第33話:泣いてもいいよ(前編)
夕食は、エリオット曰く「特別な日にふさわしい献立」だった。
テーブルの上に並んだのは、ローストビーフ、コンソメスープ、彩り鮮やかなグリル野菜、そしてデザートにはあの「安眠のプリン」の進化版。前世の王宮の晩餐会で出されるコースに匹敵する品数と、現代の食材だけで構成された見事な折衷料理だった。
とんでもなく美味しかった。
一口ごとに全身の疲労が剥がれ落ち、筋肉の隅々まで温もりが行き渡る。間違いなく魔法のバフが盛り盛りだが、もうツッコむ気力もない。
だが、食べている間、私の頭の中では全く別の嵐が吹き荒れていた。
§ § §
デザートのプリンを食べ終えた瞬間、嵐が口から飛び出した。
「ねえエリオット」
「ん?」
「私、明日からどうすればいいの」
エリオットがスプーンを置いた。
「あんたが何をしたか、わかってる? 会社に――会社の、フロアの、ど真ん中に、空間ぶち抜いて降臨して、上司を魔法で跪かせて、全部自白させたの。全社員の目の前で!」
声が上ずった。パニックだ。オフィスを出た時の清々しさは、ローストビーフの最後の一口あたりで完全に蒸発していた。
「あのフロアにいた人、三十人以上いたんだけど!? 全員が見てたの!! 空間が裂けて人が出てきたの!! あれ、どう申し開きするの!?」
「申し開きの必要があるのか」
「ある!! 大いにある!!」
私はテーブルを叩いた。るんすけが驚いてピッと短い悲鳴を上げ、エリオットの足の影に退避した。
「一般的な日本の会社で、銀髪の美形が空間転移してきて上司に魔法をかけたら、それは『警察案件』って言うの!! 訴えられたらどうするの!? 不法侵入だし暴行だし! あんた戸籍もないでしょ!?」
エリオットは、テーブルの向こうで静かにコーヒーカップを傾けた。動揺している気配は微塵もない。
「いくつか誤認がある。まず、暴行は行っていない。私は黒田に指一本触れていない。彼が自ら口にした言葉は、全て彼自身の記憶に基づく真実だ」
「魔法で無理やり喋らせたんでしょ!!」
「自白の糸は、対象が最も隠したいと思っている真実を声に変える魔法であり、虚偽を生成する機能はない。つまり、あの場で語られた横領、パワハラ、成果の窃取は全て事実だ。正確には、彼が自分の口で自分の罪を告白しただけだ」
ぐっ、と言葉に詰まった。
論理的には何も間違っていない。だがそういう問題ではないのだ。
「それと、不法侵入については認識阻害の残滓によりセキュリティログに私の入退室記録は存在しない。防犯カメラの映像にも、私の姿は映っていない」
「……は?」
「私がいた事実は、その場にいた人間の記憶にしか残っていない。そして人間の記憶は、時間と共に曖昧になる。特に、常識的に説明がつかない出来事は、脳が自動的に『辻褄の合う物語』に再構成する。数週間もすれば、大半の人間は『黒田が突然自白し始めた』としか記憶していないだろう」
完璧だった。
完璧に、計算されていた。
「つまりあんた、最初から証拠が残らないようにやったの?」
「当然だ。君に不利益が及ぶ方法は選ばない」
エリオットの蒼い瞳が、まっすぐに私を見ていた。
その目に、嘘はなかった。少なくとも、私のイケメンアレルギー判定機能にはそう感じられた。
§ § §
だが、問題はそこではなかった。
「……でも、私はもうあそこには戻れないよ」
声が、小さくなった。
「黒田がいなくなっても、あの会社は変わらない。体質が腐ってるんだもん。黒田の上にいる部長だって、黒田のやり方を黙認してたんだから」
テーブルの上で、両手を組んだ。指先が冷たい。
「それに……今日のことがあろうがなかろうが、私はもう、あの場所で『はい』って言えなくなっちゃった」
あの瞬間。黒田に「水曜までな」と言われた時、出なかった「はい」
あれは自分の意志で止めたのではない。身体が拒絶したのだ。もう二度と、あの言葉は出てこない。
「明日から、どうやって生きていけばいいのかわかんない。家賃も、光熱費も、食費も……。貯金なんかほとんどないし……」
二十八歳、独身、資格なし、貯金ほぼゼロ。
前世の公爵令嬢のスキルは、現代社会ではほぼ使い道がない。
つまり、詰んでいる。
「あんたは魔法で何でもできるかもしれないけど、私はただの人間で――」
「奈々」
エリオットの声が、静かに遮った。
「君があの場所に戻る必要は、もうない」
断定だった。
提案でも助言でもなく、宇宙の法則を読み上げるかのような、絶対的な断定。
「な……何を根拠に」
「根拠はある。だが、今は話せない」
エリオットの表情が、一瞬だけ翳った。
呪縛か。いや、呪縛の痛みとは違う。何かを知っていて、しかし今は言葉にできないもどかしさのような、複雑な表情。
「信じてほしい、とは言わない。だが、明日の朝まで待ってくれないか」
待つ。
何を。
この男がまた何か大魔法で世界をひっくり返すつもりなのか。
でも、不思議と――「わかった」と言えた。
十日前だったら、絶対に言えなかった。
前世で私を殺した男の「信じてくれ」なんて、冗談じゃないと突っぱねていた。
でも今日、この男は命を削って私を迎えに来た。
手の甲に走った亀裂は、まだ消えていない。
「……わかった。明日の朝まで、待つ」
エリオットが、微かに目を細めた。
それが安堵なのか感謝なのか、まだ完全には読み取れない。でも、少しだけわかるようになってきた気がする。
§ § §
お読みいただきありがとうございます!
全てが終わった……と思ったら、待っていたのは「明日からどう生きる?」という現実でした。エリオットが言った「戻る必要はない」の根拠とは?
次回「泣いてもいいよ」後編にて、第33話1章完結です。
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