1-14 つきっきりの看病
柔らかな朝日が障子越しに差し込み、部屋の中をほのかに明るく照らしていた。蓮は瞼をゆっくりと動かし、意識を浮上させる。重い瞼を何度か瞬かせると、見慣れない天井が視界に映り込んだ。
(……ここは……?)
身体を起こそうとするが、残る微熱と全身のだるさが動きを鈍らせる。まだ頭がぼんやりとしている中、隣から優しい声が響いた。
「櫻華様、お目覚めになられましたか。」
振り向くと、葵がにこやかな微笑みを浮かべてこちらを見ていた。その柔らかい声と穏やかな表情が、蓮の緊張をふっと解きほぐす。
「葵……? 俺、どうして……。」
蓮が途切れ途切れに言葉を発すると、葵は布団を整えながら静かに説明した。
「昨日、少し体調を崩されたのですよ。雨に濡れたことが原因で熱を出されたのです。でも、もう大丈夫。少しお休みになれば元気になります。」
葵の言葉に、蓮は微かに安堵の息を吐く。それでも、頭の片隅でひっかかるものがあった。
「……神楽は……?」
その名を口にした瞬間、葵の微笑みがさらに優しさを増す。
「神楽様なら、一晩中こちらでお傍にいらっしゃいましたよ。先ほどようやく少し休まれるようお勧めしたばかりです。」
その言葉に蓮は目を見開いた。あの冷酷そうな神楽が、自分のために夜通し付き添っていたという事実が信じられなかった。
(……あいつが、俺のために……?)
「櫻華様、少し軽いお食事を取られますか? それとも、もう少しお休みになられますか?」
葵の問いかけに、蓮は少し考え込むようにしてから答えた。
「……軽く何か食べたい。」
「かしこまりました。お粥をお持ちしますね。」
葵が静かに立ち上がり、部屋を出ていく。その背中を見送った蓮は、布団に沈み込むように再び目を閉じた。昨夜の記憶がぼんやりと蘇り、胸の奥で小さな何かがじんわりと広がる。
(……あいつ、俺を放っておけなかったんだろうな。)
普段の冷たさや威圧的な態度を思い出しながらも、見え隠れする優しさが胸を締め付ける。その時、静かな足音が近づき、襖が軽く開いた。
「目が覚めたか。」
低く落ち着いた声が部屋に響く。蓮が顔を上げると、そこには相変わらずの冷静な表情ながらも、どこか安堵の色を浮かべた神楽が立っていた。
「……神楽。」
蓮は自然とその名前を口にした。体調のせいもあり、声はどこか弱々しい。だが、それ以上に、神楽の姿に妙な安心感を覚えた自分が悔しかった。
「体調はどうだ。」
神楽が短く問うと、蓮は少しだけ視線を外しながら答えた。
「……まあ、なんとか。」
神楽は頷き、布団の端に腰を下ろす。その仕草は慎重で、普段の厳しさとは異なる柔らかさを感じさせた。
蓮はふと目を伏せ、昨夜のことを思い返す。雨の中、迎えに来てくれた神楽。あの冷たい声の中に、確かに感じた微かな温もり――そして、倒れた自分を抱き上げてくれたこと。
「……ごめん。」
蓮が絞り出すように呟く。その声に神楽は眉を動かし、蓮をじっと見つめた。
「俺……お仕置きだったのに、逃げ出して……。」
蓮の自責の言葉を遮るように、神楽は短く息を吐いた。
「謝る必要はない。」
驚いて顔を上げる蓮の前で、神楽の表情がほんの少しだけ和らいだ気がした。
「俺が仕置きだと言ったのは事実だ。だが、お前をこんな状態にさせたのは俺の責任だ。」
その言葉に、蓮の胸がぎゅっと締め付けられる。冷徹で完璧主義な神楽が、こんな風に自分の行動を悔いていることが信じられなかった。
「でも、俺が逃げ出したから……。」
蓮が弱々しくそう言うと、神楽は静かに首を振った。その目は、普段の厳しさの中に何か別の感情を宿しているように見える。
「逃げた理由を否定はしない。ただ、お前が無理をしていることに俺が気づけなかった。それが全てだ。」
短い言葉の中に、神楽の不器用な優しさが滲んでいた。その言葉を聞いて、蓮は少しだけ微笑む。
「……お前、意外と面倒見がいいんだな。」
「そう思うなら、二度とこんな無茶をするな。」
神楽の低い声は叱責のようでありながら、どこか穏やかだった。その背中を見送りながら、蓮はふと呟いた。
「……ありがとう。」
神楽の足音が遠ざかり、静かな朝の空気が部屋に満ちる。蓮はふと顔を上げ、障子越しに差し込む朝日を見つめた。胸の奥で広がる温かな感覚を、彼はまだどう受け止めればいいのか分からなかった。
ただ一つ分かったのは――この世界で、少しずつ「居場所」が生まれつつあるということだった。




