カンクロー殺し
〈藝術の眞つ赤に燃える旱星 涙次〉
【ⅰ】
* ジョーヌの命日でもないのに、テオは彼女の事を思ひ出す。考へてみれば、220余話續けて來た『カンテラ』シリーズではあつたが、一番の感動作は、初期の頃既に書いてしまつてゐる。作者、何だか筆を放り投げたくなる氣持ちを留め得ぬ。
ジョーヌさん、僕は限られた命數を頑張つて生きてゐます。動物の冥府(人間の、とは違ふ)は如何ですか?
* 前シリーズ第7話參照。
【ⅱ】
テオの主治醫、獸醫師・環九朗(通稱カンクロー)の診察があつた。今回は意外な知見を述べられた。「テオくんは、他の猫ちやんたちより、長生きする事間違ひない」‐「とは?」‐「摂取してゐる食べ物の栄養価が違ふし、何より本人(?)の健康に對する心構へが、一般の猫とはまるで違ふレヴェルだからね」‐「カンクロー先生、ずばり、持つて何年?」‐「30歳、は行くと思ふ」‐テオ、それでも不服であつた。30歳は確かに、猫としては長命だらうけど、人間で云つたら、その死は「夭折」の一言で片付けられる享年だ。テオはせめて60歳迄は生きてゐたかつた。
【ⅲ】
(だつてやるべき事が、澤山あるんだもの)‐テオはこれも天才猫ならではか、他の動物たちとは違ひ、壽命に関しては淡白でゐられなかつた。事務所の、他の動物たちは皆、神話上の生き物であつて、例へば白虎は、たゞの銀毛の虎、と云ふだけではない。ほゞ、永遠を生きる存在なのだ。「ぴゆうちやん」だつて、妖魔なのだから同じ。自分ばかりが短命なのは、テオには理不盡に思はれた。
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〈新キャラにこんにちはする時既に舊キャラ始末付けたる冷酷 平手みき〉
【ⅳ】
環は、またか、と云はれさうだが、【魔】の道に片足突つ込んでゐた。テオを誘拐し、猫王國の王の坐に据へる。勿論、傀儡政権である。實権は自分が握る。云ひ替へれば、猫に對する盲愛が甚だしいのだつた。彼ら猫王國の住人たちに仕へる人間どもは、悉くが野代ミイのやうな「猫人間」。個人の夢と云ふ範疇を超えて、それは一種の狂氣なのであつた。彼が獸醫師の職に就いたのは、この狂氣の沙汰を叶へる為であつた。
【ⅴ】
實質、猫王國の王権を握るのは、このカンクロー様だ。それにはだうしてもテオが必要なのだ。天才猫研究者の如き顔をして、テオに接近した譯は、偏に、テオのカリスマに頼ると云ふ目的、ゆゑになのであつた。
テオは知つてゐた。彼の野望も何もかもを。そんな事は、カンテラの八卦に掛かれば、手に取るやうに分かる。人間不信と云つたらそれ迄だが、この稼業に對人的な安寧は却つて似合はない。テオは靜かに時を待つてゐた。カンクロー討伐の。たゞ、こればつかりは、カンテラ・じろさんの手を借りたくなかつた。
【ⅵ】
或る日、「カンクロー先生、ちよつと」。つひに時滿ちた。環は事がバレてゐるなどゝは、片鱗ほども思つてゐない。その隙にやつてしまはねば‐ テオの心は逸つた。「なんだい、テオくん」これを‐「これをご存知ですか?」テオ・ブレイドである。これを見た時には既にその者の命はない。「何のつもりだ」‐「そんな事、自分に訊くんだな。カンクロー、さらば」
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〈寢冷えする人など見たい熱帶夜 涙次〉
ジョーヌさん、僕は【魔】とは云へ、殺しをするところ迄堕ちました。それでも、長生きはしたいと思つてゐます。仕様がないのです。僕に憑いてゐるものがさうさせるのです。テオ、敬具。