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2-3

控え室の静けさが、二人の間に微妙な緊張感を漂わせていた。透花と頼光が試練に挑む間、蓮は落ち着きなく椅子に座り直したり、視線をそらしたりしていた。ちらりと神楽を見ても、彼は腕を組んで座り込んでおり、まるで動じる様子がない。


「なあ、神楽。」

沈黙に耐えきれず、蓮が口を開いた。


「なんだ。」


神楽は目を閉じたまま、低い声で答える。その穏やかな態度が、逆に蓮を苛立たせた。


「お前、本当にこんな試練に意味があると思ってんのか?コマンドに従わせて信頼関係が深まるって、どう考えてもおかしいだろ。」


蓮の口調には、わずかな反発が含まれていた。それでも神楽は目を閉じたまま、しばらく沈黙を守っていたが、やがて重い溜息をつくように口を開いた。


「意味があるかどうかは関係ない。この世界ではこれが『信頼』を示す形だとされている。それに、これを乗り越えなければ先には進めない。」


「でも、納得できないんだよ。」


蓮は拳を握りしめた。


「言霊だとかコマンドだとか、全部ただの形だけじゃないか。お前が俺に命令して、俺がそれに従う。それで何がわかるんだよ。そんなことでお前との信頼が証明されるわけないだろ。」


神楽は静かに目を開け、蓮を真っ直ぐに見つめた。その深い瞳の中に、微かな迷いと決意が混ざっているのが分かった。


「お前の言う通りだ、蓮。俺も同じ疑問を持っている。お前が従うかどうかだけで、信頼関係なんて本来は計れないはずだ。」


「だったら――」


蓮が食い下がろうとしたが、神楽は手を上げてそれを制した。


「だが、これがこの世界の伝統だ。俺たちがこの場で疑問を口にしたところで、試練そのものを変えることはできない。ならば、俺たちがすべきことは一つだけだ。」


「……従うしかないってことか。」


蓮は悔しそうに呟いた。神楽は少しだけ口元を緩め、柔らかな声で続けた。


「違う。お前が納得した上で従うことだ。俺はお前にただ命令を押し付けるつもりはない。お前が俺を信じると決めたときに、初めてその言葉に応えてくれればいい。」


蓮はその言葉に目を見開いた。神楽の言葉の裏には、蓮自身を尊重しようとする想いが込められているのを感じた。


「……なんだよ、それ。ずるい言い方だな。」


蓮は顔を背けたまま、小さく呟く。その耳まで赤く染まっているのを、神楽は見逃さなかった。



「透花様と頼光様の試練が終了しました。」


控え室の襖が開き、久遠が姿を現した。その声に、蓮と神楽は同時に立ち上がる。


「次はお二人の番です。準備はよろしいですか?」


久遠の問いかけに、神楽は静かに頷いた。そして、蓮に向き直り、短く言った。


「行こう。」


蓮は少し迷った後、神楽の目を見つめ返し、力強く頷いた。


「……ああ。」


二人は肩を並べて控え室を出る。試練の場へ向かう道中、蓮の胸の中にはまだ複雑な想いが渦巻いていたが、それでも一つだけ確信していることがあった。


(信じてみるしかない、か。)


神楽の横顔を横目で見ながら、蓮は小さく息を吐いた。どこかにまだ疑問が残る中で、それでも二人は次の試練に向かって足を踏み出した。


試練の場は神殿の中心に設けられていた。厳かな雰囲気が漂い、祭壇を囲むように古い文様が刻まれた石畳が広がっている。蓮と神楽が歩みを進めるたび、足音が静けさの中に響き渡った。


「ここが……試練の場所か。」


蓮は目を細め、周囲を見渡した。石畳には古い文様が浮かび上がっており、まるでそこに意志が宿っているかのようだった。その光景に気圧されるような思いが胸に広がる。


「信頼を試す試練の場として相応しいだろう?」


久遠の静かな声が響く。彼は祭壇の前に立ち、二人を見据えていた。相変わらず読めない笑みを浮かべているが、その背筋は一本の矢のように真っ直ぐだった。


「試練の内容を説明しよう。ここでは、言霊の力を用いてドムとサブの絆が試される。ドムは言霊によるコマンドを与え、サブはそれに従う。従うことができなければ、試練の場そのものが二人を拒絶する。」


久遠の説明に、蓮は眉をひそめた。


「従わなかったら……どうなるんだ?」


「試練の失敗を意味する。結果として次の試練に進むことはできない。もちろん、それだけでは済まないが……」


久遠は含みのある言葉で言葉を切った。その先をわざと語らないことで、威圧感を漂わせる。蓮は不満そうに顔をしかめた。


「こんな形で信頼を試すなんて、おかしいだろ。」


蓮がぽつりと呟くと、久遠は小さく肩をすくめた。


「これはこの雅国における伝統だ。お前たちの感情論で変えることはできない。それが受け入れられないなら、この場で辞退するか?」


蓮は言葉に詰まり、神楽に目を向けた。しかし、神楽は表情一つ変えず、ただ前を見据えている。


「蓮。」


神楽が低い声で名前を呼ぶ。その声に蓮は反射的に体を硬くした。


「お前が納得できないのは分かる。だが、これを乗り越えない限り、俺たちは先に進めない。俺たちがこの世界で生きるためには、やらなければならないことだ。」


蓮はその言葉に息を呑んだ。神楽の言葉には迷いがなかった。その姿を見て、蓮はようやく小さく頷いた。


「分かったよ。やるよ。でも……言っておくけど、こんなの本当に信頼を測る方法になるのか、最後まで疑問だけどな。」


「それでいい。」


神楽の声はどこまでも穏やかだった。



久遠が合図を送ると、祭壇の文様がぼんやりと輝き始めた。場の空気が変わり、緊張感が一気に高まる。


「では、始めよう。神楽様、まずはコマンドを。」


久遠の声が響く中、神楽は一歩前に出た。その目は真剣で、蓮を見つめている。


「蓮、俺のコマンドに従え。」


神楽の声には力が宿っていた。その響きに、蓮は一瞬、心を掴まれるような感覚を覚えた。


「……分かったよ。」


蓮は小さく息を吐き、気持ちを整えた。胸の奥にはまだ不安と疑問が渦巻いている。それでも、自分の意思で一歩を踏み出すしかないと覚悟を決めた。


試練の場が光に包まれ、いよいよ最初の試練が始まろうとしていた。蓮と神楽はその場に立ち尽くし、互いの目を見つめ合う。その瞬間、信頼という言葉が、ただの形骸的なものから、二人の間で本物へと変わるための第一歩を踏み出そうとしていた。


祭壇の光がますます強くなり、周囲の空気が緊張感で満ちていく。蓮は改めて深呼吸をし、目の前に立つ神楽を見つめた。


神楽はいつも通りの冷静さを保ちながらも、瞳の奥に何か強い感情を宿していた。それがなんなのか、蓮には分からない。ただ、その目を見ていると、なぜか胸がざわつく。


「蓮。」


神楽が静かに名前を呼ぶ。その声には、どこか特別な響きがあった。


「これが試練だ。だが、俺たちにとって単なる形式で終わらせるわけにはいかない。お前が俺を信じられないなら、それをここで示してくれて構わない。」


蓮はその言葉に少し目を見開いた。神楽が口にする「構わない」という言葉は、ただの脅しではない。むしろ、その裏には「信じてほしい」という祈りにも似た感情が透けて見えた。


「……お前、ほんと変わった奴だな。」


蓮は小さく笑いながら、肩をすくめた。


「俺が信じられるかどうかじゃなくて、ここでどうすればいいかだろ?だったら、やるしかねえよな。」


その言葉に、神楽の目が少しだけ柔らかくなった。それは、蓮に対する信頼と期待の証のようだった。



久遠が祭壇の端に立ち、声を上げた。


「試練の内容を説明します。この試練『言霊の契り』では、ドムが与えるコマンドをサブが正確に遂行することで、二人の信頼を示します。もしサブが従わなければ、試練は失敗となります。」


久遠の説明に、蓮は少しだけ眉をひそめた。


「要するに、俺が従わなかったら終わりってことか。」


「その通りだ。ただし、従わせるだけでは意味がない。この場が真の信頼を感じなければ、形だけの成功は認められない。」


久遠の含みのある言葉に、蓮は眉を寄せた。


(真の信頼ってなんだよ。こっちはまだ神楽のことを全部分かってるわけじゃないのに。)


神楽はそんな蓮の動揺を感じ取ったのか、小さく息をついて言った。


「蓮、俺の言葉を信じる必要はない。ただ、自分が信じられる範囲で答えればいい。それで十分だ。」


「……お前、ほんとズルいこと言うよな。」


蓮は呟きながら、深く息を吸った。そして、神楽の目を見つめ返す。


「やってみるよ。これでお前が何を考えてるのか、少しでも分かるならな。」


神楽は静かに頷いた。久遠が合図を送り、試練が始まった。



試練の第一段階『言霊の契り』


神殿の中、静寂を切り裂くように神楽の声が響いた。


「蓮――跪け。」


低く、確かな力を帯びたその一言に、蓮は一瞬反応が遅れる。しかし、その視線に逆らえず、渋々と膝をついた。石畳の冷たさがじんわりと膝に伝わる。


「ったく……こんなことで何がわかるんだよ。」


ぼやきながらも、蓮は神楽を見上げる。その目には不満が滲んでいたが、どこか従うことへの抗いきれない気配が漂っている。


「黙れ。次だ――前へ、来い。」


「……は?」


「俺の前まで、進め。」


神楽の言葉に、蓮は思わず眉をひそめる。しかし、その視線が揺るぎないものだと気づくと、舌打ちを飲み込んでゆっくりと前へ進む。わずか数歩の距離が、妙に長く感じられた。


「……これ、何か意味あんのか?」


「お前は余計なことを考えるな。ただ、俺の言葉だけを聞け。」


冷静に、けれどわずかに優しさを滲ませる神楽の声。その響きに、蓮は微かな安堵を感じた。


「次は――目を閉じろ。そして、そのまま動くな。」


「……はいはい。」


蓮は小さくため息をつきながら目を閉じる。視界が暗くなり、神楽の声だけが頼りになる。


「右手を、祭壇に置け。」


「……分かったよ。」


蓮はゆっくりと手を動かし、冷たい石の表面に触れた。その瞬間、石畳がかすかに震え、神殿の中に張り詰めた空気が一層強まる。


「蓮――左手で胸を押さえろ。」


「……なんだよそれ。」


「いいから、従え。」


神楽の言葉には抗いようのない力がある。蓮はしぶしぶ、左手を自分の胸に当てた。


その瞬間、静けさの中に奇妙な鼓動が響き始める。それは蓮自身の鼓動なのか、神殿の鼓動なのか――境界が曖昧になる。


「蓮、俺を信じろ。」


蓮の耳に届いたその言葉は、どこか不器用で、だが確かな温かみを感じさせるものだった。神楽の声が導くように、暗闇の中で蓮は目を閉じたまま、ゆっくりと息を吐く。


「……信じるよ、今だけはな。」


その言葉に応えるように、祭壇から一筋の光が放たれ、二人の間に伸びる。光は細い糸のように絡まり合い、やがて強く輝き始めた。


「第一試練『言霊の契り』、成功です。」


久遠の静かな声がその場に響く。蓮は力を抜き、目をゆっくりと開けた。光が収まり、目の前には神楽が立っている。


神楽は蓮の姿を見つめ、ふと小さく微笑んだ。


「……よくやったな、蓮。」


「……え?」


蓮は目を丸くして神楽を見つめる。褒められることなど想像もしていなかったのだ。


「お前は……俺の言葉をよく聞いた。それでいい。」


その言葉には、ただの指示を守ったことを褒める以上の意味が込められていた。神楽は蓮の中に何か確かなものを見つけ、それを誇らしく思っている――そう感じられた。


「……っ、別に褒めるようなことじゃねえだろ。」


蓮は顔を赤くしながらそっぽを向く。しかし、その頬が微かに緩んでいることに自分では気づいていない。


(何だよこれ……こんなことで、ちょっと嬉しくなってんじゃねえか。)


神楽は何も言わず、ただ静かに蓮を見つめる。その視線は厳しさの中に確かな信頼を含んでいた。


(こいつの言葉だけを聞く――今はそれでいいのかもしれない。)


蓮は小さく息を吐き、再び神楽の方を見た。その胸には、言葉にはできない何かが確かに芽生えつつあった。

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