第6話「身の上話」
マリーは、どちらかといえば裕福な家庭に育った。両親の愛を一身に受け、目指した魔導師の中でも彼女は優秀な才能を持っていた。だから恵まれた人間は得てして機会を持ち、優れた人間は産まれた時から幸福なのだと思い込んだ。
それが間違いだったと目の前の少女の話に気付かされ、あまりにも愚かな考え方だったと打ちのめされた。エデルは怒りどころか苛立ちさえしなかったから。
「それにしても、たくさん食べますわね」
「……食べるの好き、だから?」
「なるほど。では、わたくしの分のデザートもどうぞ」
スッと差し出したパフェを横からスプーンで取り上げ、「ああ、それは助かる」と誰かがソフトクリームをぱくりと食べて満足げにした。腰まで伸びた長い髪。黒に近い濃紺に染めていて、鋭い目つきと凛とした雰囲気。菖蒲色に金縁のローブは、他の階層では一度も見かけなかった色だった。
「はあ……。エルダー・キリウ。横取りはやめて下さいませ」
「なんとも冷たい物言いだな。態度を改めたまえ」
気付かぬうちにパフェは彼女の手にあった。いつ取ったのか、エデルもマリーも見えなかった。周囲にいた生徒たちも、全員がそうだ。
「実験に失敗してね、甘いものでも食べなければ最低な気分なんだ。部屋がまた真っ黒焦げで、悩みの種も尽きない。このままじゃ夜も眠れんのだよ」
キリウの視線が、エデルに向く。
「見ない顔だ。私は魔塔で最も記憶力が良い人間だと自負があるが、お前の顔にはちっとも見覚えがない。だが、その白いローブはケリドのものか」
「エデル……エデル・マールブランシュです」
パフェを置き、なるほど納得とスプーンでエデルを指す。
「先に名乗るとは出来がいい。では改めて私も自己紹介させて頂こう。エルダー・キリウ……キリウ・ニールセン。魔塔第一の賢者にして、百年は生きてる古参も古参。専攻は治療魔法だが、不老不死の研究などもしている。今は若返りの秘薬しか作れないが、いつか必ず完成させてみせよう。あと三百年は掛かりそうだがな」
椅子に座って、頬杖を突きながらため息をつく。
「若返りの秘薬で十分だろうと言う奴らもいるが、それでは事足りない。完璧な不老不死の秘薬を創れてこそ、私の研究は完成するってのに……これがまた貴重な素材を無駄にして燃えクズに変えるのが趣味の女に思われていて、まったく不愉快だよ」
キリウの愚痴をエデルは興味深そうに耳を傾ける。若返りや不老不死は人間にとって夢のような話だが、そのどちらかにでも辿り着いているのだから、感心するほかなかった。魔導師たちから見れば大したことはなくても。
「いつからいるんだ、三日も研究室に詰まってると何も分からん」
「今朝からですわ、エルダー・キリウ。この子、とても凄いんですのよ」
「ほお、そりゃ興味深い。どうだ、私の研究室も覗きに来ないか」
今は黒焦げだが、と苦笑いをしてパフェの最後のひと口を食べる。
「私が行って、大丈夫?」
「うん? 構わないが、なんだ。歯切れの悪い喋り方だな?」
「あ……ごめん。なぜか、話すのが苦しくて」
喉がいちいち引っ掛かる。殴られて家を飛び出したあとの事だ。すっかり喋ってなかったが、今になって話し難くなっている事に本人もやっと気付いた。
「フウム、事情がありそうだな……。では私の研究室で続きを話そう」
周囲に聞かせる話でもなさそうだと、キリウは食事が終わった彼女たちを自分の研究室へ案内した。『一番目の大賢者』の研究室は、扉を開ける前から既に焼け焦げた臭いを漂わせていたが、気にする様子もなく二人を迎え入れる。
「好きなところに座って……あぁ、まあ、ちょっとソファが焼けてしまっているが……良い色だろ、マフィンみたいだ。味は最悪だろうけどな」
「ジョークなら聞きたくありませんわ、エルダー・キリウ」
いつもの事だろ、とぶつくさいいながら自身の椅子に座って、退屈そうに机へ足を乗せる。研究に失敗して今日はやる事がなくなってしまっていた。
「さて、色々と話を聞きたい。エデル・マールブランシュとか言ったか、身の上話を聞くのは子守唄よりも退屈なんだが、美味いパフェを奢ってもらった礼だ、気が変わる前に話してくれれば最後まで頭の中に入れておいてやろう」
エデルはまた、自分の身に起きた話をする。マリーが信用できる人だと言ってくれなければ言葉を紡ぐことはなかっただろうが、聞き終えたキリウは、たしかに腹立たしそうに「下らん奴らがいるものだ」と呟いて眉間にしわを寄せた。
「しかし、なるほど。話すのが苦手になった原因は、受けた苦痛に対するショックのようなものだな。これからはここで生活するんだから、少しずつ慣れていければ忘れられるだろう。ま、リハビリをする手もあるが、それはお前次第だ」
机の引き出しから小さな杖を取り出す。キリウが軽くエデルに向けて振った。淡い紫紺の光がふわっと舞って、エデルの周囲に取り巻いて消えた。
「少し勇気が出る魔法をかけてやった。多少の手助けでしかないが、お前の中から厄介な過去を取り払うのに役立ってくれるはずだ」