第三話 告白 1
「つーかユキちゃん遅くね? マジで告白でもされてんのかよ、あー羨ましいなぁほんと!」
食堂は今日も生徒達が入れ代わり立ち代わりで繁盛していた。 その中には三郎太と竜之介も居た。 そのうち三郎太は両手に持っていたトレーを乱暴にテーブルへと置き、昼休み開始直後に千佳に呼び出された優紀の境遇を羨み、極めて個人的で嫉妬に満ちた放言を周囲に響かせている。 何故呼び出されたのが自分ではなく優紀だったのか。 彼は決して答えなど出る筈の無い疑問を、昼食前から咀嚼し続けている。
彼が味わっている疑問の味は勿論苦い。 苦いからこそ彼はその苦味を紛らわすよう、普段は手を出さない単品の野菜のかき揚げに手を付けた。 それは高々四十円ほどのものではあるけれども、その高々四十円が毎日支払われるとなれば話は別である。 だから彼はとりわけ機嫌の良い日や、今日みたく気分が優れない日にのみ、トッピングとしてかき揚げを購入する事を自身に許している。
「やかましいぞサブ、男の嫉妬なんか見苦しいわ。 早よ食べんかったらその天ぷら俺がもろてまうぞ」
三郎太の女々しい泣き言が癪に障ったのか、竜之介は鰾膠も無く彼を一蹴した上で、彼用のトレー上に置かれていたかき揚げの載った皿を横から手で掻っ攫おうとしていた――ところを、すんでのところで三郎太に阻止された。
「やめろってお前! この天ぷらが無くなったら天ぷらそばじゃ無くなるだろ馬鹿! そこに四十円の価値があんだよ! あー分かったよもう、黙って食べればいいんだろ食べればー」
納得はしていないからなと、彼は胸中で不満の念を育てながらそばの上にかき揚げを放り込み、そばを啜り始めた。 鬱積に満ちた三郎太の横顔をよそに、いやにご機嫌な竜之介はおもむろに手に持った割箸を胸の辺りで力任せに二つに割り、自身の目の前の天玉うどんを貪り始めた。
「お前ってさ」
「ん」
「案外不器用だよな」と不躾に言う三郎太が横目で見ていたのは、竜之介が手に持つ、長さが非対称の割箸。 これまでに彼が割箸を綺麗に割る事の出来た回数は、指折りで数えられる。
―幕間― 『四十円の価値』 完
そのまま見つめ続ければ火傷してしまいそうなほど熱情的な彼女の瞳に、気が付くと僕は釘付けになっていた。 俯いた状態から頭を振り上げた為か、普段垂れ気味な古谷さんの前髪がふわりと疎らに流れ、僕の前に髪の下の素顔を余す事無く覗かせている。
艶麗な絹を思わせる、繊細で透徹な柔肌は饒舌に純潔を物語り、頬に淡く馴染む薄紅の階調は、彼女の心情を代弁しているかのようにも見える。 触れるだけで罪に問われてしまいそうな彼女の聖域は、やはり彼女の手によって閉じられる事となった。
「……! ご、ごめんなさいっ、急にじっと見たりして」
誰かに叩き起こされたかの如く、はっと我に返った古谷さんはそそくさと僕に背を向けた後、両手で前髪を一心に掻き下ろしている。 どうやら先程の自分の行動に思うところがあったらしい。 ひどく取り乱している。 そうして、一向にこちらを向こうとしてくれない彼女の弱々しい背中を見かねた僕は、
「大丈夫だよ古谷さん、全然気にして無いから。 それより、さっきの話の続きを教えて欲しいんだけど、いいかな」
努めて優しくその背中に語り掛けた。 すると、古谷さんはようやくこちらを向いてくれた。 先程頻りに手櫛で前髪を掻き下ろしていた所為か、普段通り目は前髪で隠れ気味だった。
「はい。 何かすいません、一人で勝手にあたふたしちゃって」
もじもじと肩を窄め、制服のリボンを片手で弄りながら、古谷さんは言葉を続けた。
「私、見ての通りこんな消極的な性格で、入学式からもう一ヶ月経つのに友達とかもまだ全然居なくて、そんな時にこの前全体の席替えがあって、私は神くんの後ろの席になっちゃって、それで私って背も小さいので、神くんの体で黒板が見え辛くてすごく困ってたんです」
古谷さんは当時を思い返すように言葉を紡いでいく。 言葉の節ごとに時折覗かせる沈痛な表情は、これまでの彼女の苦悩を如実に物語っていて、
「でも、全然見えない訳じゃなかったので、次の席替えまで我慢すればいいかなって思ってて、思ってたんですけど」
その後も続けて何かを言おうとした途端、古谷さんの顔に深い影が落ちた。
「ある日、聞こえちゃったんです。 私が神くんの体から覗き込むように黒板を見てる時に、誰かが後ろの方でくすくす笑っているのを」
やはり。 と、僕は彼女の悲痛な面持ちの裏に隠された真実を、とある出来事と符合させた。
――あれは五月に入って間もなく行われた全体席替えから数日後の出来事で、授業中、古谷さんが体を左右させながら黒板を見ていた時、ふと教室の後部から耳に聞こえてきたのは、少々抑え気味の笑い声。 当初は隣同士の生徒が私語を働いているだけだろうと特に意識もせず聞き流していたけれど、それが古谷さんへ向けられての嘲笑だったと気が付くのに、そう時間は掛からなかった。
彼女が体を動かす度、それに連動するように聞えてくる、人を小ばかにしたような笑い声。 その声を何度か耳にしている内、嘲笑の犯人はとある女子生徒二人だったという事も判明していた。
「あの笑い声が私に向けられてるって、すぐに自分で気が付きました。 それからあの笑い声に怯えて、黒板を見る事すら怖くなっちゃって、最近はもう、見えない範囲は見るのを諦めてました。 でも、あの席替えのお陰で普通に授業を受けられるようになって、私、すごく嬉しかったんです。 勿論、席替えを引き受けてくれた神くんにも感謝でいっぱいです。 ですけどそれ以上に、その席替えを提案してくれた綾瀬くんにはぜひ私の口からお礼を言いたかったんです。 だから、ありがとうって言わせて下さい」
沈鬱、諦観、そして希望へと移り変わってゆく古谷さんの顔つきを間近で見ていた僕は、彼女が最後に口にした感謝の言葉を、素直には受け取れなかった。