第十八話 蒙昧 7
「キミってさ、何か好きな食べ物とかあるの? 私は最近パスタにハマってて、特にきのこパスタがお気に入りかなー」
僕の勝手な想像で、てっきり玲さんは明後日の方向の話題を振ってくるものかと身構えていたけれど、こういった会話を交えたゲームでのセオリーとも言うべきか、特に捻りも無く当たり障りの無い食べ物の話題を振ってきた。 その程度の話題であれば別段気遣も無くやり過ごせるだろう。
「俺は、お鍋ですね。 この前食べた担々風のお鍋の白菜が美味しくって、ついつい家族の分まで平らげてしまって怒られてしまいましたよ」
言い慣れない『俺』という一人称を使用する事による多少の違和感は纏わり付くものの、一人称に意識さえしていれば何ら問題は無さそうだと、僕は初手に手ごたえを感じた。
「お鍋かぁ、確かにおいしいよね。 鍋は冬が定番って声が多いけど、意外と季節問わずに食べられるし。 私はお鍋の中だったら、やっぱりしめじが好きかなぁ、きのこパスタもしめじって使用するんだけど、あの歯ごたえがいいんだよねー。 キミはやっぱりお鍋の中では白菜が好き?」
「白菜も確かに好きですけど、強いて言うなら俺もきのこ類、しめじ辺りでしょうか。 ちなみにしめじってグラムの割にはカロリーがすごく少なくてダイエットには向いているらしいですよ、知ってました?」
僕の方から攻めても何のメリットも無いのだけれど、このまま一方的に玲さんに攻められるのも癪だという、僕の中に生まれていたちっぽけな反抗の念も助けて、些か余裕というものを覚え始めた僕は無謀にもいつぞやに仕入れた食材知識を得意に披露しながら彼女に対し攻勢に出た。
「へぇー、そこまでは知らなかったなぁ。 じゃあ結構食べ過ぎても太りにくいって事だね」
「そうですね、でもあんまり食べ過ぎるとお腹を壊しちゃう事もあるらしいので、ほどほどにしておくのが無難でしょうね。 まぁ俺も毎回結構食べちゃいますけど今までにそういう経験も無いので、普通に食べてればまずそういう事が起こる事は無いんじゃないでしょうか。 あときのこ類以外で言うんだったら、俺は鶏肉ですね」
「鶏もいいよねー」
数をこなすにつれて段々俺という一人称を扱うのにも慣れてきた。 どうやら今回は俺の圧勝のようだと心中で勝ち誇る。
玲さんに罰ゲームが無いのが悔やまれるところだ。
「そんなの当然でしょ。 ――え?」
すっかり勝った気味で得意になっていたが故に、問いも碌に聞かずに何の気も無しに反射的に応答してしまったけれど、僕は今、玲さんに取り返しの付かない返事をしてしまったのかも知れない。
いや確かに玲さんの問いは耳に聞こえてはいて、聞こえていたからこそ僕は否定もせずに当然だなどとその問いにお墨付きを出してしまったのだけれど、何の脈絡も無く話頭を転じられてしまったものだから、玲さんが一体全体僕に何を問うたのか、てんで思い出す事が叶わない。 片や、顔色一つ変えず話頭を転じた本人はと言えば、にやにやと口元を緩ませながら半眼気味に僕を眺めている。 その顔付きはまるで「してやったり」と言っているようにも受け取れる。
「あの、玲さん……? 申し訳ないんですけど、先ほど何て言ったのかもう一度教えてくれませんか」
玲さんの態度から推察するに、僕にとって不利益な返答をしてしまった事は確かだったから、答えを聞くのが途轍もなく怖かったけれども、かと言ってこのまま聞かない訳にもいかなかったから、僕は恐る恐る玲さんにそう訊ねた。 すると玲さんは、
「うん、キミは『女の子の裸に興味があったりするの?』って」とあっさり答えた。 この人はなんて事を訊いてくるんだと思うと同時に、全身の血の気が引いていく感覚に襲われる。 僕の思考回路は完全に機能を停止していた。
「それにしてもキミも正直だねー。 まぁキミは元々女性として女性が好きなんだから、そりゃあ興味があって当然だよね。 でも、それを女の子の前で白状しちゃうのはちょっと大胆過ぎると思うなぁ」
どうやら僕は、いつの間にか玲さんの術中に嵌っていたらしい。 恐らく一人称固定や罰ゲームなどは僕の思考を逸らす為の囮に過ぎず、それらの囮で僕を煙に巻き、あわよくばあられもない発言を聞き出せるかもしれないという魂胆だったのだろう。 果たせるかな僕は彼女の知略にまんまと嵌り込んでしまった始末だ。 そもそも玲さんはどこでそのような話術或いは心理学を学んだのやら。 やはり彼女は探偵に向いているのかも知れない。 機会があれば是非その道を進めてやろうと精一杯の負け惜しみを胸中に拵えた。
「ずるいですよ、急に話題を変えるなんて」
そうして思いもかけぬところで失言を呈してしまった僕は口を尖らせて玲さんに弱々しく噛み付くも、
「話題変えちゃいけないルールなんて無いもーん」
あくまでルールに則った行為だと、しらを切られた。 確かにその通りなのだけれど、どうにも納得の行かなかった僕は徹底抗戦の念を抱き、
「そうかも知れませんけど、そもそもこれは僕に『僕』って言わせる為の――」と玲さんの意地悪な発言を槍玉に挙げて反撃に出ようとした矢先、
「はい、アウトー!」
突然腕を伸ばして僕の顔目掛けてびしっと人差し指を向けてきた玲さんは、小気味好く感じてしまうほどの声調で僕にそう宣告した。 この人は一体何を言っているんだと首を傾げようとして間もなく、はっと僕は理解した。
「もしかして、まだこのゲーム続いてたんですか」
「もちろん。 誰も終わりなんて言ってないよね。 んじゃ、約束通りプリン奢ってもらうって事でよろしくっ。 あと、やっぱりキミに『俺』は全然似合ってなかったから止めといた方がいいね。 『僕』の方がよっぽどキミらしいよ。 あ、ちなみに女の子にダイエットだの太るだのって体重を連想させるような言葉を男の方から口にしちゃうのはタブーなの、知ってました?」
かくして玲さんの思いつきから始まった一人称固定ゲームは、慢心から生まれた油断により僕の完全敗北という散々な結果に終わった。




