1-6 薬師・葵との出会い
蓮は廊下の壁に寄りかかり、息を整えていた。身体が重く、だるさが全身を包み込む。
(……これくらい歩いたくらいで、こんなに疲れるなんて。)
自分が「蓮」だったときには何ともないことだった。それなのに、この体――「櫻華蓮」としてのこの体は、どこか弱々しく、全くエネルギーが湧いてこない。
(……これも、櫻華の体だからか。)
そんなふうに自分を納得させようとしたその時、背後から柔らかな声が聞こえた。
「櫻華様、大丈夫ですか?」
振り向くと、薬籠を手に持ち、穏やかな表情でこちらを見ている男がいた。その姿に、蓮はハッとする。みゆが見せてくれたあのゲームに登場した「葵」――それにそっくりな男だった。
「……ちょっと歩きすぎたみたいだ。」
そう言いながら、蓮は葵を観察した。他のDomたちが持つ圧倒的な威圧感や存在感とは全く違う。包み込むような優しさと、安心感さえ覚えさせる空気が漂っている。
「ご無理をなさらないように。少し脈を測らせていただけますか?」
「えっ、いや……大丈夫だと思うけど。」
「念のためです。」
葵は微笑みを崩さず、蓮の手首にそっと触れた。その指先から伝わる温もりに、蓮は自然と手を差し出してしまっていた。柔らかな感触が、自分でも驚くほど心を和ませる。
「少し早いですね。でも、大事には至らないでしょう。」
そう言いながら、葵は今度は蓮の額に手を当てた。そのひんやりとした感触が心地よく、蓮はほんの少し目を細める。
「熱もありませんね。ただ、櫻華様のお身体は完全に回復しているとは言えません。どうぞ無理をなさらないでください。」
「……あ、ありがとう……。」
蓮は素直に言葉を返したものの、自分でも驚くほど自然に口にしてしまったことに気づき、少し戸惑った。
「あとで、体力が回復するお薬と、気分が落ち着くお茶もお持ちしますね。」
葵の柔らかな声が、蓮の胸に染み込むように響いた。その瞬間、蓮の頭にみゆの言葉が蘇る。
『葵ってさ、穏やかだけど、実はドムなんだよね。優しいのに、意外と独占欲が強いんだから!』
(……この人も、Domか。)
蓮は無意識に眉をひそめた。神楽や紫苑、頼光とは明らかに違う。だが、その柔らかさの裏に隠された何かを感じるのもまた事実だった。
「本当に大丈夫ですから、気にしないで。」
蓮は少しぎこちない笑みを浮かべながらそう言ったが、葵は穏やかな表情のままじっと蓮を見つめていた。その視線には心配だけではなく、どこか探るような気配があるように感じられた。
「分かりました。それでは、後ほどお薬をお届けしますね。」
そう言い残して、葵は蓮に軽く会釈をするとその場を去っていった。
蓮は葵の背中を見送りながら、静かに息を吐いた。
(優しいけど……何を考えているのか分からないな。)
蓮の胸の中に、微かな不安が渦巻いていた。