男爵令嬢といとこと、無礼な少年③
食堂を出てから、わたしたちの間に会話はなかった。
わたしとしては、話を振られたら返そうと決めていたのだが、話を振られることがなかったためである。
半歩先を歩く彼は、おしゃべりな口を食堂にでも忘れてきたのだろうか。
談話室に着くと、ローテーブルの上に、完成されたパズルが置いてあった。
レイラトリアを中心にやっていたから手を出さなかったのだろうが、ハロルドは頭の中ではめ込む位置を考えていたのだろう。
暖炉の上にあるメモ帳に短くメッセージを書いて、ティーセットを運んできたラリーに持たせた。
これで少しでも機嫌がよくなってくれるといいが。
「パズル、片付けちゃってもいいのかな。せっかく完成させたみたいだけど」
「大丈夫だと思いますよ。わたしがやりますので、エドワード様はお座り下さい」
さっきまでハロルドが座っていたところをエドワードにすすめて、わたしはパズルを無情にも崩してパッケージの箱にしまう。
青空と風車が描かれた箱をサイドテーブルに置いて、それからエドワードの正面に腰掛けた。
時間伸ばしは、もう限界だった。
お互い無言で紅茶を飲む。
実はさっきのお茶の時間で、すでにお腹がいっぱいになっていたため、このひとくちがかなりきつい。
しかし、気まずさを誤魔化すためにお茶を飲むことは、とてつもなく有効な手段なのだ。
ちゃぽちゃぽするお腹には、無理をしてもらうしかない。
「突然のことで驚いてるよね」
「正直に言いますと、そうですね」
カップをソーサーに置いたエドワードが、くすくす笑いながら聞いてくる。
彼のくせにつられて苦笑しながら返すと、彼は「そうだよね」と肩をすくめた。
突飛な行動だということは、理解しているようだ。
「ルルトメリア嬢はアレクセイのことを知ってる?」
「アレクセイ……王太子殿下のことですか?」
「そうそう、そのアレクセイ。さすがに王位継承順位第一位のことは知ってるか」
アレクセイ・フォン・ホワイトローズ。
王国の女王・ルイザ陛下の甥で、ホワイトローズ公爵の嫡男で、王位継承順位第一位という、生まれながらのカースト最上位の人。
貴族名鑑を一度も開いたことがないわたしでも、さすがに名前を知っている人だ。
「実は俺、アレクセイの友だちでさ。あいつの代わりに婚約者候補を探してるんだよね」
「代わりに、ですか?」
「王族特有の銀髪と、金と銀のオッドアイだからさ、パーティーに行くと物凄く目立つんだよね。女の子に囲まれすぎて身動きがとれないから、友だちの俺が仕方なくこっそり探してるんだ」
「なるほど。それはたいへんですね」
お父様、お母様、ごめんなさい。
わたしは、ついカッとなって王太子の友人を怒鳴りつけました。
もし家が取り潰されてしまったら、わたしが身を粉にして馬車馬のように働きます。
――心の中で懺悔したところで、もう遅いのだけれども。
「そうなんだよ。たいへんなんだよ。条件もかなり厳しくて、全然お眼鏡にかなわないんだ」
かなり難航しているのか、エドワードの口をついて出てくるのは愚痴ばかり。
パサパサした茶髪に手を突っ込んでぐしゃぐしゃかき回すくらい、参っているようだ。
「そのようなお話をわたしにしてもよろしいのですか?」
「意味のない愚痴は聞かせないよ。……正直に行ってしまうと、伯爵以上で信頼のおける家の令嬢は、もうほとんど全員会ったんだ。そして評価は……」
「……どうだったんですか?」
言い渋ったエドワードに先を促す。
彼は、思いため息を吐くと、気鬱そうにつぶやいた。
「……ほとんど全員“不適格”だったんだ」
「え?!」
「いやほんとこんな結果になるなんて思ってもみなくて条件はたしかに厳しいとは思うけど名家ってだけで第一条件は満たしているんだからあとは性格だけなのにそこに難点がありすぎたり要望にそぐわなかったりするからクリアする子が全然いなくて俺の今までの苦労はなんにも報われてないんだよ~」
予想しなかった答えに、驚嘆の声を上げてしまう。
とっさに口を手で覆ったが、目の前の少年は、そんなことは気にも留めていなかった。
頭を抱えて、これまでの鬱憤をノンブレスで吐露する。
わたしも、ほとんど全員がダメだとは思っていなかった。
それをジャッジした彼の気落ちは、相当なものだったと思う。
心の中で合掌しておく。
「まぁそんなわけで、俺はすごく困ってたんだ。でも! 今日チャンスが訪れたんだよ!」
どんよりと濁っていたヘーゼルの瞳が、きらりと光を取り戻す。
その双眸は、わたしのすみれ色の瞳をまっすぐに見つめていた。
「男爵である君と知り合えたおかげで、子爵・男爵の子たちとも自然に会えるチャンスを得られたんだよ!」
エドワードはライヤー伯爵の息子だ。
身分が絶対のこの世界で、彼は非常においしい物件である。
そんなおいしい人が、下位貴族のパーティーにノコノコやってきたら、虫にたかられる花のようになることは、想像に難くない。
王太子の二の舞になってしまう。
しかし、「男爵令嬢の知り合いの少年」という肩書きがあればどうだろうか。
まさかわたしと一緒にパーティーに来た人が、伯爵令息ひいては王太子の友人だとは思うまい。
「エドワード様は、わたしにどうしてほしいのですか?」
わたしは、ここで舞い上がるほどの純粋な乙女ではない。
なにせ、前世は普通の庶民である。
貴族の面倒なゴタゴタに巻き込まれるのはまっぴら御免だ。
できれば、わたしの低い爵位を利用して王太子の婚約者探しをするなんていう、わたしにも間接的に関わりがある推測は外れてほしいものだ。
まあ、世の中そんな簡単にいくはずもなく。
「君が行ったり開いたりするパーティ-すべてに、俺を招待してほしい」
「王太子殿下の婚約者になれるような家柄の人は、なかなかいらっしゃらないと思いますが?」
「この際、家柄は二の次さ。一番重要なのは、性格と国母としての資質だからね。 ……ここが妥協できないだけに、クリアできる子がいないんだけどね」
パーティーとかいう、悪口と嫌味と皮肉と自慢話ばかりの地獄など、できる限り避けて生きていきたかった。
貴族特権で飲めるおいしい紅茶と、おいしいクッキーと、おいしいケーキ、それを楽しんでいたいだけなのに。
そんなことを理由に、王太子の婚約者探しを断れたらどんなに良いだろうか。
地の底まで落ちた気分は腹の中にしまって、謙虚な笑顔を貼り付ける。
「お力になれるかはわかりませんが、わたしにできることならば、喜んでお手伝いさせていただきます」
「ありがとうルルトメリア嬢! 謝礼はもちろんするよ! あ、アレクにもちゃんと君のことは言っておくからね!」
「いいえ、このくらいのこと、なんてことありません。ですが、王太子殿下には秘密にしていただけますか?」
「秘密に? どうして? 何か褒賞があるかもしれないよ?」
「婚約者探しは水面下で進められていたことですよね? 差し出がましいようですが、エドワード様が初対面の男爵令嬢にそのことをお話してしまったと知れたら、その、少なからず信頼に関わるのでは?」
エドワードのことを考えているように言っているが、言葉の真意はそうではない。
王太子に間接的に認知されたとなれば、そのことがいつどこから漏れて、社交界の話題になるかわからないからだ。
そうなれば、あちこちでわたしのあることないことな噂や、地味な嫌がらせなど、針のむしろでチクチクられてしまう。
誰だって空腹の肉食動物の前に放られたくはないものだ。
謝礼なら、おいしいケーキだけでいい。
「なるほど、それもそうだね。じゃあアレクの代わりに俺がお礼をするよ。さすがに無償協力をさせるわけにはいかないから」
「無事に婚約者が見つかったあとに、たのしみに待っていますね」
カップの縁に口をつける。
紅茶はすっかり冷えていた。
「お茶、淹れ直しますね」
「ああ、ありがとう。……それと、君とパーティーに行くにあたってなんだけど、君のことをルルトメリアと呼んでもいい?」
「はい、お好きなように。……熱いので気をつけてくださいね」
一定期間パーティーに招待したり一緒に行ったりする人から“嬢”と呼ばれ続けているのは、たしかに不自然だ。
自分からは言い出しにくかったため、エドワードが気づいてくれてたすかった。
「あちっ!」
エドワードは、喉が乾いていたのか、熱い紅茶をすぐに飲もうとして舌をやけどしたようだ。
恥ずかしかったのか、彼の頬はわずかに赤らんでいた。
「んっ……本当に熱いですね」
漏れそうになった笑いを誤魔化すためにわたしも紅茶を飲もうとしたら、わたしの舌も灼熱の攻撃を受けた。
舌先がビリビリと痛む。
「このポットの保温性は優秀だね……」
「ええ、優れものですね……ふふっ」
二人してポットを褒めるのがなんだかおかしくて、つい笑ってしまった。
エドワードと会って、はじめて心から笑った気がした。