3 顧問とペナルティ
聡子まで自己紹介が終わったタイミングで、道場に入ってくる2人の人影があった。
1人は白髪が目立つ年配の男性で、髪の毛の色に似たグレーのスーツに身を包んでいる。隣に並ぶ女性は、上下ジャージでいかにも体育会系と言った風貌だ。長身で筋肉質なその見た目はどことなく百合子とベクトルが一緒に思える。
親子ほども歳が離れてそうな2人は、一礼して道場へと足を踏み入れた。
それを見つけたみどりが、いち早く「先生!」と声を上げる。他の部員たちも入り口の方を向き、すかさず全員で「こんにちは!」と挨拶をした。
「すみませんねぇ。職員会議が長引いてしまって。年度初めは会議が多くて、なかなか部活に顔を出せなくて申し訳ないです。それで、ミーティングの首尾はいかがですか?」
にこやかな相好を保ったまま、老教師が尋ねる。それに素子が答えた。
「はい。ちょうど、1年生に自己紹介をしてもらったところです。先生方からもお話をお願いします」
「ええ、分かりました」
「そしたら、1年生は戻って」
「はい!」
1年生は一礼をしてさっきまで座っていた場所へと戻った。キャプテンと副キャプテンも、3年生列の端に座り直す。先程まで1年生部員の身体に隠れていたスローガンの全体が再び姿を現す。
しかし、すぐに2人の教師が前に立ったことで、その文字はまた隠れてしまった。
「礼!」
「お願いします!」
信太が改めて号令をかける。それに合わせて部員一同は姿勢を正して頭を下げる。
さながら、江戸時代の将軍と家臣のようだ。
「皆さん揃って元気のいい挨拶ができていて、とても感心します。改めまして、1年生は入学おめでとう。そして、数ある部活の中で剣道部を選んでくれてありがとう。
今年度から剣道部顧問になりました、藤堂芳光です。担当教科は生物です。普段は生物準備室か職員室にいますので、何かあれば訪ねてきてください。
こちらに赴任してきて3年目になるので、2・3年生は私のことを知っている人や、授業を受けている人もいると思います。去年までは茶道部の副顧問をしていましたが、今年度から剣道部の顧問になりました。
――おっと、年を取ると話が長くなっていけませんね。このあたりにして、とりあえずは外山先生にも自己紹介をしてもらいましょう」
「今年、銀杏台高校に赴任しました、外山玲です。体育の担当です。1年生、入学おめでとうございます。母校である銀杏台で教えることができるので、とても嬉しいです。よろしくお願いします」
切り揃えられたショートカットの頭を下げて外山が礼をした。その様子を、藤堂は微笑ましげに眺めている。
藤堂が話を再開した。
「実はですね、私は、10年ほど前の、女子高だった時代の銀杏台に勤めていたこともありまして。
そのときは、剣道部の副顧問でした。当時顧問だった先生はもう定年退職されましたが、素晴らしい先生でした。
もちろん、部員たちも素晴らしい子ばかりでしたよ。外山先生は、個人戦と団体戦両方で全国大会に出場した、優秀な選手でした。まさか2人で剣道部の指導にあたる日が来るとは、夢にも思いませんでしたね」
ニコニコと思い出話を始める藤堂。その横に立つ外山が恥ずかしそうに「先生!」と慌てふためく。キリっとした佇まいをした外山だけに、部員たちはそのギャップに驚いた。
将来、部員たちの中から外山と一緒に剣道部の顧問になる者が現れるのだろうか。
そして、藤堂の話は続く。
「おほん。思い出話はここまでにして。最初ですので、私からは部訓のお話をさせてください。皆さんが書いた素晴らしい目標とは別に、うちの部にはスローガンがあります。
上級生はもう毎日見ていますね。あちらです」
言いながら藤堂は広用紙の貼られたホワイトボードをコツコツと叩いた。続いて、壁に貼られた部旗を指さす。
銀杏の葉のような、少し緑みを帯びた黄色――黄蘗色というらしい――の布には、黒々とした筆の文字で『文武不岐』と、その下に『熊本県立銀杏台高等学校剣道部』の文字が書かれている。黄色に黒で書かれたそれは、さながら虎を思わせる色合いである。
「文は学問、武は武道を指します。皆さんに当てはめれば、勉強と部活になりますかね。
文武両道、こちらの方がポピュラーな言葉だと思います。この四字熟語は、2つの道またはその2つの道の両方が優れていることを表します。
ですがうちの部訓は文武『両道』ではなく文武『不岐』――2つの道は岐れていない、そういう意味になります。
私はこちらの方がしっくりきます。勉強と部活は二元的なものではなく、どこかで繋がっている。この部訓がある以上、先生は君たちに、学校の勉強で手を抜いて部活をすることを許すことはできません。
もちろん、皆さんが掲げる以上は、県制覇や全国出場を成し遂げられるような部にしていくつもりです。皆さんが、文武不岐の体現者となれるように指導をしていきますので、よろしくお願いします」
そこで一呼吸をついて、藤堂は続けた。
「そこで、1度目の赴任で顧問をしていたときに行っていたことの1つをやりたいと思います。追試や補習・課題忘れ1回につき、ペナルティとして1分間のかかり稽古を皆さんに課します。
追試や補習が行われるのは放課後ですので、追試に引っかかってしまえば、部活に取り組める時間がそれだけ減りますね? 課題は、忘れても強制的に居残りする必要がないことが多いです。ですが、やらなければいけないことをやらずに部活にくることを、私は許しません。明日の稽古から行います。分かりましたか?」
『かかり稽古』その言葉に、部員たちは震えあがる。
かかり稽古とは、技を受ける元立ちに、かかり手が技を絶え間なく打ち込んでいく稽古法である。設定された時間の続く限り技を出し続けなければいけないため、かなりハードな稽古法である。
その単語は、高校生剣士たちを萎縮させるには十分すぎるものだった。まばらになった返事の声に、藤堂は苦笑する。
「追試に引っかからず、出された課題を期限までに提出すればいいだけの話ですよ。
もちろん、教師の情報網を甘く見てはいけません。いくら嘘をついても、きちんとこちらの耳には伝わってきますので、すっぽかして部活に来てもいずれバレます。嘘をついたことがばれた場合は、かかり稽古は2本にします。
ちなみに外山先生は、当時はあったスポーツ推薦での入学です。ですが、課題はきちんとこなして、追試も“ほとんど”引っかからない優秀な生徒でした。皆さんは学力テストでこの学校に来ていますので、大丈夫だと信じていますよ」
続ける藤堂の横で、外山が恥ずかしそうに顔を赤くする。凛々しい女性剣士も、恩師の前ではただの教え子でしかない。
「明日から、1年生が入っての本格的な稽古になりますので、気を引き締めていきましょう。ペナルティは明日から適用されますので、皆さんお忘れなく。それでは、これで話を終わります」
「礼!」
「ありがとうございましたー!」
こうして、ミーティングは幕を閉じた。




