第十九話 三者三様 8
[そっちは『ま』で行くつもり?望むところだよ。膜]
[そんなに対抗心燃やさないで下さいよ。たかがしりとりですよこれ。クリーム]
[たかがしりとりでも勝負は勝負だよ。 っていうかもう同音攻め止めてるし、情けないなぁ。無垢]
[しょうがないじゃないですか。先輩と違って僕は友達と喋りながらやってるんですよ。クイズ]
[じゃあ大人しく負けを認めなさい。ズック]
[いいんですか?僕が負けちゃったらしりとり終わっちゃいますけど。あとズックって何ですか?クレープ]
はっと私は気が付いた。 いつもの調子で相手を負かそうと躍起になっていたけれど、私が彼にしりとりを持ちかけた本来の意図は、単なる時間潰しだ。 あまり本気で勝ちに行ってしまったら私はまた暇という牢獄に囚われてしまう。 彼にそれを気付かされてしまったのは甚だ屈辱ではあるけれど、ここで当り散らしてしまっては、彼より二つ上の年長者としての威厳が保てなくなってしまう。 不本意ではあるけれど、この場は素直に退いた方が得策だろう。
[そこまで言うなら手心は加えてあげるよ。ズックっていうのは靴とか鞄の事だよ。ある地方では運動靴とかをその名前で呼んでる所もあるみたい。プードル]
[そんな事言って、本当は早く終わってほしくないんでしょ?まあ昼休みが終わるまでは付き合いますから安心して下さい。ルビー]
生意気くんがまた生意気を言っている。 まったく、これでは当分改名は無しだなと呆れた笑いを溢しつつ、生意気を言いながらも私に付き合ってくれている彼にささやかな感謝を感じながらしりとりは続いた。 そうして、時間も忘れてしりとり兼会話に没頭しているうちに予鈴が鳴り響き、その合図を以って私と彼のやり取りは終わりを迎えた。
[いい暇つぶしだったよ、ありがとね。]
[またどうしても暇になった時は言ってください。付き合いますから]
彼らしからぬ気遣いの言葉を確認した後、私はスマートフォンのディスプレイの電源を落とした。
――放課後。 雨はまだ止みそうに無いけれど、幸い私の家は学校から徒歩五分という短距離だから、傘さえ差していれば濡れる心配は無い。 今日は双葉も居ないから、帰り際にすれ違ったクラスメイトに別れの挨拶を交わしながら、真っ直ぐ昇降口先の下駄箱へと向かった。
下駄箱で上履きから靴に履き替え、下駄箱から正反対の壁際に設置されている傘立てから自分の傘を見つけようとした際に、私は異変に気が付いた。
私は今日、朝から雨が降っていたので、家から傘を差して登校した。 傘は簡易的な透明のビニール傘で、多くの生徒が類似した傘を使用している事もあり、間違えて持っていってしまわれないよう、私は取っ手と石突が薄紅色のビニール傘をわざわざ購入し、これまで使用していた。
そして、ここ連日の雨天続きの内に確認しただけではあるけれども、その色をした傘を使用しているのは私しかいなかったと記憶している。 ――にもかかわらず、私が今日、傘立てに預けていたはずの傘が、忽然と消失していたのだ。
当初は、預けた場所を間違えたのかと自身の記憶を疑った。 けれど、その疑惑もたちまち棄却された。 傘立ては、一列に十六本収容出来るタイプの三列仕様の物が、下駄箱の設置されている昇降口付近の両端にそれぞれ四台ずつ、都合八台設置してある。
そして私は、昇降口を外から見て右側の、校舎内から数えて三台目の傘立ての三列目中央辺りに自分の傘を預けた筈だと記憶している。 預けた傘の場所が右側の傘立てなのには別段意味は無く、女子用の下駄箱が昇降口から進入して右側に設置されているからという単純な理由だ。 ただ、校舎内から数えて三台目の傘立ての三列目の中央辺りに傘を預けたのには歴とした理由がある。
私はこの学校に在籍していた丸二年間の中で、傘が盗られたという報を幾度と無く耳にした事があった。 そして盗難が多発する時期は、ちょうど今の時節である。 つまり、雨が降るか降らないか定かではない不安定な天候の中、登校時に傘を持ち歩かない呑気な生徒が、下校時突発的に振り出した雨を前に、自身が濡れたくないからという独善的な思考に唆されて、誰かの傘を持っていってしまうのだ。
私はこの報を聞く度に、人間の浅ましさというものを嫌と言うほど思い知らされ、一人辟易していた。 今のご時勢、その日の天気情報などはテレビのニュース以外でもスマートフォンがあれば簡単に知る事が出来る。 それこそ、それ専門のネットサービスを使用すれば、衛星画像付きの雨雲の様子を分刻みで確認する事だって出来る。
最早個人天気予報すら可能なこのご時勢に「雨が降るとは思いませんでした」などという言い訳が通用するとでも思っているのならば、とんだ甘えん坊だ。 やれSNS交流だのやれ写真栄えだのと流行りに乗せられるのは勝手だけれど、そんな浮ついたモノに現を抜かす暇があるならば、一人で天気模様くらい読んでみせろと言いたい。
こうした馬鹿げた事件が昔から絶えなかったものだから、私は盗難に遭わないよう、先述した場所に傘を預けていた。 第一に、人様の傘を盗もうなんて奴の思考は実に短絡的なもので、端から盗る気でいるならば、手っ取り早く自分に一番近いのをかっぱらっていけばいい。 その思考に鑑みて、下校時に真っ先に目に入る、校舎内から一番近い傘立てに傘を預けるのは奴らに傘を盗ってくださいと自ら差し出しているようなものだ。
その実、被害に遭った生徒の大半は、その危険地帯に傘を預けていたと述べており、そこに傘を預けてはいけないという事は明々白々。 ゆえに私はわざわざ意図的に先述した場所に傘を預けていた――にもかかわらず、私の傘は影も形も無いのだから、結局何をしたところで盗る奴はお構いなく盗るし、盗られる時はあっさり盗られるのだと悟った。
最早怒りを通り越して呆れさえ覚えてしまった私は、ようやく愛着が沸き始めようとしていた私の傘の行方を偲びながら、再び靴から上履きに履き替え、一旦校舎内に戻った。




