01.婚約破棄、その理由
「婚約破棄、だと?」
マンマール伯爵家を訪れるなり言い渡されたその言葉に、プニポヨ伯爵家を継承したばかりのポヨンは驚いて聞き返した。
少年時代から親同士の話し合いによって許嫁となり、その後は二人で順調に愛を育みあって来たつもりだった。
親同士が決めた結婚相手というだけではなく、政略結婚でもなく、ポヨン・プニポヨとメタボリカ・マンマールの間には確かな親愛の情が生まれていたとポヨンは信じていたのだ。
「大変申し訳ありません……。本人のたっての願いなのです。自分のことはどうか忘れてほしいと」
マンマール伯爵はその場に身を投げ出さんばかりに詫びて、ひたすらに頭を下げるだけであった。
プニポヨ家はフトッテル王国の辺境地帯を守る辺境伯であり、同じ伯爵位といっても実際の格はマンマール伯爵家のほうがかなり下である。
そのマンマール伯爵家が、正式な使者もよこさず、新当主たる自分の元へ祝いの品を寄越したきり連絡も絶っていた。
どういうつもりかとポヨン自ら出向いて確認に来てみれば、伯爵令嬢メタボリカの強い希望で婚約を破棄したいという。
「なにがなんだか話が分からない。私が何かメタボリカの不興を買うようなことをしたというのか?」
辺境伯の後継者であったポヨンの元には言い寄る女が数多くいた。その中には正直、ポヨンの心を引くような好みのタイプだっているにはいたのである。しかし、ポヨンは一心にメタボリカのことを思ってそのような誘惑からは身を遠ざけてきたのだった。
「どうか、なにとぞお引き取り下さい。この非礼は幾重にもお詫びいたします。伯爵家がどうなっても構いません」
小柄で小太りのマンマール伯爵と痩せ気味の伯爵夫人は、心の底からポヨンに済まないと思っているようだった。
「私が聞きたいのはあなたたちからの謝罪の言葉ではありません。せめて、メタボリカに一目会わせてください。彼女の口から私を嫌いになった理由を聞いて、せめて本人から婚約破棄を言い渡されたい。このままでは納得がいかないのです」
「それは、それはなにとぞお許しを、ポヨン様……」
マンマール伯爵夫婦がポヨンの大柄で肥満な体に縋り付いたとき、
「いいのよ、お父様。私からお話するわ」
という女の声がした。
「メ、メタボリカ? メタボリカなのか……?」
奥の廊下から応接室に姿を現したのは、みすぼらしくやせ細った金髪の女だった。
それはポヨンの記憶にある、あの丸々とした豊満な肉体を持ったメタボリカの姿とはあまりに違っていた。
「声で分かるのねポヨン様。この私の変わり果てた姿を見て、さぞかし驚いたことでしょうね……」
ポヨンは驚きで声も出せなかった。そのメタボリカの姿は、強いていうなら母親によく似ていた。
この国の美の基準からすれば、やせぎすな女はお世辞にも魅力的とは言えない。適度に肥えた父親に似てメタボリカは子供時代から小太りであったが、少女時代を通じて美食に励んだ結果、豊満な魅力を放つ肉体美を備えるようになっていたのだ。
そのメタボリカが、まるで別人のように痩せてしまった。
「いったい何があったんだ。突然どうしたんだ」
ポヨンは弱々しい声でそれだけを問うた。
「分からないの。王都の社交パーティから帰ってから体の調子を崩してしまって、下痢と発熱が止まらなくなって食事もあまり食べられなくなってしまった。何かの病にかかったのかもしれないけれど、伯爵家の医師にも原因がつかめなかったわ」
「おお、哀れなメタボリカ」
父親のマンマール伯爵がメタボリカに駆け寄って抱擁した。母親の伯爵夫人はその場で泣き出してしまった。
「どうして婚約破棄をお願いしたのか、理由は分かったでしょう? 私はその日以来食が細くなってしまって、体質が変わったようなの。もう以前のようには太れないと思う。あなたが愛してくれたメタボリカはもういないのです」
「待ってくれメタボリカ。私は確かに君の丸さと美しさに惹かれていた。でも、それは見た目の丸さと美しさだけに目を奪われていたわけではない。初めに何も告げないまま婚約破棄をしようとしていたのは、僕のことを慮ってのことだろうと思う」
ポヨンは力強く言った。
「姿かたちは痩せてしまっても、君の心は変わらず丸く美しい。僕は婚約破棄を拒否する!」
「ポヨン様……。それはきっといっときの情熱が言わせる言葉。あなたが私を見るときに、あなたは過去の丸かった私の姿を重ねて思い浮かべずにはいられないでしょう。私はそれを思うと耐えられない。どうか私のことなど忘れて、他にもっと丸くて美しい女性とお幸せになってください。そして、私のことは昔の丸かった日の姿で思い出してほしいの」
ポヨンは何度も説得を続けたが、婚約を破棄するというメタボリカの気持ちは変わらなかった。
「メタボリカ……。今日のところは引き下がるけれど、僕は君をあきらめない」
ポヨンはそれだけを告げ、失意のままにマンマール伯爵家を後にした。
そしてプニポヨ伯爵家の屋敷に馬車で戻ると、執事のキレールを呼び立てた。
キレールは見た目が痩せて貧相ではあったが、背が高く、太れば伊達男になりそうな良い顔立ちをしていた。
伯爵家への忠誠心と実直さ、そしてなにより切れ味の鋭い頭脳を買われて、低い身分から若くして執事にまで出世した男だった。
ポヨンはことの仔細をキレールに話し、どうしたらメタボリカの心を変えて婚約破棄を取りやめにさせることができるか相談した。
「……」
キレールは白手袋をつけた拳を顎に当てて、しばらく黙考していた。
「途方もない考えだと思われるかもしれませんが、一つの案としてお聞きください」
「なんだ、キレール」
「王国の美の基準を変えてしまう、というのはいかがでしょうか」
「なんだと?」
「太っているよりも痩せているほうが美しいと皆が思うように、王国社交界の美の基準を丸ごと変えてしまうのです」
「!!」
ポヨンは愕然とした。一体ぜんたい、そんなことができるものなのだろうか?
だが、もしそんなことが実現すればメタボリカは変わってしまった自分の体質を嘆かずに済むかもしれない。
「まずは手始めに、ポヨン様ご本人が体型を変えてしまうことが必要でしょう。そして、メタボリカ様と共に次世代のファッションリーダーになるのです」
「そ、そんなことが僕にできるだろうか?」
「選ばれるのはポヨン様ご本人です」
「わかった! やってみよう!」
それからポヨンの、長く苦しい挑戦が始まった。