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1-7 神楽からのケア

蓮は葵を見送り、一息つくと、少しふらつきながら自分の部屋へと向かった。廊下を歩く足取りは重く、体が思うように動かないのが悔しい。蓮だった頃なら、これくらいの距離を歩いたところで疲れるはずもない。それなのに――。


(こんな調子じゃ、どうやってこの世界でやっていけってんだよ。)


部屋の前に着き、襖を静かに開けた。中に入ると、やわらかな光が障子越しに差し込み、昼の穏やかな空気が漂っている。その静けさに、蓮は少しだけ安心した。


布団の脇に腰を下ろし、体を休めるように深く息を吐く。部屋には誰もいない。侍女たちがいなくなったことで、ようやく一人の時間ができた。


(……何をどうすればいい?)


蓮は自分の手を見つめた。指先には、緊縛師として鍛えた器用さがまだ残っている。だが、この体にはそれ以外の違和感が多すぎた。力が入りきらない筋肉、些細なことで疲れる体力。そして、自分の意志とは無関係に神楽や他のDomの言葉に反応してしまう本能。


(俺は蓮だ。この体が櫻華って誰かのものだとしても……俺自身が変わるわけじゃない。)


そう自分に言い聞かせるが、胸の奥にはどうしようもない苛立ちと不安が渦巻いていた。



蓮は布団の中で横になりながら、天井を見つめていた。体の重さとだるさが抜けず、頭の中は混乱したままだ。それでも、どこかで少しずつ、この世界に順応しようとしている自分がいることに気づいていた。


(……俺は蓮だ。なのに、この体は俺じゃない……。)


そんな思考の渦に飲み込まれていると、廊下から足音が聞こえてきた。それはどこか重みのある足音で、蓮の体が反射的に緊張する。


襖越しに低い声が響いた。


「櫻華、入るぞ。」


その声を聞いた瞬間、蓮の体がわずかに震えた。反射的に緊張しながらも、どこかで安心感が生まれる。この矛盾した感覚に蓮は戸惑いながら、「どうぞ」と小さく返事をした。


襖が静かに開き、神楽が部屋に入ってきた。金色の瞳が蓮をじっと見つめ、その表情にはどこか安堵の色が浮かんでいた。


「どうだ、体の具合は?」


神楽が問いかけると、蓮は軽く肩をすくめた。


「まだだるいけど……まあ、なんとか。」


その言葉に神楽は小さく息をつき、蓮のそばに腰を下ろした。静かに手を伸ばし、蓮の髪に触れる。その動作が驚くほど自然で、蓮は思わず視線を向けた。


「櫻華、お前がどう感じていようと、俺の役割は変わらない。」


神楽は低く落ち着いた声で言葉を紡いだ。その声は命令ではないが、言葉そのものに重みがあり、蓮の耳に深く響いた。


「“目を閉じろ。”」


蓮の体はその命令に逆らえなかった。意識的に抗おうとしたものの、目蓋が自然と下り、視界が暗闇に包まれる。そして、神楽の手が再び蓮の髪に触れ、そっと撫でられる。


「いい子だ。」


その一言が耳に届いた瞬間、蓮の脳内にじんわりと温かな感覚が広がる。体の緊張が解け、胸の奥に安心感が染み込むようだった。まるで心がほどけていくような感覚に、蓮は戸惑いを覚えた。


(……くそ、何だよ……。)


蓮は混乱しながらも、この感覚を拒むことができなかった。神楽の手の動きは穏やかで、まるで守られているかのような気持ちにさせられる。それが櫻華の体に刻み込まれた記憶から来るものなのか、自分自身の感情なのか、もはや区別がつかなかった。


神楽は続けた。


「お前は、この体の記憶に逆らえない。だが、それはお前を縛るものではない。逆に、お前を守る手段でもある。」


その言葉に、蓮はふと力を抜いた。神楽の支配力に対する反発心はまだある。それでも、彼の行動や言葉が櫻華の体を整えるためであることに気づいた瞬間、蓮は少しだけ肩の力を緩めることができた。


「櫻華……俺にお前を守らせてくれ。」


神楽の声はいつもの冷たさではなく、どこか切実さを帯びていた。その言葉に蓮は胸がざわつくのを感じる。


(……守る、か。)


蓮は目を閉じたまま、何も言葉を返せなかった。体が重さから解放されていく感覚に身を委ねるしかなかったのだ。神楽の手が髪を撫でるたび、脳内が幸福感で満たされていく。


「……お前が拒もうと、俺はお前を見捨てない。それだけは覚えておけ。」


神楽の声が部屋に静かに響いた。それは命令でも脅しでもなく、ただ穏やかで揺るぎない宣言のようだった。蓮はその言葉に内心で戸惑いながらも、どこか否定できない感情を覚えた。


神楽は静かに立ち上がり、布団を整えながら最後に言った。


「ゆっくり休め。無理をするな。」


蓮は目を閉じたまま、神楽の足音が遠ざかっていくのを聞いた。襖が閉まる音が響き、部屋には再び静寂が戻ったが、蓮の心は穏やかではなかった。


(俺を守る……? 何で……?)


頭の中に浮かぶ疑問と、胸の奥に広がる安堵感。その二つがせめぎ合いながら、蓮は深い眠りへと落ちていった。

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