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星の数ほど、たぶん  作者: 明石竜


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3/3

Episode 3 子午線の上で、ちょっとだけ正直に

 夏休みの間、天文科学館には「自由研究のために来ました」という子どもたちが大勢やって来る。灯はその子たちにパンフレットを渡し、展示を説明し、「この本も参考になるよ」と図書コーナーへ案内した。

メモ帳を持ってきてせっせと書き取る子もいれば、写真ばかり撮ってあまり読まない子もいる。連れてこられた様子で終始退屈そうな子もいた。

 本当に、いろんな子がいる。


 九月になると、今度は顔つきが変わる。

「発表が終わった」という安堵がにじむ少し軽くなった顔の子もいれば、

まだどこか納得していない表情の子もいる。

 だいたい、その二種類だ。

 今日来たのは、後者だった。男の子二人組。たぶん小学六年生くらい。一人は背が高くて、一人は少し小さかった。二人とも玄関を入ってきた時、どことなく不満そうな顔をしていた。

「先生に、もっと調べてこいって言われて」

 背の高い子がやや投げやり気味に言う。

「どんなテーマで調べたんですか?」

「日本標準時。明石が基準になってるやつ」

「ああ、ここのテーマですね。発表したのに、もっと調べてこいって?」

「なんで明石なんかが基準なのかが、わかってないって」

「なんか、って言いましたか?」

 灯は微笑む。

 男の子はちょっとばつが悪そうな顔をした。

「言ってない。先生が言った」

「先生が?」

「なんで明石みたいな小さい町が、って」

「そうですか」

 灯は少しだけ、ムッとした。でもそれは顔に出さなかった。「明石みたいな」という言い方が、どこか引っかかった。十年以上ここに住んで、今はここで働いている灯にとって、明石は「みたいな」がつく場所ではない。でも先生の言い方を男の子に言っても仕方なかった。

「じゃあ、一緒に考えましょうか」

 灯は二人を、一階の「子午線」展示コーナーに連れていった。

 東経135度の線が日本列島を縦に走っている大きなパネルがある。明石を通っているその線は、北は北海道から南は九州まで、いくつかの都市を通っている。灯はこのパネルが好きだった。シンプルな地図に一本の線だけ。でもその線に、たくさんの話が詰まっている。

「この線のこと、知ってますか」

「子午線」と小さい方の男の子が言った。勉強してきた声だった。

「そうです。日本標準時子午線。これが基準になってます。なんで135度が選ばれたか、調べた?」

「グリニッジ天文台からちょうど九時間の場所だから」

 背の高い方が答えた。

「正解。じゃあ、なんでその線が明石を通ってるか」

「……それが、よくわからなくて」

「先生に聞いたら?」

「先生は教えてくれなかった。自分で調べてこいって」

「そうか。先生、いいこと言った」

 男の子はちょっと不満そうな顔をした。先生の味方をされるとは思っていなかったのだろう。

 灯は、ちょっと考えた。

 説明の仕方がいくつかある。歴史的な話、地理的な話、政治的な話。全部正確だけど、小学生に全部言っても仕方ない。それより、何が一番「へえ」と思えるか。灯はいつも、そこから考える。正確さより先に、「これを聞いたら面白いと思うかな」を考える。それが正しいかどうか、まだ自信はないけれど。


「ちょっと来て」

 灯は二人を、建物の外に連れ出した。天文科学館の前の広場には、地面に子午線が引いてある。東経135度のラインが、石畳に刻まれている。観光客はよく写真を撮っていく。でも灯は、写真より「立ってみる」ことが大事だと思っている。

「この線の上に立ってみて」

 二人が線の上に立った。背の高い子は少し照れたような顔をした。小さい子は、真剣な顔で線を踏んだ。

「今、二人は東経135度の上にいます。この瞬間、日本のどこにいても、時計の時刻はここの太陽の位置を基準にしてる。つまり日本中の人が、今この場所の空を見て時間を決めてる」

「日本中が?」と小さいほうが聞いた。

「日本中が。北海道の人も、沖縄の人も、東京の人も、みんな明石の空を見て時間を決めてる。なんか、すごくない?」

 二人はしばらく黙った。

 背の高い子が空を見上げた。小さい子は足元の線を見た。

「先生が言った『なんで明石みたいな』って話だけど」と灯は続けた。「なんで明石が選ばれたかより、明石が選ばれてどうなったか、の話をするといいかもしれない。意味ができた場所の話」

「意味ができた?」

「ここに線が引かれる前は、明石はただの町でした。でも135度を選んで、その線が明石を通ったから、ここに意味ができた。時間の基準になった。それって、最初から特別な場所だったんじゃなくて、選ばれることで特別になったってこと」

「その話、発表で使っていいですか」と小さい方が聞いた。

「もちろん。でも、自分の言葉で言い直して。私の言い方は、あなたの発表には合わないかもしれないから」

「自分の言葉?」

「さっき線の上に立ったとき、どんな感じがしたか。それを言えばいい」

小さい男の子は少し考えた。

「なんか、自分がめっちゃ基準になった感じ」

「それ、そのまま言いなよ」と灯が優しく言うと、小さい男の子は少し照れた顔をした。

「でも、先生はそんな話、求めてないと思う」

 背の高い子が言う。正直な子だな、と灯は思った。

「そうかもしれない。でも、自分が面白いと思うことを足すと、発表って変わるよ。先生が求めてる答えをまず言って、それから自分が面白いと思ったこと言えばいい」

「灯さんは、ここで働いてて、面白いですか?」


 急に聞かれ、灯は少し間を置いた。

 正直に言おうと思った。いい話をしようとか、うまくまとめようとか、そういうことを考えるのをやめた。

「面白いと思う時と、わからなくなる時が、両方ある」

「わからなくなる?」

「うまく説明できなかったとか、もっとこうすればよかったとか。さっきの話も、これで伝わったのかなって、あとで考えると思う」

「でも、教えてくれた」

「うん。わからなくても、やってみないとわからないから」

「なんか、先生みたいなこと言ってる」

 背の高い子が言って、灯は笑った。

「それ、そのまま先生に言いなよ」

「言わない」

「今日みたいに、来てくれた人が『へえ』って顔するのを見るのは、やっぱり好きですよ」

「へえ」と男の子が言った。

さっきと同じ言葉だったが、今度は本物の「へえ」だった。自分で「へえ」と言ってから、男の子は少し笑った。気づいてる。

二人は「ありがとうございました」と言って帰った。お辞儀が丁寧だった。帰りながら二人で何か話していた。何を話しているかは聞こえなかったが、さっきより軽い顔をしていた。

 灯は広場に一人残って、子午線の上に立った。

 足元の石畳に刻まれた東経135度の線は、細くて、でも確かにそこにあった。日本中の誰かが今この瞬間も、ここの空の時間で動いている。それはいつ考えても、少し不思議な気持ちになる。

 後ろから声がした。

「どうでした、さっきの子達」

 白石だった。窓から見えたらしかった。いつの間に来ていたのか、灯は気づかなかった。

「自由研究の発表が終わった子たち。もっと調べてこいって先生に言われたらしくて」

「それで?」

「意味ができた場所の話をしました。うまく伝わったかわからないけど」

「さっき、外で笑ってたじゃないですか。伝わってたんじゃないですか」

「白石さん、ずっと見てたんですか」

「たまたまです」

 灯は「たまたま、ね」と心の中で思ったが、口には出さなかった。

 白石は灯の隣に立って、子午線の線を見た。

「灯さんの話し方、好きですよ。難しくしない」

「白石さんにそれ言われると、少し悔しい」

「なんで」

「白石さんのほうが、ずっとうまいから」

「そうですか」

 白石はそう言い、空を見上げた。少しの間があった。


「今夜、晴れそうですね」

「そうですね」

「晴れたら、木星が見えますよ。今、夜空で一番明るい」

「知ってます」

「知ってますよね」

「知ってます」

「じゃあ、帰り道に探してみてください」

「そうします」

 灯は少し笑った。それだけのことなのに、なんとなく、帰るのが少し楽しみになった。

 二人はしばらく、並んで空を見ていた。

 特に何も起きなかった。

 でも、それでよかった。九月の空は、夏より少しだけ高い所にある。明石の空は、今日も日本の時間を動かしていた。

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