣の部屋で、物音がする。キッチンだ。
何かを煮込んでいる匂い。朝食だろう。
それと、足元の方から、ウィイィィン、という景気のいい駆動音。るんすけが定時巡回中だ。今日も世界は平和で、ルンバは回り、大魔法使いは朝ご飯を作っている。
(……私、今日も何もない人だ)
ベッドの中で膝を抱えて、考えた。
会社は事実上、終わった。退職届すら出していないが、昨日の騒動の後に何食わぬ顔で出社する度胸は、公爵令嬢だった前世の自分にもない。
「奈々。起きているか」
エリオットの声が、キッチンの方から届いた。
「……起きてる」
「朝食の前に、確認してほしいものがある」
確認。昨夜、「明日の朝まで待ってくれ」と言っていた、あれだろうか。
ベッドから出て、リビングへ行く。
テーブルの上に、私のスマートフォンが置かれていた。画面には、通知バッジが三十七個も溜まっている。
「……なにこれ」
メール。大量のメール。しかも、送信元が。
社内メールだ。いくつかは総務部からの経過報告。いくつかは人事部。そして、一通だけ――見たことのない差出人名。
『内閣府 WAGEプロジェクト推進室』。
「……は?」
§ § §
震える指でメールを開いた。
最初に開いたのは、人事部からのメールだった。この一週間の調査結果としての、正式な連絡だ。
『小松 奈々 殿
【件名】過去六年間の人事評価の遡及的見直し、および特別プロジェクトへの推薦について
黒田 弘泰(元・営業課長)の懲戒処分に伴う社内調査が完了いたしました。
同氏が過去六年間にわたり、小松殿の業務成果を不正に自身の実績として計上していた事実が確認されました。これを受け、過去六年間の小松殿の人事評価を遡及的に見直し、全社最優遇基準での適正な評価への修正を行うことが決定いたしました。
また、小松殿の真の業務実績は、弊社の主要な取引先である複数の企業および官公庁から既に極めて高い評価を得ております。
この度、内閣府主導の特別プロジェクトより、小松殿に対する名指しでの民間選抜枠参画推薦がございました。
詳細につきましては、添付資料をご確認ください。
(人事部)』
添付資料。
開いた。
目を、疑った。
『国際経済特別区域推進プロジェクト 民間選抜メンバー募集要項』
国家プロジェクト。
内閣府直轄の、国際貿易特区の立ち上げプロジェクト。各省庁と民間から精鋭を集め、日本の経済戦略の中核を担うという、ニュースで見たことのあるあの大規模プロジェクト。
その、選抜メンバー。
「え? え? ちょっと待って??」
混乱した頭で、三通目のメールを開いた。
『小松奈々 様
初めまして。内閣府 WAGEプロジェクト推進室の朝倉と申します。
この度、貴社経由で貴殿の業務実績および提案書を拝見し、大変感銘を受けました。特に、先般ご作成された百ページの提案書は、当推進室の分析チームからも「分析精度、論理構成ともに卓越している」との高い評価を得ております。
つきましては、当プロジェクトの民間選抜メンバーとして、貴殿をお迎えしたく、ご検討をお願い申し上げます。
着任までの間、充分な準備期間(休暇)を取っていただければ幸いです。
詳細は改めてご連絡差し上げます。』
スマホを持つ手が、震えていた。
§ § §
テーブルの向こうで、エリオットがコーヒーを飲んでいた。
いつものポーカーフェイス。右手にカップ。左手はテーブルの下。
「……あんた」
「ん?」
「あんた、これ……知ってたの」
エリオットは一拍置いて、答えた。
「黒田という男が、君の成果物を自分の名で上層部に提出し続けていたことは、千里眼で把握していた。しかし、その資料は君の名義ではなく黒田の名義で外部に渡っていたため、君の能力は正しく評価されていなかった」
つまり、黒田というフィルターが外れた瞬間に、私の実力が正しく評価される状態になる――ということを、エリオットは最初からわかっていたってこと?
「黒田が自白したことで、彼が横領と成果窃取の常習犯であることが社内で明らかになった。当然、彼が提出していた全ての資料の真の作者が誰であるかも、調査の過程で判明する。結果として、君の六年間の実績が正しく浮かび上がる」
「それが、『戻る必要がない』の根拠……?」
「その通りだ。君の能力は、あの環境にいたから発揮されなかったのではない。あの男に蓋をされていただけだ。蓋を外せば、後は自然と流れる」
私はスマホの画面を見つめた。
国家プロジェクト。内閣府。選抜メンバー。
前世で、公爵令嬢として国政の中枢で戦った記憶が、ざわりと蘇った。
外交文書を書き、政略を読み、三つ巴の勢力均衡を維持した、あの日々。
あの時磨いたスキルが、今度は――正しい場所で、正しく評価される。
「意味のない苦しみ」ではなく、「意味のある戦い」の場所。
§ § §
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
限界OLの六年間の地獄が終わり、ついに新しい物語への扉が開きました。
次回、第35話「泣いてもいいよ(後編)」にて、第1章完結です!




