第009話 完敗
「勝者、スペル!!」
学園長の声で試合は終わりを告げる。
ずっと手加減してくれていると思って警戒していた。なぜなら、幼い頃、一人前の魔法使いは、百以上の魔法を同時に使いこなすと教わったからだ。
しかし、いつの間にか終わってしまった。
『うぉおおおおおおおおっ!!』
「え? え?」
ボーっとしていると、突然周囲の音が爆発する。辺りを見回すと、観客の教師たちがスペルに向かって歓声を送っていた。
何が起こっているのか分からず困惑してしまう。
「強いとは思っておったが、まさかクライストが手も足も出んとはのう。そこまでは予想しておらなんだ」
スペルは周囲の様子が理解できず、学園長へと尋ねた。
「えっと……皆さんはどうされたんですかね」
「かっかっかっ。お主がどれほど凄いことをしたのかもわかっておらぬのか? こやつはこれでもマギステリア魔法学園の副学院長じゃぞ? この国で二番目に魔法の扱いに長けた奴じゃ。お主はそやつを完封した。こやつらの反応も当然じゃろう」
「そう……なんですね……」
スペルは自分の手に視線を落とす。
これまでずっと兄姉から教わった魔法使いの常識を信じてきた。そして、自分には魔法の才能なんてないと思っていた。
でも、それはもしかしたら思い込みだったんじゃないかと、今にして思う。用務員試験の時から薄々は感じてはいたが、模擬戦を終えて改めて実感した。
『スペルには才能がある』
『スペルほど魔法を巧みに操る奴には会ったことがないもの』
『無詠唱で魔法を扱える者はかなり少ないですし、全属性を扱える魔法使いなんてどこにもいませんよ?』
ノーラにグレイ、そしてフィリーネの顔が脳裏に浮かぶ。
皆ずっと自分の才能を信じてくれていた。それなのに、スペルは幼い頃に植え付けられた常識という殻に閉じこもり、皆の声を聞こえないふりをしてきた。
しかし、それも今日で終わりだ。これからはもう少し、もう少しだけ、皆が信じてくれる自分を信じてみよう。
スペルはそう思った。
「お師匠様、お疲れさまでした」
フィリーネがフィールド上にやってくる。
「フィリ、ありがとうございます」
「はい? 何のことですか?」
スペルの言葉にフィリーネは不思議そうに首を傾げた。
「私をここに連れてきてくれたことです」
フィリーネがここにいなければ、スペルは失格になっていたかもしれないし、合格しても用務員のまま終わっていたかもしれない。
実際どうなっていたかは神のみぞ知ることだが、今ここにいるのは間違いなくフィリーネのおかげだ。
感謝を告げずにはいられなかった。
「なんだ、そんなことですか。私のお師匠様なんだから当たり前じゃないですか」
フィリーネがなんでもないようなことのように笑う。
その顔を見て、スペルはフィリーネが自分の弟子で本当に良かったと心の底から思った。
「そうですね……フィリーネにはお礼をしなければなりませんね」
「お礼……ですか?」
フィリーネがきょとんとした顔になる。
「はい。フィリーネのおかげで採用してもらえましたからね」
「い、いえいえ、お礼だなんて。私は当たり前のことをしただけですから」
「私がお礼したいんです。何か欲しい物はありませんか?」
感謝の言葉だけじゃ足りない。フィリーネには何か贈りたかった。
「そ、それでしたら、今度私とデ――」
「イチャイチャしてるところ悪いんじゃが、こやつを治療してやってもらえんか? ワシは回復系の魔法は使えんでの」
フィリーネがモジモジしながら何かを言おうとしたところで、学園長があきれ顔で言う。
「あ、すみません!!」
スペルは慌ててクライストに回復魔法を掛けた。
◆ ◆ ◆
「ここは……」
「目が覚めましたか?」
クライストが目を覚ますと、空と自分を覗き込むスペルの顔が見えた。
あぁ、そうか。
クライストはスペルになす術なく破れてしまったことを思い出す。
なんだ、この魔力の欠片もない男は。
初めて学園長室でスペルに会った時、クライストはそう思った。
魔法使いは魔法を緻密に操作する技術を会得して、他人に自分の魔力を悟らせないようにするが、完全に魔力を消すことはできない。
魔力が漏れていない。それはつまり、魔力がないということだ。だから、フィリーネからスペルの話はよく聞いていたが、幼い頃の妄想の類だと思っていた。
無能な人間など、この由緒あるマギステリア魔法学園に不要。教師たちの前でスペルを叩きのめせば、学園長も考えも変わるだろう。
そう思ってクライストはスペルとの模擬戦を学園長に申し入れた。
「ぐはっ」
しかし、結果はどうだ。
クライトンは一撃も入れることができないまま気を失い、今こうして負けた相手に介抱されている。
無能なのはスペルではなく、自分だったと猛省する他ない。
「私は負けたんですね」
「一応……そうなりますかね」
クライストの言葉を聞いたスペルは、自信なさげに笑みを浮かべながら頰を掻く。
「ふっ、どこがですか……私の完敗ですよ」
そのどこまでも偉ぶらない態度に、クライストは己の小ささを知り、つい笑いが零れた。
世界は広い。
学園長に会った時も衝撃だったが、クライストはその言葉を本当の意味で思い知った気がした。
「どうぞ」
クライストが起き上がろうとすると、スペルが手を差し出した。
その上、人を気遣う心まで持っているとは……。
「ありがとうございます」
クライストは魔法以外も完敗だったと実感しながら、その手をしっかりと握り、立ち上がる。
そして、改めて握手の意味で、スペルの手を握る手に少し力を込めた。
「この学園にはあなたが必要です。私はあなたの指導を受けたい。これからよろしくお願いします」
「……こちらこそよろしくお願いします」
スペルは一瞬あっけにとられたような顔をしたが、すぐに笑顔で応えた。