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1-1 緊縛師、異世界へ転生する

ロンドンの劇場。舞台のライトがゆっくりと落ちると、場内に息を呑むような静寂が広がった。そして次の瞬間、割れるような拍手と歓声が響き渡る。その音が胸を軽く震わせた。


舞台中央に立つ俺、蓮は、熱気に満ちた観客席をじっと見つめながら、小さく息を吐く。


(よかった……俺の緊縛ショー、ちゃんと伝わったみたいだな。)


縄を操るパフォーマンスは決して派手ではない。だが、しなやかな動きで紡ぎ出す緊縛術と、パートナーとの絶妙な呼吸――それは、観客の視線を一瞬たりとも離さない力を持つ。


今日の舞台も例外ではなかった。緊張感と安堵が交錯し、それが歓声に変わる瞬間。そのすべてが、俺にとって何よりの報酬だ。


深く一礼し、舞台を後にする。


舞台袖に戻ると、パートナーのみゆが待ち構えていた。彼女は笑顔を浮かべながら駆け寄ってくる。


「蓮くん、今日も最高だったよ! 観客、みんな目を輝かせてた!」


俺は微笑みながら着物の襟を緩め、手早く縄を片付ける。


「ありがとな。まあ、観客が温かかったんだろう。俺なんてまだまださ。」


「謙遜しなくていいよ、蓮くんの技術は一流なんだから。」


みゆは俺のパフォーマンスの相手役として、舞台で支えてくれる存在だ。彼女の柔軟な対応や明るさには、いつも救われている。


だが、みゆがスマホを取り出した途端、急に目を輝かせて声を上げた。


「蓮くん、見て! 神楽様の新しいスチルが公開されたよ!」


「……神楽様?」


俺は首を傾げながら、差し出されたスマホの画面を覗き込む。そこに映るのは、豪華な平安風の衣装に身を包んだ美形の男だった。鋭い金色の瞳がどこか威圧的で、正直言って近寄りがたい雰囲気だ。


「この人! ゲーム『花ノ契』に出てくる超人気Dom! キャラ投票で常に1位なんだよ!」


「……いや、それがどうした?」


俺が疑問を口にすると、みゆはさらにテンションを上げて説明し始めた。DomとSubの世界観や、「信頼と絆がテーマ」という話。どれも聞き慣れない単語ばかりで、正直俺にはピンとこない。


「ふーん……つまり、支配されるゲームってことか?」


「それもあるけど、支配だけじゃなくて、絆を築いていくんだよ! 神楽様はね、最初は冷たそうなんだけど、実はすごく優しいの!」


彼女はスマホを握りしめながら熱弁を続けるが、俺は曖昧に頷きながら片付けに戻った。緊縛師という仕事柄、BDSMやその文化には触れたこともある。だが、それが俺自身に合わなかった。


緊縛をあくまでアートとしてとらえて、支配や服従という要素には距離を置いてきた。


みゆは話を続けながら、ふと真面目な顔で俺を見つめた。


「でもさ、舞台の蓮くんって、理想的なDomだと思うよ。自信に満ちてて、相手をちゃんとリードしてるし。」


「悪かったな。普段はSっ気ゼロで。」


軽く言い返すと、みゆは少し残念そうな顔をした後、笑顔に戻った。


「いいよ、私には神楽様がいるから!」


「それは良かった。でも、撤収するぞ。もう腹減って死にそうだ。」


「あと蓮くんの衣装をしまったら終わりだよ。」


「さすが、俺のパートナー。」


「もっと褒めてくれてもいいんだけど?」


「じゃあ、晩飯おごるか。」


「え、本当!? じゃあパスタのお店に行こうよ!」


「イギリスでパスタ??お腹が膨れるならどこでもいいけど」


軽口を叩き合いながら、俺たちは撤収作業を続けた。舞台から一歩降りれば、俺もみゆもただの人間だ。それが心地よかった。



夜のロンドン。冷たい風が吹き抜ける帰り道、みゆは『花ノ契』の話を楽しそうに続けていた。彼女の笑顔を横目に、俺も悪くない夜だと思った。


だが、その平穏は突如として破られる。


ライトが眩しく光り、猛スピードで迫る車が目の前に現れた。


「みゆ、危ない!!」


とっさに彼女を突き飛ばした瞬間、車の衝撃が全身を襲う。視界がぐらりと揺れ、暗闇が俺を飲み込んだ。



静寂の中、どこからか聞こえる雅楽の音色。それに混ざるように、穏やかな声が囁く。


「汝、櫻華蓮おうかれんとして、雅国に生を受ける――」


意識が浮上する。目を開けると、目の前に広がるのは見知らぬ天井だった。目に映る木の梁は、どこか古風で重厚な趣を感じさせる。全身を包む柔らかな布団の感触に、蓮は自然と息を整えながらゆっくりと上体を起こした。


「ここはどこだ……?」


呟いた声が自分の耳に届く。しかし、その声は確かに自分のものなのに、どこか遠い存在のように感じられた。胸の奥に奇妙なざわつきが広がる。


障子越しに差し込む柔らかな光、豪華な和風の装飾――非現実的な光景が蓮の脳裏を混乱させた。見渡す限り、ここが自分の知る場所ではないことだけが明確だった。


「……っ、体が……。」


布団から手を出し、自分の指先を見つめる。微かに震える指先の感触。それは確かに自分のものだ――だが、その違和感は消えなかった。自分の体であるはずなのに、どこか自分ではない。そんなズレが全身を支配していた。


部屋の外から微かな足音が聞こえた。さらにそれが近づくと、襖の向こうから静かな声が響く。


「櫻華様、ご無事で何よりです。」


次の瞬間、襖が静かに開き、数人の侍女たちが姿を現した。揃いの上品な衣装に身を包み、全員が深々と頭を下げている。その動作には丁寧さと、どこか恐る恐るとした気配が滲んでいた。


「櫻華……?」


思わず呟いた名前に侍女たちは反応を見せず、ただ恭しく立っているだけだ。蓮は混乱の中で強く息を吸い込む。


「いや、俺は櫻華じゃない。俺の名前は蓮だ。」


侍女たちは顔を上げることなく、わずかに目を見合わせるだけだった。その無言の対応が余計に蓮の不安を煽る。


「……何なんだよ、ここ……。」


そのとき、廊下の奥からまた別の足音が響いてきた。静かで威圧感のある、それでいてどこか整然とした歩調。蓮はそちらに視線を向ける。


襖が開く音が部屋全体に響き渡る。その瞬間、空気が一段と重くなったように感じられた。蓮は思わず息を呑む。


そこに立っていたのは、金色の瞳を持つ美形の男。豪華な平安風の衣装に身を包み、鋭い視線を蓮に向けている。目が合った瞬間、蓮の胸に圧迫感のような感覚が広がった。


(……誰だ、こいつ……。)


男は何も言わずに蓮をじっと見つめている。その視線が射抜くようにこちらを捉え、蓮は体の内側で何かがざわつくのを感じた。


「……神楽様?」


蓮の口からその名前が漏れた。自分でもなぜ知っているのか分からない――それでも確信していた。この男が「神楽」という存在だと。


金色の瞳を持つ男は、蓮の言葉に微かに表情を動かした。そして、低く威厳のある声で静かに口を開く。


「ようやく目覚めたか、櫻華蓮。」


その声はどこまでも冷たく、鋭く、蓮の中でさらに強い違和感を呼び起こした。

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