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「あぁ、わたしのだ。」
それは司書の先生に強請って買ってもらった〇〇書房のミステリー全集だった。
「やっぱりね。一番乗りしちゃった。雨で段ボールが濡れてたから乾かさなきゃって箱開けたら面白そうだったから。ごめんね。」
浅葱君は分厚い一巻の、中程まで読んでいた。
「いや、かまわないよ。ミステリー好きが増えることはミステリーに新しい可能性が増えていくことでもあるからね。」
段ボールを除くとぎっしりと本が詰まっている。ミステリーだけではなく、都市伝説や妖怪もの、恋愛小説まで揃っている。誰がどの本を注文したかすぐわかるラインナップに思わず笑みが溢れた。
「ふふ、また変なこと言ってる。紅林さんは面白いなぁ。」
浅葱君は本を机に置いていた。窓際に座る彼には、後光のように背から陽が刺している。
「浅葱君は本当に物好きだな。」
そんな光景に思わず涙が出そうになり、ごまかした。
「えー?何で?」
こてんと首を傾げる姿は、高校生と思えないほどあどけない。
「だってこの口調とミステリーの話しかしないオタクだからね、あまり友達がいないんだ。」
読者好きは大人になれば、広く交友関係が持てる趣味であるが、高校生という時期に読書仲間を見つけるのはなかなか難しい。しかも、ミステリーとなればさらなり。
「それは僕も同じだよ。古い作品ばかり読んでいるからか、他の人とあまり話が合わないんだよ。」
浅葱君は芥川龍之介や佐藤春夫、泉鏡花といったいわゆる文豪の作品を好んでいる。言葉の美しさが今とは段違いなんだと語っていた。
「知的でいいと思うが。」
窓辺で古い文庫を読む浅葱君はとても絵になるので、ずっと読んでいる姿をみていられる。
「ありがとう。その点、紅林さんは谷崎潤一郎とか佐藤春夫とか黒岩涙香なんかにすごく詳しくて話が合うから来てくれて嬉しいよ。」
黒岩涙香は『無惨』という日本初の探偵小説を書いたとされる。また、翻訳においても多くの名作ミステリーを残している。佐藤春夫には、ミステリーのイメージはあまりないかも知れないが、多くの傑作を残している。『オカアサン』や『陳述』といった作品は、あまりに最先端で、衝撃を受けたため、浅葱君に長く語ってしまった。浅葱君は聞き上手で、いつもニコニコとして楽しそうなのでついつい話しすぎてしまうのだ。谷崎潤一郎は言わずもがなと言ったところか。
「それはただの探偵小説好きだがな。まぁ、浅葱君と話すのは楽しい。」