桜子探偵事務所「ゴダイヴァ夫人」
「ただいま戻りました」
所用からの帰り。食べ損なっていたお昼ご飯をコンビニで買って事務所に戻る。
「おかえりなさい。お疲れ様でした」
デスクに広がる書類を纏める手を休め、桜子さんは顔を上げた。
「…今コンビニに寄ってきたんですけど…。会計時に僕の前にいたお婆さんが、ビニール袋いっぱいに詰めた一円や五円の小銭で会計をするって言って店員と揉めて…」
「あら、それは店員さんも春雪君も災難だったわね」
「でも店員さん強くて「全額小銭での支払いはお断りしておりますお隣が郵便局ですのでそちらで紙幣に変えてからまた来て下さい商品はとっておきますね。はい次の方どうぞーー」って一気に言って僕の番になりました。僕が会計している横で何故かお婆さんが僕を睨んでいて…」
会計時のゴタゴタは店員さんの対応がものを言う。
「それはそれはお疲れ様でした」
そう言ってうふふと笑う桜子さん。
ここは浮気調査、人探し、ストーカー調査…猫探し…
最近は探偵に依頼するハードルも下がり、ありとあらゆる頼み事が舞い込む桜子探偵事務所。
「お婆さん、税金のせいで〜とか、消費税なんて無くしちまえ〜とか喚きながらお店を出て行きましたよ。あ、これ、コンビニスイーツのお土産です。どうぞ」
コンビニとベルギーの高級チョコレートメーカーの期間限定コラボ商品を、ビニール袋から取り出して桜子さんへ渡す。
「わあ!ありがとう!せっかくだからコーヒー淹れるわね」
そう言って事務所の隅にある小さなキッチンに向かう桜子さん。
僕は来客用兼休憩用のソファに腰を下ろし、買ってきた弁当を準備する。
「ねぇ春雪君、ベルギーの消費税率は何%か知ってる?」
コーヒーが入ったカップを僕のテーブルに置きながら、桜子さんが聞いてきた。
ふわりと香るコーヒーの香りに疲れた心がほぐれていく。
「ありがとうございます」
コーヒーを受け取り、ベルギーの消費税が何パーセントか考える。
「えっと…ベルギーの消費税?ん〜15%くらいですか?」
「残念。21%ですって」
(食品や医薬品などの基本的必需品は6%です。アルコール類は基本的必需品に含まれません)
「21%!!」
驚きだ。新車なんてそうそう買えない。
「うう…お婆さんの気持ちもわかるなぁ…」
「最近の物価高にはほとほと参っちゃうわよね。そろそろゴダイヴァ夫人が現れてくれると嬉しいわね」
「ゴダイヴァ夫人…ですか?」
桜子さんは僕の問いに頷くと、チョコレートのパッケージに描かれた馬に跨る女性をトントンと指差した。
。。。
「僕の夢は父さんみたいないい領主になる事だよ。その夢をディヴァ…君と叶えたいんだ」
私を見つめるレオの瞳は、夢に満ちていた。
私も…あなたと一緒にいたい。
「私も神の導きとともに、あなたを支えると誓うわ」
教会で婚約式を済ませたその帰り道、コヴェントリーの町を見下ろす丘でレオフリックと私は明るい未来想像しその実現に向け力を尽くす事を誓った。
結婚後、レオは若くしてマーシア伯爵の称号を得ると、頭の良さとタイミングを生かし政治の世界にも力を発揮していく。
敬虔なクリスチャンの私とレオ。
まずはここに聖域を作ろうと、大修道院を建設する。その後も私財を投じ、次々と新しい修道院や教会を建て続けた。
レオは伯爵の称号の維持の為、その力を保持するため教会へ寄付を続ける。
寄付金額は膨らみ続けたがレオを支えるため、神に尽くすためと私は所有する金や銀、宝石を惜しみなく寄贈した。
神に仕える者の使命として、それが最良と信じていた。
しかし拡大し続ける聖域の建築に、私たちで用意出来る資金が限界を迎えた。
するとレオは領地のあらゆるものを課税の対象とし、肥料にまで税金をかけるようになる。
領民は多額の税金を徴収され、貧しい者はより貧しくなっていく。重税に苦しむ領民を見てもレオは何とも思わないのだろうか…。
次々と増税するレオと、日々減税を訴える私。
それを煩わしいと思うレオ。
それでもレオが課税をやめるまで、私は何度も減税を懇願した。
そんなある日のこと。
「レオ、お願い。これ以上の増税はやめて」
「そんなに減税をしたいのか?」
レオの前に跪き頭を下げて懇願する私にレオは大きなため息をついた後、ひとつの提案をしてきた。
「それならば、領民を守りたいというお前の覚悟がどれほどのものか見せてもらうとしよう。全裸で馬にまたがり、コヴェントリーの町を端から端まで乗り回せ。町の隅々まで走り抜く事が出来たならば、お前の望みをかなえてやろう」
悪魔のような提案に驚きレオの顔を見れば、どうせ出来ないだろうと見下すような笑みを浮かべていた。
レオと私。
どこですれ違ってきたのだろう。
いつからレオはこんな非道になったのだろう。
何も身に着けないで馬に跨り人前に出る。
貴族の妻として、女性としてこれほどの屈辱はないだろう。
それでも…
「……私が全裸で町を走り抜ければ…領民への課税は辞めてくださるのですね?」
「ああ」
「必ず。約束して下さいね」
「わかった」
翌日。
いつも通り部屋で神に祈りを捧げた後、服を脱ぐ。
そして緩くまとめた髪のリボンを解くと、長い髪はさらさらと体を滑るように広がり、まるで薄いベールを纏っているかのように体を覆い隠した。
「さあ、行きましょう」
部屋から出てきた私を、自身の外套でさりげなく隠すように歩いてくれる騎士二人。
私は馬に跨ると、護衛の騎士二人を伴なって屋敷の門をくぐる。
屋敷で働く者達が領民に事の成り行きを話しておいてくれたおかげで、町中の家々のカーテンは閉めきられていた。
いつもは大勢の人々で賑わっている路地や広場に人影はなく、町は静まり返っている。
人々の愛に包まれて、神の加護を受け、私は誰にも見られる事もなく町の隅から隅まで走り抜けた。
そうして屋敷に戻ると門の前に立つレオの姿があった。
笑顔で戻った私を見て、目を丸くして驚いている。
「ただいま戻りました。これで約束通りに領民への不要な課税はやめていただけますね」
。。。
「…それでマーシア伯爵はコヴェントリーへの課税をやめたそうよ」
「驚きました。このマークにそんな逸話が隠されていたとは…。それにしたって…ちょっとマーシア伯爵は酷いですよね」
自分の奥さんに全裸で…だなんて。
「ゴダイヴァ夫人やマーシア伯爵は実在の人物だけど、この伝説は事実ではないと言われているわ」
「それなら少し安心しました」
「現代でも増税反対のデモなどで時折全裸の女性や、裸に見えるスキンカラーの服の女性がいるのはゴダイヴァ夫人の真似なの」
なるほど。
「チョコレート会社の社名と関係はあるのですか?」
「チョコレート会社の創始者夫婦がゴダイヴァ夫人の勇気と深い愛に感銘し、社名にしたんですって」
僕は食べ終わった弁当のゴミを片付けながら、ゴダイヴァ夫人に思いを馳せる。
領民の為に女性が全裸でって…そうできる事じゃないよなぁ。
でも。
さらさらと揺れる桜子さんの髪を見ながら、桜子さんならやってのけそうだなと、そしたらちょっと覗き見してみたい気もする。そんな事を考えていると…
「そうそう。一人だけ覗き見した男がいて、その男は目を潰されたとか死をもって償ったという言い伝えもあるんですって」
桜子さんはそう言うと僕を見てニコリと笑い、空になったコーヒーカップを持ってキッチンに消えて行った。
「……僕の心を覗き見たようなタイミングでそんな事を言わないでください」
僕は桜子さんに聞こえないくらいの小さな声でそう呟いた。
ゴダイヴァ夫人《 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A1%E5%A4%AB%E4%BA%BA 》Wikipediaより
Wikipediaを検索すると、画家ジョン・コリアが描いた「ゴダイヴァ夫人」の素敵な絵画が紹介されています。
ゴダイヴァ夫人の名前は、古代春の女神、ゴットGodとディーヴァdivaからだそう。
拙い文章、最後までお読みくださりありがとうございました。