第18話:魔法使い、家事スキルの習得(後編)
泡の海は、想像以上に手強かった。
まず排水。排水口が泡で完全に塞がっていた。
次に拭き取り。タオルを何枚使っても泡が消えない。洗剤三十回分の泡は伊達じゃなかった。
最終的にバケツで泡をすくい、浴室に流すという原始的な戦術を取った。
「エリオット、そっちのバケツ持ってきて」
「これか」
「それ、風呂桶。もっと大きいやつ。流しの下にあるでしょ」
二人でバケツリレーをしながら泡を片付ける。
エリオットは魔法を使わないという約束を律儀に守り、人力でせっせと泡を運んでいた。最強の大魔法使いが、バケツを両手で抱えて浴室とキッチンを往復している。シュールにもほどがある。
「こういう時だけは魔法使いたくならないの」
「約束だからな」
「……融通きかないのは昔からか」
「融通がきかないのではない。約束を守っているだけだ」
この男は、嘘は下手だが約束は守る。矛盾しているようだが、要するに「バレる嘘はつくが、交わした約束は絶対に破らない」という、地味にめんどくさいタイプの実直さだ。
前世の宮廷でもこうだった。政治家には向いていない。魔法使いでよかったよね。
§ § §
三十分かけて泡をおおむね片付けた後、問題は洗濯物に戻った。
泡まみれのまま洗濯機の中に放置された衣類たち。すすぎが一切終わっていない。衣類のくせに泡パックされている。エステかここは。
「もう一回洗い直さないと。でも洗濯機、さっき変な音してたし……」
恐る恐る電源ボタンを押してみる。
ガガガガガ、と断末魔の異音が鳴り、二秒で沈黙した。
「……壊れてる」
「すまない」
エリオットが、心底申し訳なさそうな顔をしていた。
前世で国家を揺るがす大魔法を行使し、次元の壁をぶち抜いた男が、日本製ドラム式洗濯機を壊したことに全力で落ち込んでいる。落ち込むスケール感がおかしい。
「まあ……修理か買い替えかは後で考えるとして。今日は手洗いするしかないね」
「手洗い?」
「手で。洗うの。お湯と石鹸で。人類が数千年やってきたやつ」
「……原始的だが、理に叶っているな」
原始的って言った。洗濯機を壊した男が言うセリフではないよね?
§ § §
浴室の床にたらいを二つ設置した。
一つにぬるま湯を張り、もう一つはすすぎ用。泡まみれの洗濯物を一枚ずつ取り出して、手洗いしていく。
「やり方わかる?」
「……見せてくれ」
私がワイシャツを取り、お湯に浸して、軽く揉むように汚れを落として見せた。
「こうやって優しく揉んで、汚れが落ちたらこっちですすいで、絞る。これだけ」
エリオットはじっと観察した後、恐る恐るタオルを一枚手に取った。
たらいのお湯に浸して、私の見よう見まねで揉み始める。
手つきが壊滅的にぎこちない。
前世では宮廷の図書塔に篭って魔法の研究ばかりしていた男だ。洗濯なんてしたことがあるわけがない。数百年の孤独の間も、衣類は全部魔法でクリーニングしていたのだろう。魔法という名のドライクリーニング。便利すぎて生活スキルが育たない典型例だ。
「力、入れすぎ。優しくね。引っ張ると伸びるから」
「こうか」
「もうちょっと優しく。赤ん坊を洗うみたいにって言えばわかる?」
「赤ん坊を洗ったことがない」
「……そりゃそうだ」
何百年も独身の男に赤ん坊の比喩は無理だった。反省。
「じゃあ、るんすけを拭く時みたいに」
「なるほど」
るんすけ比喩は一発で通った。この男のリファレンスがルンバしかない問題。
数回のトライアル・アンド・エラーの後、エリオットの手洗いは徐々にそれらしくなってきた。学習能力だけは異常に高い。さすが魔術院のトップ。応用先が洗濯だが。
「うん、上手いじゃん。その調子」
何気なく褒めた瞬間、エリオットの手が止まった。
〇・五秒後に何事もなかったかのように再開したが、耳の先がほんのり赤い。
(……また)
この男、魔法以外のことでは褒められ慣れていないのかもしれない。
前世の宮廷では「絶対零度」とか「氷の魔法使い」とか呼ばれて恐れられていたから、面と向かって「上手いね」と言ってもらう機会がなかったのだろう。
数百年の孤独の後、初めて褒めてくれた相手が限界OL。しかも褒めた内容が「洗濯が上手い」だ。世界最強の魔法使いの承認欲求の満たされ方としては、あまりにも地味すぎるよね。
§ § §
二人で黙々と手洗いを続けた。
たらいの中で手がぶつかるたびに「すまない」「こっち寄って」と言い合う。浴室の床に並んで座り、お湯に手を入れ、揉んでは絞る。
地味で。退屈で。体力を使う。背中が痛い。膝もだるい。
でも、不思議と嫌じゃなかった。
多分、一人じゃないからだ。コンビニのおにぎりが美味しかった理由と同じだ。……いや、同じか? いや、同じだ。多分。考えるとややこしくなるからやめよう。
二時間かけて、全ての洗濯物を洗い終えた。
物干し竿に衣類を並べて干す。浴室いっぱいに広がった洗濯物。達成感だけは六畳一間のスケールを超えていた。
「……疲れた」
「ああ」
エリオットの声にもいつもの余裕がない。
顔を見ると、髪がぺたんと額に張りついている。泡の残骸がまだ頬についている。スーツの袖は肘まで捲り上げられていて、細いがしっかりとした前腕が露わになっている。
手首から肘にかけて、うっすらと古い傷痕が見えた。前世ではそんな傷はなかった……ような気がする。もしかしたら、私がいなくなってから、何かあったのだろうか?。
……いや待て。なぜ私はこの男の腕をそんなに見つめているのだ。
「どうした」
視線に気づかれた。エリオットが小首を傾げている。
小首を傾げるな。その仕草にイケメン補正がかかるからやめろ。
「なんでもないっ!!」
声が裏返った。最悪だ。
「……?」
エリオットは不思議そうな顔をしている。鈍感か。鈍感だ。前世から鈍感だったらしいので今世でも治っていない。
§ § §
手洗い大作戦の後、キッチンに戻った。
そして料理。今日はもういい、と止める私にエリオットは頑なに自分がやると言ってきかなかった
これも約束だから、だそうだ。
ほどほどに時間をかけてキッチンから戻ってきたエリオットが持ってきたのは、シンプルな卵雑炊だった。もちろん魔法は使っていない。彼の手料理だ。
味付けは塩と冷蔵庫の奥から発掘された鰹だしパック。おかゆに近い柔らかさ。
魔法のディナーほどのファンタジー感はないが、ちゃんと温かくて、ちゃんと美味しかった。むしろ近所の定食屋っぽい素朴さがあって、これはこれで悪くない。
「米を柔らかく煮た料理は、あちらの世界にもあった。卵は君が冷蔵庫に備蓄していたものだ。鰹の出汁は、るんすけが戸棚の奥を掃除している時に発見した」
「るんすけが発見した」
「るんすけが棚の下に突入した際、鰹だしパックが落ちてきたのだ」
「……るんすけ有能すぎない?」
もはやるんすけの方がチームの頭脳なのではないか。大魔法使いとルンバのコンビで、ルンバの方が実務能力が高い。
「これ、ちゃんと作れるじゃん。魔法なしでも」
「……簡素なものしかできないが」
「充分だよ。普通においしい」
エリオットが、不器用に笑った。
……おっと。
それは宮廷の完璧な微笑みとは全然違う、ぎこちなくて、下手くそで、どうしていいかわからないような笑い方だった。
何百年も一人でいた男が、誰かに「おいしい」と言われて、どういう顔をすればいいかわからなくて、とりあえず口角を上げてみた、みたいな。
(かわいい)
思ってしまった。
脳内緊急警報が発令された。赤色灯が回転し、サイレンが鳴り響いている。
(違う違う違う違う。これはイケメンアレルギーの新型変異種だ。免疫系の暴走だ。脳のバグだ。かわいいとか思ってない。断じて思ってない。二十八歳の限界OLが異世界の大魔法使いに「かわいい」はない。ない。絶対にない)
泡まみれで洗濯と格闘する姿が、目の裏に焼きついて消えない。
るんすけ比喩で一発理解する真剣な横顔が、消えない。
褒められて耳を赤くする、あの反応が、消えない。
そして今の、あの不器用な笑顔が。
なかなか、消えてくれなかった。
(……前世の私、こいつのこういうところに落ちたんじゃないでしょうね)
その仮説を検証する気力は、今夜の私にはなかった。
§ § §
魔法なしのエリオット、いかがでしたか? 次回からは「イケメンアレルギー、悪化中」編に突入します。堕ちるな、奈々! 踏みとどまれ! フォローしていただければ更新をお届けできます! ★やフォローでの応援も嬉しいです! 感想もお待ちしてます!




