6 夢?
用語解説
蹲踞……やや右足を前にして、つま先立ちで両膝を左右に開いて折り曲げ、上体を起こしたまま腰を落とした姿勢。
剣道の礼法に用いられる。
高く、明るい天井。響く声と竹刀の音。熱気のこもった体育館。
未来の竹刀は、相手の面を捉えていた。
まっすぐ、前に。
左足にぐっと力を込め、その勢いで体ごと右足を前に踏み出した。竹刀の切っ先が相手の面に触れる。同時に、右足が床を鳴らす。そして、未来は腹の底から叫んだ。
「メエエエェ――――ン!」
「面あり! 勝負あり!」
さっと旗が上がり、審判が未来の勝利を告げる。
開始線に戻る。相手と竹刀を合わせて屈み蹲踞をして竹刀を収め、試合場から下がった。
面を外すと、生温い風が未来の頬を撫でる。広くなった視界の端に、駆け寄ってくる梓の姿があった。
「未来ちゃん! おめでとう」
控え目な笑顔を見せる梓。汗臭さと暑苦しさが満ち溢れる会場において、その笑顔は可憐な花のようである。
「ありがと! 次も勝つから応援よろ――」
「じゃあ、あとは1人で頑張ってね」
未来は、梓にぽんと両肩を叩かれる。
その動きは、未来を励ますようなものではなかった。叩くというよりは、突き飛ばす。拒絶するような、その動き。
不意を突かれた未来は後ろによろめく。踏みとどまろうとしたその後方には、なぜか床がなかった。
ぐらり、と視界が反転する。高い天井が見える。そして、未来の身体は暗い暗い奈落に落ちてゆく。
(あれ、なんで――)
暗く狭まっていく世界。その中で、暗い眼をした梓がどんどん小さくなっていった。
「梓!」
ビクッと肩を震わせて、未来は目覚めた。一拍遅れて、そこが自分の部屋で、勉強机に突っ伏して居眠りをしていたことに気が付く。
くっきりと赤い楕円形の跡がついた腕を見る。続いて、じんわりと熱をもった額をさする。額にも、腕と同じような跡がついているに違いない。
ハッとして外を見る。カーテンから漏れる光はない。
机上のデジタル時計には、AM1:00と表示されている。
(良かった、寝坊とかしてなくて)
遅刻の大失態を犯していないことに安堵する。
しかし、途中からミミズの書かれたノートを見て、肩を落とす。
やらなければいけないと机に向かっても、どうしても眠くなってしまう。
思い出せないものの、成績表を見る限り、未来は勉強ができる方ではなかったらしい。銀杏台に合格したときも、2人や担任から「奇跡」と称されたくらいであるからそうなのだろう。
(にしても変な夢を見たなあ)
あれはただの『夢』なのか。それとも自分の思い出せない『記憶』なのか。梓の手の感触が、まだ肩に張り付いているような気がするのは、気のせいだろうか。
(あれが、梓の本心なのかな)
目が覚めたときに病室にいて、それ以後も未来が退院するまで、毎日のように病室に来てくれた。梓は未来に誘われて剣道部に入部した、そう言っていた。
退院してからも、勉強に付き合ってくれた。高校の合格発表では、一緒に抱き合って喜んだ。
休日、リハビリと称して町道場へ行く未来に付き添って来てくれた。たまにだったけれども。
未来は、その時間が嘘だったとは思いたくなかった。未来が忘れてしまっている時間も、多くの時を共に過ごしてきたと思っている。
けれど、梓は、高校ではもう剣道をやらないと言っていた。信じたくはないが、そっちが本心で、未来とはもう一緒にいたくないのだろうか。
「お前が山崎と一緒にいたい気持ちは、まあ分かるけど。だけど、あんまり山崎に無理させんなよ。山崎の気持ちも、少しは尊重してやれよな」
帰り道で純平が言っていた言葉を思い出す。確かに、少し強引だったかなと、今更ながら未来は罪悪感に駆られた。
『夜遅くにごめん。
さすがに、あんまり無理やりすぎたかも。
梓のことだから、梓が自分のやりたいようにやったら良いって思う。
私は梓と剣道やりたいけど。剣道部に入らなくても仲良くしてね』
スマートフォンを取り出し、梓に送る。すぐに返事が来る気配はなかった。
(とっとと終わらせて寝よう)
両頬をパチンと叩くと、未来は再びノートに向かった。