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1-12 雨の日の記憶

街を歩き回っているうちに、蓮は足が重くなってきた。平安時代を思わせる街並みを見て回るのは楽しかったが、慣れない草履と着物が疲労感を倍増させる。


「……くそ、さすがに疲れたな。」


立ち止まった蓮の顔に、ぽつりと冷たい滴が落ちた。見上げれば、灰色の空が広がり、ぽつぽつと雨が降り始める。やがて本降りになり、露天商たちが慌ただしく品物を片付け始め、通りのざわめきも雨音にかき消されていった。


「雨か……」


蓮は濡れた着物の裾を握り、雨宿りできる場所を探して歩き出した。しかし、雨の音が不意に過去の記憶を呼び起こす。


(……そうだ。あの日も雨だった。)


孤児だった頃、行くあてもなく冷たい雨の中を彷徨っていた自分の姿が蘇る。肌を刺すような雨の冷たさ、びしょ濡れになりながら感じた心細さ――そんな時、自分に救いの手を差し伸べてくれたのは椿だった。


「うちに来るか? 雨風くらいならしのげるだろう。」


あの日の微笑みは、今でも鮮明に蓮の胸に残っている。


(……会いたい。でも、叶わない。)


叶うはずもない願いに胸が締め付けられる。雨音が孤独感を深めるようで、蓮は小さく息をついた。



その時だった。雨の中、蓮の目の前に現れたのは濡れた黒髪を滴らせ、金色の瞳で鋭くこちらを見据える男だった。巫女の召喚に参加しているはずの神楽だ。


「また逃げ出したな。」


低く冷たい声が、雨音に紛れることなく蓮の耳に届いた。その冷ややかな視線に蓮の体は一瞬強張るが、すぐに反発心が湧き上がる。


「……お前、巫女の召喚に行ってたんじゃなかったのか?」


蓮は疲れた声で問いかけると、神楽は濡れたままゆっくりと歩み寄ってきた。その動きには迷いが一切なく、威圧感に満ちている。


「抜け出したと聞いてな。迎えに来ただけだ。」


「別に逃げたわけじゃない。ただ……あの屋敷にいるのが苦しいだけだ。」


蓮は雨に濡れながら神楽を睨みつけた。神楽の瞳がわずかに揺れた気がしたが、すぐにいつもの冷静な表情に戻る。


「苦しいなら、なぜ黙って出て行く?」


「言ったところで、どうにかなるのか?」


蓮の苛立ち混じりの言葉にも、神楽は動じず、冷たい声で命じた。


「……こっちに来い。」


その言葉が響いた瞬間、蓮の体が自分の意思とは無関係に動き出した。抗おうとしても足は止まらず、神楽の目の前で立ち止まるまで引き寄せられる。その不可解な力に、蓮は歯を食いしばった。


「またコマンドかよ……!」


コマンドの力に怒りを覚えつつも抗えない自分に苛立つ蓮。その反応を冷静に見つめる神楽は、蓮の濡れた髪にそっと手を伸ばした。


「雨に濡れると、風邪を引く。」


その何気ない一言に、蓮は動揺した。冷たいはずの手がどこか温かく感じられる。そして、その仕草に込められた優しさが蓮の心を揺らした。


「お前のことが……放っておけないだけだ。」


神楽の言葉が雨音に溶け込むように響く。その金色の瞳に宿る感情が本物か、ただの気まぐれなのか、蓮には分からなかった。ただ、それが心に爪痕を残したのは確かだった。


「……俺は、お前の言いなりにはならない!」


蓮は震える声で叫び、怒りと反抗心を剥き出しにする。

蓮の反抗的な声が雨音に掻き消されることなく、静かに響いた。神楽はその言葉を受けても表情を崩さない。金色の瞳は、蓮をじっと見据えたまま、どこか冷徹に、そして僅かに複雑な感情を宿しているようにも見えた。


「言いなりにならないなら、それを証明してみせろ。」


低い声が蓮の胸を刺すように響いた。挑発にも似たその言葉に、蓮は思わず口を開きかけるが、喉元で止まる。自分の気持ちをどう表現すればいいのか分からない苛立ちが、さらに蓮を追い詰めていく。


「お前は……」


蓮が何かを言いかけたその瞬間、神楽は蓮の腕を掴み、力強く引き寄せた。突然の動きに蓮はバランスを崩し、神楽の胸に倒れ込むような形になる。濡れた着物が冷たく肌に張り付き、神楽の体温が不意に近く感じられた。


「もう十分だ。」


短くそう言い放つと、神楽は蓮をそのまま引き寄せ、雨の中を歩き始めた。蓮は驚きながらも、腕を振り解こうとする。


「ちょ、何して――」


「黙れ。」


神楽の冷たく鋭い声に、蓮は息を飲んだ。命令ではない。ただの言葉だ。それなのに、その威圧感は蓮を縛るコマンド以上の力を持っていた。


「お前がどこへ逃げようと、俺が迎えに来る。それが俺の役目だ。」


淡々とした言葉だったが、そこに宿る確信が、蓮の胸を微かに締め付けた。反抗心が言葉にできず、代わりに肩を震わせるだけの自分に腹が立つ。


雨音だけが二人の間を埋める中、神楽の足は止まらない。濡れた髪が滴を垂らし、二人の着物は雨を吸って重さを増している。それでも神楽の手は蓮の腕を離さず、その足取りには迷いがなかった。

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