第十七話 決意 3
十八時前になってようやく神くん達が戻ってきたけれど、ユキくんの帰りの時間が迫っていた事もあって、今日のところは解散となった。 神くんに見送られながら私達三人は彼の家を後にし、談笑を交わしながら駅へと向かってゆく。
もうすっかり陽が落ちた十八時前だというのに、夏至に近い五月半ばという時節ともあって、空はまだほんのり薄明るさを帯びている。 冬ならば既に星が見えていてもおかしくない時間だったから、この季節この時間帯の白んだ空を仰ぐと、何だか時間的に得をしたような気分にもなる。 ましてや、好意を抱いている異性が隣に居るならばその感覚は尚更格別だ。
帰りの電車方向が違っているので、ユキくんとは直近の駅のホームで別れた。
「また明日ね」と別れ際に見せた彼の優しい微笑みに、私の心はまた一段と彼に惹かれてゆく。 今日は勇気を出して勉強会に参加して良かったと自身の行動力を褒めながら、私と三郎太くんはユキくんが乗った電車から三分後に到着した東方面行の電車へ乗車した。 車内にはそれなりに人が居たけれど、座席に座れないほど混雑もしておらず、私達は難無く進行方向向きのクロスシートへと着席出来た。 先に三郎太くんが下車するので、私は窓際に座った。
「あー、リュウの野郎、とことん俺をこき使いやがって。 何で俺があいつん家の物置の片付けなんてしなくちゃいけねーんだよ、ったく」
聞くところによると、冷蔵庫を運びに行くと言って神くんに連れられて部屋を出て行った三郎太くんは、冷蔵庫を物置に運んだ後も、乱雑になっていた物置の片付けを手伝っていたそうだ。 その時に身体を酷使したのか、どこか気だるそうに肩を回している。
「お疲れ様。 でも、文句は言いながらも手伝ってあげてたんだね」
「まぁ、あいつの親の手前もあったしなぁ。 あんだけおばちゃんにニコニコされながら「助かるわぁ」とか言われたら断るに断れねーし。 そういや、千佳ちゃん達は俺らが部屋出て行ってから勉強してたのか?」
「ううん、実は三郎太くん達が居ないのに私達だけ勉強を進めてるのも悪いなぁってユキくんと話してて、結局三郎太くん達が帰ってくるまでユキくんとお話してたんだ」
「お、やっぱり――じゃなくて、良かったじゃん。 それで、二人きりの部屋で何話してたんだ?」
「えっと――」彼に誘導されるまま、つい何も思わず神くんの彼女の事を言ってしまいそうになった私は、すんでのところでその話は彼にはご法度であった事をはっと思い出し「ペンギンの話をしてました」と咄嗟に舵を切り、何とか事なきを得た。
「ペンギン? ああ、確かユキちゃんってペンギン好きだったよなぁ。 俺もよくユキちゃんからペンギンの話聞いてるわ」
「そうなの? 確かに結構好きそうではあったけど、どんな話してたのか覚えてる?」
私が興味を津々として彼に訊ねると、彼は腕を組んで「うーん何だったかなぁ」と思い出そうとしてくれている。 しばしの沈黙が続いたあと「あっ、そうだそうだ」と何かを思い出したのか、彼は腕組みを解いて軽く私の方を向きながら喋り始めた。
「ユキちゃんの小さい頃の話でさ、何でも昔からペンギンが好きで、親に水族館へ連れてってもらう度にペンギンのぬいぐるみを買ってもらうほど好きだったみたいだぜ。 そんで、ある日ユキちゃんが親と一緒にスーパーに買い物に行ってた時に、お菓子売り場でペンギンのチョコレート? みたいなお菓子が売ってあったらしいんだわ」
「あ、それ知ってますよ。 確かペンギンの体の形をしたチョコレートが四つ入ってるんだったかな? 私も小さい頃そのお菓子よく買ってもらってたなぁ」
「あぁそうそう、ユキちゃんもそんな感じに言ってたわ。 んで、ユキちゃんもそのお菓子を親に頼んで買ってもらったはいいんだけど、家に帰っていざ食べようと箱を開けると、そのペンギンのお菓子を前にして、何だか知らないけど食べるのが急に可哀想になっちゃったみたいで、結局その日は食べずに、チョコレートだから溶けないように冷蔵庫に入れてた訳。 でもそれが悲劇の幕開けだったんだわ」
以前から思っていたけれど、先程神くんの昔話を私に聞かせてくれたユキくんといい、今の三郎太くんといい、彼らは話が上手だ。 私が彼らと同じ内容の話題を持ち合わせていたとしても、彼らのように淀みなく話を組み立てられる自信はこれっぽっちも無い。 そうして彼らの話術の巧みなさまを一人羨みながら、私はすっかり三郎太くんの話に引き込まれていた。
「ユキちゃんには年の離れた兄貴が二人居るらしいんだけど、ある日ユキちゃんが居間に移動すると、数日前にユキちゃんが買ってもらったペンギンのお菓子をちょうど兄貴の一人がばくばく食べちゃってたらしくてなぁ、それを見たユキちゃんは『おにいちゃんが僕のペンギンさん食べちゃったぁ!』って、もう大泣きだったらしいわ。 それ以降ユキちゃんはキャラ物の、特にペンギン関連の食べ物は避けるようになったって言ってたな」
「ふふっ、何だかユキくんらしいなぁ。 確かにキャラ物のお菓子って食べるのにちょっと抵抗あるけど、そんなに大泣きするくらいペンギンが好きだったんでしょうね。 ……こんな事を本人の目の前で言うと怒られちゃいそうだけど、やっぱりユキくんってどこか、かわいいですよね」
「いやほんとな? 普段しっかり者なのにたまーに天然っぽいところもかわいいし、それにほら、ユキちゃんって俺らに比べると結構髪長いほうだから、よく耳に髪掛けるじゃん? あの時の仕草見ると男の俺でも一瞬ドキっとするもんなぁ」
そう言われてみると確かにユキくんは授業中や私達と喋っている時に、そういう仕草をする傾向がある。 私のクラスの男子は比較的短髪の人が多く、加えてそういう仕草は髪の長い女子のみがする事だと思い込んでいたからこそ、私も三郎太くんもユキくんのその仕草に対し強い印象を受けていたのかも知れない。
「あとユキちゃんってさ、下唇を触る癖あるの知ってる?」
「ううん、それは見た事無いかも」
「そっか、人差し指と親指で軽くつまむように触ってるんだけど、あれも何つーか、すげぇ色っぽいんだよ。 いや色っぽいなんて言ったら誤解されるかもしれねーけど、それでもなーんかユキちゃんには不思議と色気があるんだよなぁ。 ユキちゃんって女に生まれてたら絶対可愛かっただろうなって思うよ――あ! いや! そういう意味じゃなくて! 確かに俺はユキちゃんの事は好きだけど、友達としてだからな?! 俺は女の子が大好きだからな?! そこだけは勘違いしないでくれよ千佳ちゃん」
「分かってますって」と、三郎太くんの弁明を素直に聞き入れた私は、改めてユキくんのかわいらしさを認識した。
それにしても、三郎太くんも口にしていた事だけれど、彼の言う通り女の私から見ても、ユキくんは言葉に言い表せない色気というものを覗かせてくる事がある。 それはつい先ほど三郎太くんが述べた特定の仕草であったり、そこはかとない雰囲気であったり、何でもない態度であったりする訳だけれど、私の目にはそれが女性然として映る事がある。
――私はユキくんという人物に対し時折、女性を見てしまっているらしい。
けれど、見てしまっているなどと大袈裟に言ってはみたものの、それは理由も根拠も無い漠然とした感覚の一片に過ぎず、私が勝手にそう感じているだけであって、私が恋をしたユキくんは紛れもなく男性だ。
かわいくったっていいじゃないか。
男に色気があって何が悪い。
私はそうした曖昧な感覚すらも彼に惹かれた要因の一つとして捉え、一瞬訪れた妙な詮索の思考を振り払った後、ふと窓の方を向いた。
高速で目まぐるしく変化する窓からの風景は、私の目の前で次第に光を失い、闇へと包まれてゆく。 あの人もまた、今まさに下ろされようとしている夜の帳を、私から遠ざかりながら眺めているのだろうか。
今はまだ、届きそうにもないけれど、いつかあなたの傍らで、同じ景色を見てみたい。




