第5話「新しいお友達」
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────魔塔は数十の階層からなる。実践や講義を受けたり、図書などを管理する階層を挟みながら、各階級毎に五層ずつの寮が割り振られており、最上層から六層目のフロアにはポインターにのみ与えられる部屋があった。
エデルは、そのフロアにある空室で暮らす事になった。
まだマリーやフラン以外のポインターとは出会っておらず、他の部屋がいくつもあったのを見て、きっと自分よりも優秀な人たちがたくさん在籍しているに違いないと思った。その中で、もしリンハルトに認められる人間がいるのだとしたら、その魔導師はきっと他の誰よりも抜きんでた実力を持っているに違いない。
少しだけ、どんな人物なのかが気になった。
「……はあ。なんだか大変……」
ベッドにごろんと寝転がる。昔暮らしていた家にあったベッドよりもずっとふかふかで、優しく迎え入れるように身体わふわんと柔らかく跳ねさせた。
魔導師。本では見た事があるし、噂程度に耳にした事もある。だが、まさか彼女はそれに自分がなるとは思っていなかった。遠い世界の話。雲の向こう側に広がる夢物語。そんなふうに信じていた事だったから。
うっすら眠気がやって来たとき、ドアが幾度か叩かれた。
「だれ? だれでもいいんだけど……」
呼びかけてみると、ドアの向こうから「わたしくです」と淡々としたマリーの声が聞こえた。彼女は開いていたドアからそっと顔を覗かせる。
「謝罪がしたくて。今日の事、すみませんでした」
「別に必要ない。何も気にしてない、あれは私のためだったのでは」
「エルダー・ケリドがそう仰ったのですか?」
エデルが首を横に振ると、マリーは心底呆れてため息をつく。
「あなたって、ひどいお人好しですのね。でも、まあ、いいですわ。せっかくですから、少しお話しませんこと? ちょうどお昼ですし、食事でもしながら」
リンハルトやケリドの事を聞いて、すっかり頭が疲れたあとだ。食事に誘われると、今日までまともなものを口にしていなかったのを思い出して、ごくっと唾を呑む。そういえば途中の階層で良い匂いがしたのだと興味津々になる。
「じゃあ食堂へ行きましょうか。中階層にあるんですのよ」
魔塔に来る魔導師たちが楽しみにするのは一番に魔法の研究が行える事。その次に食事、睡眠と続くと言われている。そのためか、食堂で提供される料理は一級品。高級レストランにも負けないだろうとマリーは言った。
彼女に連れられて足を運んでみれば、まさにその通りだった。見た目にはただの食堂だが、さらに盛り付けられた料理はエデルに神々しく映った。
「こ、ここってどれだけ食べても問題ない?」
「ええ。食堂だけは与えられた階級に関係なく、好きなだけ」
その言葉通りに、あれこれとメニューにある気になったものを注文すると、それはもう山盛りという表現が正しいくらいの量になった。他の学徒たちは驚いて視線が釘付けになる。マリーも不思議そうに見つめて小首を傾げた。
「本当にそんなに食べられますの……?」
「えっ、あっ……多分、食べられると思う」
ばくばくと勢いよく、遠慮の欠片もなしに平らげていく。
「久しぶりだった。もともと貧乏で」
「そうなんですのね。どんな生活を送っていらしたのです?」
「えっと、実は、その……」
あまり話すのは乗り気ではない。暮らしていた町で、どれほどの苦痛を受けたのか。自分を良く知ってくれている人たちでさえ、彼女を捨てたのだから。
それでも打ち解けるためには必要なのかもしれない、とエデルは打ち明ける。自分の身に起きた不幸は誰かに話すような中身とは到底言えない、泥にまみれた話だ。聞きたいと思う人間もいないかもしれないが、言うべきだろう、と。
身の上話を聞いたあとでマリーはとても心苦しい気持ちになった。魔法など知るはずもなければ、知る機会もなかった。そんな事情も知らずに──いや、知ろうともせずに──彼女を貶めようとした自分の狭量さにがっかりする。
「わたくしとした事が大変失礼を。あなたの事情も知らずに、悪いことをしてしまいましたね。エルダー・ケリドもその事を?」
「分からない。今知ってるのが分かるの、リンハルトだけ」
久しぶりのまともな食事に満足して、デザートに手をつける。甘いケーキの味は、どれくらい食べていなかったのかも分からないほど遠い記憶だ。
「そうですか、エルダー・リンハルトが。あなたのような才能のある方が羨ましいですわ、境遇は別にして。……わたくしは、ポインターに選ばれるまで随分と掛かりましたから。簡単じゃないんですよ、本来、エルダーの生徒になるのは」
大賢者である最高位の魔導師たちは忙しく、暇を持て余しているふうに見えるケリドでも大半は研究室に引きこもっているか、数カ月は魔塔を空ける事もある。各地で魔物の調査などを行ったり、規模の大きな魔法の実験を安全な場所で行うためだ。
「……エルダー・リンハルトは才能だけで人を選びませんし、エルダー・ケリドにしても生徒を選ぶときは慎重です。その二人があなたを選んだ理由、わたくしにはまだ分かりませんが、きっと素晴らしい才能をお持ちなのでしょう。どうか誇ってください。わたくしも今度は歓迎致しますわ。新しいお友達として」