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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第二部 私(ぼく)を知る人、知らぬ人
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第十六話 栄光 9

 彼らの別れ話は瞬く間にクラス中へと知れ渡ったが、以前にクラス内で噂されていた、美咲をおとしめる流言に対し竜之介が苛烈な怒りを見せていた事が幸いして、彼は勿論の事、美咲に対しても必要以上の言及はされなかった。 そうして彼らは人肌恋しき冬季を今年は一人で過ごす事となる。



 ――季節は巡り、竜之介は三年生へと進級した。 あれから少し変化していた事がある。 それは、竜之介と美咲との距離であった。 恋仲解消直後はお互いに距離を取り合ってまともに顔も合わせない日々を送っていたけれども、二年生の三学期辺りから、竜之介は美咲と顔を合わせる度に一言ひとこと二言ふたこと、声を掛けるようになっていた。


 それは単なる挨拶であったり「眠そうやな」などという他愛ない言葉ばかりであったが、まともに顔も合わせられないぎくしゃくした関係のまま中学校を卒業してしまうぐらいならば、たとえ見苦しかろうとも、無神経とののしられようとも、せめて友人程度の関係には戻ってやると続けてきた竜之介の小さな行動は、塞ぎこんでいた美咲の心を徐々に開いてゆき、三年生に進級した頃には彼らの関係はあの時の恋仲同様にまで修復していたのである。


 それでもやはり二人の間には言葉にし様の無いへだたりがあるらしく、表面上はまるで以前の恋仲同士にさえ見て取れるが、竜之介の目には確かに映っていた。 あと一歩踏み出せば滑落してしまうほどの、大きな亀裂が。 その亀裂の幅は勇気を振り絞って飛び越えれば決して超えられない距離ではなかった。 しかし彼はその一歩を踏み出す事を異常に恐れていた。


 万が一に目測を見誤って亀裂に落ちてしまえば、今度ばかりは這い上がって来る事は叶わない。 それは即ち、二度と彼女と恋仲同士になれない事を意味している。

 ――竜之介は未だ美咲の事を諦められず、再び彼女に恋慕の情を抱いていたのである。 だから彼は一定の距離は保ちつつも、亀裂の前で足をすくませたまま、美咲という一輪の花を眺め続けていたのだ。


 竜之介は、美咲と別れた事によってひどく痛感していた。 あれほど当たり前だと思っていた彼女との何気ない会話や、学校であれだけ語っておきながらもまだ飽き足らずに家でSNSをつうじて日が変わるまで語り明かした日々も、いざ振り返ってみれば、あの何でもない日常こそが自分にとっての美咲との「特別」であったのだと、彼は今更になって気が付かされていたのだ。


 稽古で疲れ切った日の翌日も、俺に向けてくれる屈託の無い彼女の笑顔一つでその日一日は頑張れるし、柔道で調子が悪く自分の思い通りに事が運ばない時も、彼女は嫌な顔一つせず、そして笑顔を絶やさず、俺の愚痴をいつも受け止め、励ましてくれていた。 俺はそこまで親身になってくれていた彼女に、一体何をしてやれたのだろうか? いや、何もしてやれなかったのだ。 否、彼女に辛い思いをさせている事を知りながら「俺には柔道があるから」と公明正大に大義名分を掲げ、彼女の優しさに甘えて、まるで何もしなかったのだ。

 ――竜之介はあの日、自分の隣に居て当たり前だと思っていた美咲を失ってからというもの、あの頃の不甲斐ない自分を恨み、毎日のように己を責め立てていたのである。


 『武道とは、礼に始まり礼に終わる』


 これは竜之介が本格的に柔道に打ち込み始めた時に耳にした格言である。 武道とは本来、相手を武力で制圧する為に開発された技術で、聞こえは悪いが、言ってしまえば効率的な暴力の振るい方である。 今日こんにちでこそ、ルールの上で殴り合うボクシングなど、おおやけに拳闘を交えられる競技は限られてはいるが、相手を打ちのめした上で両者間にうらつらみが発生しないのは、そこにお互いをうやまう礼節というものが存在しているからだ。


 ルールも何も無い一般道で、すれ違いざまに人を殴打すれば、それはただの暴力、まぎれもない犯罪である。 互いに手を出し合う喧嘩にしても、いくら正当防衛になりるといえども、一方的に相手へ重大な怪我を負わせてしまえば喧嘩両成敗すら成立せず、これも警察沙汰はまぬがれない。 そうは言っても、ルールの上で戦う武道の数々にしたって怪我は付き物だ。 自分はもちろん、時には相手に怪我を負わせる事だって在り得る。 しかし先に述べた通り、武道家達は「礼」というものを常に心の内に持ち合わせている。


 いくら勝利したいからといって、故意に対戦相手を怪我させてしまえば、それは武道ではなく暴力でしかない。 だからこそ武道家は自身の力量を把握し、常におごらず、礼に始まり礼に終わる事によって相手を敬い、自身を律しているのである。 しかし竜之介は、驕ってしまった。 武道家としてではなく、一人の人間として、驕ってしまったのだ。 親しき仲にも礼儀あり――今の竜之介にとって、これほどおのが身に痛苦に突き刺さる言葉は無いだろう。 これまで柔道を通じて数多あまたの対戦相手に礼節を果たしてきた竜之介が、あろう事かたった一人の女の子に礼節を果たせなかったのである。


"わかった。 美咲の彼女になれたこの一年、楽しかったで、ありがとうな"


 美咲に別れ話を持ちかけられた時、竜之介は彼女に対し感謝は述べていた。 けれども、あの言葉が簡素極まる上っ面だけの綺麗事だったという事は彼自身も既に認めていた。 だからこそ、もう一度誠心誠意をって美咲に礼を伝えたい。 そして、未だくすぶり続ける彼女への想いを、再び燃え上がらせたい――


 竜之介の願いはただ一つ。 美咲との復縁であった。

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