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1-8 櫻華蓮の夢

その晩、蓮は夢を見た。暗い水の中に引き込まれるような、苦しくて息ができない感覚。そこから蘇るのは、断片的な記憶――いや、それは「櫻華蓮」としての記録だった。



「お前は特別なサブだ。櫻華家の名誉を背負う存在として、己の役割を果たせ。」


冷たい声が、幼い僕――櫻華蓮の耳元で何度も繰り返される。大人たちの厳しい視線、形式ばった言葉、そして無表情な顔。僕はまだ幼かったけれど、「特別なサブ」としての教育を施される意味を、薄々感じ取っていた。


「サブって何?どうして僕はみんなと違うの?」


質問を口にした僕に、帰ってきたのは冷たい叱責だった。


「質問するな。お前はただ従え。それが櫻華家の掟だ。」


周囲の大人たちが僕に求めているのは「従順」だけだった。笑うことも、感情を表に出すことも許されず、僕はただ機械のように彼らの指示に従う日々を送った。



ある日、僕は神楽様に出会った。


「櫻華、今日からお前は神楽様のサブとなる。」


まだ少年だった神楽様は、鋭い金色の瞳で僕を見下ろした。その目はまるで僕の中身をすべて見透かすようで、怖かった。でも同時に、不思議な魅力を感じたのも事実だ。


「……よろしく……お願いします。」


僕が小さな声で言うと、神楽様は少しだけ眉を上げた。彼は口数が少なく、いつも冷静で、どこか感情を押し殺したような雰囲気を纏っていた。でも、彼の言葉や態度の端々に、僕への優しさのようなものが感じられる時もあった。


最初の頃は、神楽様が僕のことをどう思っているのか分からなかった。僕が何か間違えるたび、彼は言葉少なに諭すだけで、決して叱りはしなかった。でもその優しさが、僕にとっては余計に苦しかった。僕が彼の「完璧なサブ」になれないことが、いつも胸を締めつけた。



巫女が召喚されるという話が邸内に広まったのは、僕にとって静かな終わりの始まりのようだった。


「巫女様と契りを結ぶのは神楽様だ。お前はもう不要になるかもしれない。」


その言葉が、まるで刃のように僕の胸に突き刺さる。


「不要になる……?」


ずっと従順でいなければならないと思っていた。僕がそう努力してきたのは、サブとしての役割を果たすためだった。でも、それが必要とされないのなら――僕の存在には、いったいどんな意味があるのだろう?


(今まで何のためにこんなにも苦しい思いをしてきたんだ?)


教育と称した厳しい日々。誰かに認められるため、役に立つために身につけた従順さが、全て無駄だったとしたら。


「負ければ消される。」


囁かれた言葉が耳の奥に何度もこだまする。その声は、心の奥底にしまっていた不安を表面に浮かび上がらせる。


(僕は……消される?)


神楽にとって僕は何なのだろうか。彼にとって僕はただの役割――代わりの効く存在に過ぎないのだろうか。その答えを知るのが怖くて、僕は聞くことすらできなかった。ただ、胸の中に膨れ上がる絶望を抑えきれずにいた。


耐えられなくなって、僕は部屋を飛び出した。もうここにはいられない、何もかもが崩れてしまいそうだった。



重たい着物を引きずりながら、僕は無意識に庭を走り抜け、池のほとりで足を止めた。夜風が冷たく頬を撫でる中、水面に映る自分の姿をじっと見つめた。


「僕は……僕は何のために生まれてきたんだろう。」


鏡のような水面に映る自分の顔が、ひどく薄暗く、醜いものに見えた。自分の存在が否定されるような感覚に、涙が溢れそうになる。


その時、後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。


「櫻華!」


神楽様の声だった。振り返ると、彼が焦ったような表情でこちらに駆け寄ってくるのが見えた。


「どうして……!」


僕は何も答えず、ただ池の方に足を向けた。足元が滑る感覚があったが、それを止めようとは思わなかった。滑らせたのか、自分で飛び込んだのか――もうどうでもよかった。


冷たい水が全身を包み込み、息ができなくなる。視界が暗くなり、意識が遠のいていく。


(これでいい。これで……)


そう思った瞬間、水の中で誰かの腕が僕を掴んだ。力強く、迷いのないその腕に、僕はぼんやりとした安堵感を覚えた。



蓮は跳ねるように目を覚ました。胸が激しく上下し、全身が汗でびっしょり濡れている。夢の中で見た出来事が、まだ頭の中で鮮明に再生される。


「……あれが……櫻華蓮の記憶……?」


池に落ちた櫻華蓮。彼に巫女の話をしたのは誰なのか?そして、池に落ちた彼を助けたのは…神楽?


蓮は布団の中で拳を握りしめた。あの時の櫻華蓮の苦しみが、痛いほど胸に響いていた。


(……俺は、櫻華蓮じゃない。蓮として生き抜いてやる。)


そう自分に言い聞かせるように、蓮は静かに目を閉じた。神楽との因縁が、また一つ深まった気がしてならなかった。

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