02.痩せゆく伯爵
辺境伯爵ポヨン・プニポヨは信頼する執事のキレールにどうしたら痩せるのかを調べるように命じた。
それから、とりあえず食事の量を減らすことにしてみた。
肥満の美を追求するために今まで無理して食べていた毎日の食事を減らしたことによって、ポヨンはすぐに瘦せ始めた。
しかし、ほどなくしてそれ以上体は軽くならなくなった。
「食事の質を変えるのが良いでしょう。あまり食べることのできない庶民たちはいずれも痩せていますが、食べる量だけではなく食べているものが全く違います」
「そうか。そうしてみよう。私は美食へのこだわりなどもう捨てた。メタボリカを取り戻すためなら一生涯粗食でも構わない」
「ご立派な志です。メニューは私が厨房の者に提案しておきます」
そして、麦がゆや鶏肉のささみ、野菜のスープなどの慎ましい食事をポヨンは食べ続けることになった。
最初は食べ慣れなくて苦心したが、徐々に味気無さにも慣れてきた。
食事の質量を変えたことによってポヨンは大きく痩せることになった。
そのころにはプニポヨ辺境伯ポヨンが乱心した、という噂は王国の社交界で広まっていた。
その体格の良さと丸さから肥満伯という美名をとっていたポヨンが、今では進んで痩せようとしているというのだ。
ポヨンの巨体に抱かれることに憧れていた社交界の淑女たちは、こぞってその肥満美が失われゆくことを嘆いていた。
男たちはこぞってポヨンを「痩せゆく伯爵」と呼び、嘲った。
だが、口さがない人々にどのように言われようともポヨンの気持ちは変わらなかった。
「キレール、私はもっと早く痩せたいのだ。調べはつけてくれたか?」
「お喜びください。ポヨン様はオナカ・ポッコリーノ侯爵の名をご存じですか? およそ200年前の人物ですが」
「ポッコリーノ候?」
「オナカ様は小柄ながら豊かな腹部を持たれていた方で、別名満腹候と呼ばれていました。しかし、医師から余命が短いことを宣告されて、こう叫んだといいます」
キレールは書物の内容を暗唱するように言った。
「私は享楽の果ての短命よりも長命を欲する、と。そしてそれ以来痩せることを志したそうです」
「ほう。痩せる理由は僕とは違うが、目指すところは近いな」
「そのポッコリーノ候の手記を、王立図書館で見つけることができました。今私が読んでいるところです」
「それは興味深い! どのようなことが書いてあった?」
「痩せゆく苦しみとか、なかなか痩せない悩みとか、あとはどのような生活習慣を持っていたか、食べ物のメニューなどです」
「それは大いに役立ちそうだ。読み終わったら私にも貸してくれ」
「書籍のまた貸しは図書館で禁じられておりますから、一度返却をしてポヨン様の名前で借り直します」
万事きっちりしておかないと気が済まない性格のキレールは、そのように言って頭を下げた。
その手記はポヨンの役に立った。何より、先駆者がいるということが分かって非常に心強かった。
ポヨンは空腹によく耐えたが、思うほどに早くは痩せていかなかった。
そんな中、ポヨンはポッコリーノ候の手記から運動、と書かれている部分に目を付けた。
「キレール、この運動というのはなんだ?」
「体を動かすことそのもの、でしょうか。特に目的もなく、しいていうなら体を動かすこと自体を目的として体を動かすのです」
「下級兵士が戦場で生き残るために体を鍛えるのとは違うのか?」
「そう、ですね……。なにかそういう実用的なものとは違うようです。それ自体を楽しむようです」
ポヨンは軽く衝撃を受けた。何かが欲しいから金を使うのではなく、金を使うこと自体を目的として金を使う、というようなことと同列のように思われたからだ。
「ポッコリーノ候によれば、それが痩せるために非常に効果的だとあるな」
「はい、確かにそう書いてあった記憶があります。なさるのですか、運動を?」
「体を動かすこと自体を目的として体を動かすなど馬鹿馬鹿しいと、以前の私なら思ったことだろう。しかし、先駆者がそう書いているのならば試してみようじゃないか」
ポヨンはひとまず、特に何の目的もなく乗馬をして、ただ伯爵家の屋敷から遠くに出かけて帰ってくるということを繰り返した。
その奇行はまたたくまに、目撃した人々の口から口へと伝播していき、気の触れた痩せゆく伯爵が意味もなく馬に乗って遠出しているとささやかれた。
それは伝奇物語好きの妄想力ゆたかな誰かによって、気狂いの伯爵が国の方々に呪いの粉を振りまいているのだ、などという作り話になってささやかれたりもした。
それは巡り巡ってキレールの耳にも入り、キレールはそれをポヨンに報告せざるを得なかった。
「僕自身は何を言われようとも気にしないが、噂を本気に受け止める人がいたら気の毒だ。乗馬で遠出をすることはやめよう」
ポヨンは部屋の中で下級兵士がやるような地味な筋力トレーニングを積み重ねたり、伯爵家の周囲を走り込んだりすることにした。
そのようにして半年余りを過ごした結果、かつては人を包み込むかのような包容力を見せて存在していた贅肉はすっかり落ちてしまった。
代わりに人をはねのけるような筋肉がポヨンの身についていて、ポヨンはそれを嘆いた。
「どうしようキレール。私の身体はどうしても細くはなりにくいようなのだ」
筋肉というのは、この時代フトッテル王国ではやや卑猥なもののように受け止められていた。人の肉体は神によって作られた操り人形のようなものと考えられていたのだが、筋肉とはそのからくりの糸のようなものであり、見ても見なかったことにするのが礼儀とされていた。
豊満なぜい肉によって筋肉が目立たないようにするのがこの時代の美意識であり、下級兵士や踊り子のように筋肉を発達させた肉体は魅力的ではあっても、いささか品が無いものと捉えられていた。
「それならば、ポヨン様の体質に合わせて時代を変えてしまえばいいのです」
キレールはあるじのために新たな提案をしてきた。
「筋肉は美しい。いや、筋肉こそが美しい。そのように皆が考える時代を、ポヨン様が切り開くのです」
「な、なんだって!?」
ポヨンは驚愕した。
「ファッションも、筋肉を目立たせるファッションを考案して社交界に旋風を巻き起こすのです。そしてメタボリカ様にも筋肉を身に着けていただきましょう!」
「……」
ポヨンはしばらくの間、声を出すこともできなかった。だが、意を決してうなずいた。