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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第二部 私(ぼく)を知る人、知らぬ人
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第十六話 栄光 2

「何で先にそんな事を話したかって言うと、竜之介が柔道を辞めた理由が、その彼女に関係しているからなんだ」


 下手な合いの手は僕の語りの邪魔になると思ったのか、古谷さんは静かに相槌を打っている。 僕も彼女の心遣いに従って言葉を続けた。 以下は、僕が竜之介本人から聞いた例の経緯を僕なりに解釈、脚色したものである――


 竜之介が柔道を始めたのは、小学校低学年からだったと聞いている。 何でも当時の彼はと言えば漫画に出てくるようなやんちゃ坊主だったらしく、小学時代から授業は抜け出すわ先生に楯突くわ気に食わない同級生あるいは上級生にも喧嘩を吹っかけるわで、竜之介が問題を起こすたびに彼の親は足繁あししげく学校に足労そくろうしていたようだ。 何者にもびず、何者にもへりくだらず、何者も恐れない小さな暴れん坊を変化させたのが、柔道である。


 竜之介が事を起こす度に学校へおもむき、先生達に頭を下げ竜之介を叱りとがめる母とは違い「男ならそれぐらいやらかしてなんぼだろう」と母に比べて寛容な父であったが、日毎ひごとに激化する彼のあまりにも好戦的な素行を見兼ねた父は、いよいよ重い腰を上げた。 それから例によって、竜之介はまた学校で問題を起こした。 それは放課後の出来事であった。 しかしその日は母の都合が悪く、母から連絡を受けた父がむ無しに会社を早退して竜之介を引き取りに学校へと向かった。 その帰り道、父は自宅とは違う場所へと車を走らせた。


 父が子を連れてやってきたのは、地元のとある市民体育館。 正門から入場した二人だったが、一体どこへ連れて行かれるのだろうといぶかしむ竜之介をよそに、父ははなから目的地が決まっていたかのよう歩を進めていく。 そうして辿り着いたのは、同体育館一階に位置する柔道場だった。 室内では既に二十名ほどの小学生らしき子供が柔道着姿で活動を行っており、父は子を部屋の前に待機させ、自身は部屋へ入室し、指導員であろう人に声を掛け、しばらく何かを話し込んだ後に父は子の元へと戻り、子にこう話した。 明日からお前はここに通って柔道を習うんだ、と。


 あまりの卒然な父の言葉に子は、何故わざわざ柔道なんて習わないといけないんだと父にたずねると、お前が強くなるためだと返って来る。 柔道など習わなくとも俺は強い。 不貞ふてくされながらそうのたまう子に父は、腕っ節の強さじゃない、お前の心を強くする為だとさとす。 心の強さとは何だろう。 理解しがたい観念を前に困惑する幼き頃の竜之介であったが、未知の観念とは別に彼の脳裏にはある一つの画策が浮かび上がっていた。 今でも上級生さえ圧倒できる自分が、柔道という技術を体得すれば更に強くなれるのではなかろうか。 彼はそう考えていた。 動機は不純、しかし強くなりたいという一心だけは純粋であった彼は、柔道教室に通う事を決心した。


 それから竜之介の柔道教室通いが始まった。 彼は小学校から帰った後、さらな柔道着を身に纏い、母の車で送迎されて柔道場へと向かう。 柔道場では指導員より彼の紹介が軽く行われた後、すぐさま稽古へと入った。 挨拶なんてどうでもいい、これでようやく誰かと戦える。 同級生でも上級生でもいい、誰でも掛かって来い――殺気だけは既に黒帯級の彼を消沈せしめたのは、指導員のある掛け声だった。


「じゃあまずしぼり三往復」


 指導員の掛け声を聞いた生徒達は一同腹ばいになり、その状態のまま腕を前に伸ばし、肘に体重を乗せて身体を肘の方に引き寄せながら前方へと身を進めていく。 その動作はいわゆる匍匐ほふく前進のような形だと思って貰えばいい。 そして一同がその動作を始めた中、ただ一人竜之介だけが忽然こつぜんとその場に立ち尽くしており、そう言えば彼にはまだしぼりのやり方を教えていなかったなと気が付いた指導員は、彼の元へ近寄ってしぼりのやり方を説明し始めた矢先、竜之介は不満げな口吻こうふんで、何故こんな事をしなくちゃならないのか、俺は柔道を覚えにきたのだ、と指導員に食って掛かった。


 剣幕な竜之介とは裏腹に、指導員は「これは柔道の中で大事な動きだし、準備運動にもなるから」と穏便な態度で彼をさとそうとする。 が、彼は不満げな態度を崩そうともしない。 やれやれ弱ったなと困惑する指導員だったが、ここで指導員はある妙案を閃く。 指導員はしぼりを行っていた一人の生徒の名を呼んでこちらへ呼び出して竜之介と対面させ、こう言った。


「君がこの子を倒せたら、君の言う通りしぼりなんてしなくてもいいし、すぐ柔道も教えてやる」


 指導員の言葉を聞いた途端に、竜之介はにんまりとほくそ笑んだ。 これは好都合だ、かもねぎを背負ってのこのことこちらへやってきたようなものだと、既に彼は勝利を確信していた。 彼の昂然こうぜんたる気概は、彼本来の負けん気の強さからくるものでもあるし、上級生相手にも臆する事の無い勇猛ゆうもう果敢かかんな性格からくるものでもあったが、それ以上に彼が勝利を確信した理由は、今自分と対峙しているこれから倒すべき相手が異性、女の子だったからである。


「――あ、分かりました! その相手になった女の子が今の神くんの彼女なんじゃないですか?」


 今まで沈黙を保っていた古谷さんが、突然膝を打ったかのような素振りで自信満々に僕にたずねてきた。


「僕も話を聞いてる最中はそうだと思ってたんだけどね、残念ながら違うんだよ。 それに竜之介は小学校までは関西にいて中学からこっちに引っ越してきたから、もしその子と付き合ってたとしても遠距離で長くは続かなかっただろうね」


「そうだったんですか、結構自信あったんだけどなぁ。 漫画とかドラマではよくある出会い方ですけど、そうそうドラマチックにはならないものなんですね」


「大人同士ならまだしも、小学生の頃の恋愛なんて曖昧なものだからね。 そういう実例が仮にあったとしても、一握りにも満たない数しか無いんじゃないかな」


 架空と現実の違いを改めて思い知らされたところで、僕は再び先程の続きを語り始めた。

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