男爵令嬢といとこと、無礼な少年
突然ですが、転生しました。
突然すぎて詳しいことはよくわかっていないが、歩きスマホをしながら帰宅している途中にトラックにひかれ、気がついたら転生していたのだ。
わたしは、ローザリア王国・東部アキレア地方の領主であるグレイスフィールド男爵のひとり娘、ルルトメリア・グレイスフィールドという少女に生まれ変わっていた。
つやつやの黒髪にすみれ色のぱっちりした瞳、白磁の肌に裾の長いドレス、そして長ったらしい横文字の名前。
レンガ造りの家に馬車にランプ。
少なくとも現代日本ではない。
最初はそんなファンタジックでフィクションなことを信じるはずもなかった。
しかし、自分の頬をつねってみると、鏡の向こうの少女も同じように頬をつねり、わずかな痛みを感じる。
夢でもなんでもなく、たしかに転生していたのだ。
どうやらこの中世欧州風味な世界は、身分格差がそこそこ激しいようだった。
なので、庶民ではなく貴族に生まれることができたのは、幸運だったといえる。
とはいえ、貴族のなかでは最下位の爵位・男爵の娘であるため、そこまで偉そうにできる立場ではない。
むしろ上位貴族の顔色を常に伺わなければならなかった。
これがたいへん苦痛である。
しかし、貴族特権で上質な紅茶や美味しいお菓子をたのしむことができるため、それを最大限満喫すべく、日々のちょっとした理不尽には目を瞑って生きていくことにした。
わたしってばえらい。
○*○*○*○
「なーなー、ルルー。駆けっこして遊ぼうぜー」
「だめだよ。伯父様が大人しくしてなさいって……」
「いやだ! つまらねぇよ!」
今日は、伯父であるライアンサーベル侯爵がガーデンパーティーを開いており、その子どもたちが侯爵邸に集められていた。
子どもたちはそれぞれ勝手にグループをつくり、広すぎる屋敷のどこかで思い思いに過ごしている。
わたしも、いとこ三人と談話室のソファを占拠して、静かに読書をしていた。
すると、じっとしているのが苦手なやんちゃ小僧が、ついにしびれを切らした。
獅子のたてがみのような金の髪に、キリリとつり上がった赤い瞳。
がおーっと吠える口からは八重歯が覗いている。
レオンハルト・フォン・ライアンサーベル。
わたしのひとつ年上の十歳の彼は、ソファに寝っ転がって暴走列車のように手足をじたばたさせている。
「つーまーらーねーえー!」
「おにいさま、うるさい!」
レオンハルトと同じ金髪と赤い瞳を持った可愛らしい少女が、腰に手をあててレオンハルトに抗議する。
レオンハルトの実妹、レイラトリア・フォン・ライアンサーベルは、赤いリボンで結んだツインテールを揺らしてぷりぷりと怒っていた。
「つまんねぇもんはつまんねぇよ!
「おとうさまがおとなしくしているように……」
「知るか!」
「あ! おにいさま!」
妹の忠告を無視した兄は、そのまま談話室から飛び出していった。
レイラトリアと同じタイミングで、まったくもうとため息をつく。
伯母が彼のことを「イノシシ息子」と評するのがわかった気がした。
「レオは止めたって聞かないよ。それより一緒にパズルでもしない? 書斎で見つけたんだ」
イノシシ息子が飛び出していったドアから、群青色の頭がひょっこりと覗く。
同い年のいとこ、ハロルド・フォン・カルマンは、その腕にジグソーパズルを抱えていた。
勝手知ったる伯父の家、書斎の引き出しから発掘したのだろう。
「レオどこに行っちゃった?」
「裏庭だと思う。コナーとディーンもいたし」
やれやれと肩をすくめるハロルドは、わたしと似て大人しい。
わたしは転生しているから大人しいのは当たり前だが、ハロルドは生来のものだろう。
最初の頃は、大人っぽすぎてわたしと同じ転生者かと勘ぐったものだ。
「パズルが終わったらちょうどお茶の時間だから、呼んでこないとね」
「ほっときなよ。うるさくてゆっくりできない」
「もう、そんなこと言わないの。せっかく久しぶりにみんなで集まれたんだから」
口を尖らせたハロルドは、黙ってローテーブルにパズルを広げ始めた。
こうやって素直に顔に出るところは、子どもらしくて可愛いと思う。
○*○*○*○
「じゃあ、わたしは呼んでくるから先に行っててね」
十五時になったため、完成間近のパズルを中断して談話室から出る。
長い廊下を通って一階の玄関ホールへ向かう階段を降りていると、レオンハルトたちの楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
この声が表の庭に聞こえていないことを願うばかりだ。
もし伯父に、レオンハルトたちが言いつけを守らずにはしゃいでいたことがバレたら、確実に雷が落ちるだろう。
玄関ホールのドアマンが、申し訳なさそうな顔で裏庭につづくドアを開けてくれる。
静止を振り切って遊びに行ったレオンハルトを回収するのは、いつもわたしの役目なのだ。
「レオー! お茶の時間だよ」
裏庭でサッカーをしていたレオンハルトは、わたしの方を振り返った。
その顔には「もう少し」と書いてある。
「お茶の時間にいないってなったら、執事から伯父様に告げ口されちゃうよ」
「ちぇ、わかったよ。さっさと行って戻ってこようぜ」
「遊ぶのはいいけど、もう少し静かにしてね。ホールから声が聞こえてたから」
「わかってって。コナー、ディーン、行くぞ」
小言はたくさんというよう、レオンハルトは食堂へ走って行った。
コナーとディーンもつづいて屋敷に帰っていく。
迎えに来たはずが置いて行かれるかたちになってしまった。
「わたしも戻ろうっと」
行きよりもゆっくり歩きながらホールを抜ける。
そのまま食堂へ向かおうとした時、誰かに呼び止められた。
「君、レオのガールフレンド?」
「……はい?」
反射で「は?」と言いそうになるのをぐっとこらえて、よく聞こえなかったというように笑顔で聞き返す。
玄関ホールの柱に寄りかかるように立っていた声の主は、悪びれもなく、くすくすと笑っていた。
「ああ、悪い悪い。そう怒らないでくれ。レオに注意する女の子ってはじめて見たからさ。だって、そうだろう? レオは次期侯爵だから、あいつのご機嫌を損ねるのは得じゃないからね」
「わたしは別に、未来の侯爵夫人になることが夢ではありません。それに、いとことして忠言するのは当然のことでしょう?」
もっさりした艶のない茶髪の少年の嫌味を、全方位完璧笑顔で跳ね返す。
身分格差の激しいこの国において、下位貴族が上位貴族に取り入ろうとすることは、たしかによくあることだ。
しかし、わたしにそんな欲はないし、なにより、レオンハルト自身ではなく、レオンハルトが継ぐ爵位しか見ていないようなこの少年の物言いにカチンときた。
ここはライアンサーベル侯爵の屋敷で、近しい人が多く集まるところである。
侯爵の嫡男の足元をみるような発言を、よく悪びれもなく言えたものだ。
「いとこ? ……もしかしてシエラの妹? いや、ロッドキトン家の子が黒髪なわけないし……」
「わたしは、ライアンサーベルでも、カルマンでも、ロッドキトンでもありませんので。この黒髪は父からいただきました」
「家名は? 君の名前はなんていうんだい?」
「まあ! 初対面のレディをあれこれ詮索するだけでは飽き足らず、先に名乗れとおっしゃるんですか? どこのどなたか存じ上げませんが、随分と無礼な振る舞いをされますね!」
おそらく彼は、ライアンサーベル侯爵のパーティーに呼ばれるくらいの、すごい家柄の令息だろう。
おそらくというか、確実に。
しかし、相手からみたわたしも同じようにうつっているはずだ。
それなのにこうした態度をとるということは、よほど無礼な性格なのかもしれない。
いつもならもう少し冷静に対処できていたかもしれないが、レオンハルトに対しての態度ですでに堪忍袋の緒は限界だった。
早口でまくしたてられた彼は、ぽかんと口を開けて呆けていた。
言いたいことを言えてすっきりした。
「失礼いたします」
「ちょ、ちょっと待って」
食堂で向かおうと、少年の前を通り過ぎようとすると、慌てたように手をつかんできた。
「まだ何か?」
「あ、えっと、その、やり直すチャンスをもらえないか? いや、もらえませんか?」
どうしてそこまでして、わたしの名前を知りたいのだろうか。
ただ、ここで十歳と少しくらいの少年のお願いをバサッと却下するのも気が引ける。
深呼吸をひとつして、血が上った頭を冷静にした。
「……いいでしょう。わたしは、今ここで、はじめてあなたに会いました」
「……!」
ヘーゼルの瞳がぱあっと輝く。
少年は、掴んでいたわたしの手を離し、姿勢を正した。
「はじめまして。エドワード・フォン・ライヤーと申します。レディのお名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「お初にお目にかかります。グレイスフィールド男爵が娘、ルルトメリア・グレイスフィールドと申します」
予想通り、相手は伯爵以上の爵位を持っていた。
フォンの名は『貴名』といい、伯爵位以上の家門の人間のみ名乗ることがゆるされる。
内心まずったと思いつつ、極めて冷静に、完璧な計算のうえだったというように、堂々と胸を張った。
先ほどとは逆転して、わたしの方が無礼である。
少年の父親に「この女が失礼なことをしてきた!」と泣きつかれたら、わたしが百割悪くなるくらいのパワーバランスだ。
圧倒的不利状況に涙が出そう。
「男爵……だからはじめて見かけるのか」
下位貴族であるわたしたちは、日々誰かしらの顔色を伺わなくてはならない。
誰が誰よりも力関係が上だとか、誰には侮られてはいけないだとか、気にすることがとても多い。
ゆえに、完璧な社交が求められる。
しかし、上位貴族である彼らは、その必要がうんと少ない。
友人が多く集まるゆるい空間ということもあり、多少のマナーの省略はゆるされると思っていたのだろう。
実際、わたし以外の子どもたちは概ね顔見知り同士である。
そう考えると、友人ノリを無視して怒ったわたしの方が、その場に即した社交ができていなかったのかもしれない。
もっとも、友人ノリをゆるされる資格もないのだが。
「伯爵様のご令息と知らず、無礼な振る舞いをしたこと、深くお詫び申し上げます」
「いや、俺の方こそ、レディに先に名乗らせようとするなんて。知り合いばかりだから気がゆるんでたんだ」
「寛大なお心に感謝いたします」
「こちらこそ、チャンスをくれてありがとう。……その畏まった話し方ってやめてくれたりしない?」
「難しいご相談ですね」
どうやら腹は立てていないらしい。
内心ほっと息をつく。
「俺、男爵の知り合いが全然いないから、何だか新鮮だな。そうだ、良かったらこの後話でもしないか?」
「エドワード様が面白いと思われるお話がわたしにできるかどうか……」
「何でもいいんだ! これから食堂に行くところだったんだろう? 一緒に行こう」
男爵令嬢が伯爵令息の頼みを断れるはずもなく、わかりましたと頷いて大人しくついて行く。
男爵の娘の話など、聞いたところで面白くもなんともないだろうに。
いきなり自分に怒ってきた男爵令嬢と話がしたいなんて、随分変わった少年だなぁ。
――と、この時のわたしは、楽観的に思っていた。