第十四話 自発 2
三郎太の使用していたトレー、玲さんが食べていたプリンの容器――食堂内に残されていた各々の物を片付けた後、僕は教室へと戻り、二人と合流した。 聞くところによると、古谷さんの後を追った三郎太が彼女を見つけて色々と慰めてくれていたらしく、僕が教室へ戻った頃には心なしかいつもより表情の明るい彼女の姿があった。 それから古谷さんは改めて僕の顔を見据えて、
「ユキくん、さっきはごめんなさい。 折角ユキくんが食堂に誘ってくれたのに勝手に出て行っちゃって」と、やけにばつの悪そうに僕へ謝罪を果たしてきた。 けれども今回の件は誰がどう見ても玲さんの軽率な発言や態度が問題だったから、
「大丈夫、全然気にしてないよ。 あれは完全に先輩の言い方が悪かったからね。 先輩はあれで軽い冗談のつもりだったらしいけど」と、古谷さんに落ち度は無いと僕は言い切った。
「そう、ですか。 ユキくんがそう言ってくれてちょっと安心しました」
古谷さんは僕の返答を聞いて、安堵から来たらしい笑みを浮かべていた。
しかし今回の件を経て、学校内では不必要に玲さんに近づかない方が吉だという事が分かった。 ただ、僕の方がいくら避けたところで彼女の方から近寄られてはどうしようも無いのだけれど。 それからしばし三人で閑談を繰り広げていると、ふと思い出したかのよう古谷さんが、
「あの、ユキくん。 お願いがあるんですけど」と言いながら、ずいと身を乗り出して僕に願い出てきた。 どういった心変わりか、食堂の時とはうって変わって今の彼女はえらく積極的に見える。
それから「何かな」と僕が訊ねると、古谷さんは「その、私も、ユキくんの連絡先知りたいなぁと思って」と控え目に伝えてきた。 そう言えば、僕はまだ古谷さんと連絡先を交換していなかったのである。 本来こういう気遣いは男の方からしてあげなければならない筈なのにと反省しつつ「ごめん、そういえばまだ交換してなかったね」と一言謝罪を入れた後、ポケットからスマートフォンを取り出し、古谷さんとSNSの連絡先を交換した。
「……」
連絡先を交換した後、古谷さんは自身のスマートフォンのディスプレイを、まるで荘厳な絵画を前にしたかのような神妙な目つきでじっと眺めていた。 それから視線をスマートフォンから僕に移して、
「あの! ユキくんって夜は何してるんですか?」と軽やかな声調で訊いて来た。
「そうだなぁ、そう言われてみるとあんまりこれと言って決まった事はやらないんだけど、本読んだり部屋にノートパソコンがあるから適当にネット見たり、気が向いたら勉強してるぐらいかなぁ」
「じゃあ、もしお暇だったら夜にメッセしてもいいですか?」
「うん、勿論。 多分二十一時ぐらいには確実に部屋に居ると思うから、その時間帯からだと嬉しいな」
「はい! お言葉に甘えて今日早速送っちゃいますね!」
余程僕と連絡先を交換したのが嬉しかったのか、普段の古谷さんとは比べものにならないほどのはしゃぎ様である。 かく言う僕も、嬉しくないと言えば嘘になる。 これを期に彼女と更なる交流を深める事が出来るのだから嬉しくない筈も無く、これで夜の楽しみが一つ増えたなと、二人に悟られない程度に口元を緩めた。
「ていうかユキちゃんパソコン持ってるのかよ、いいなぁ」
パソコンという語句を聞いて、三郎太がやけに羨ましそうにそう言った。
「兄のお古だけどね。 僕はパソコン関係に詳しくないけど、兄が言うには一昔前のらしいから性能はあんまり良くないみたい。 実際所々で動作は重かったりするよ」
「それでもあるのと無いのとじゃ全然違うだろー。 俺なんて普段は携帯の小さい画面で我慢してるっつーのに、羨ましいぜユキちゃんよー」
「別に小さくても文字を読むぐらいなら十分読めるでしょ。 それに僕らはアルバイトもしてないし、親に携帯を持たせて貰えるだけありがたいと思わないと」
「違うだろユキちゃん、見たいのは文字なんかじゃねーだろ? 俺ら男が大画面で見たいのはアレしかないだろ、アレしか!」
アレ、アレと三郎太が喧しく豪語するも、彼が伝えたい事がちっとも理解出来なかった僕は、それでも何とか彼の意志を汲んでやろうと腕を組み、うーむと唸り首を傾げるも、悲しいかな彼が欲しているであろう答えは現れなかった。 しかしこれだけ悩みあぐねておいて答えの一つも出せていないというのはどうにもばつが悪かったから、
「アクション映画?」
体裁として当たり障りのない事を言って、適当にはぐらかす事にした。
「あれ、ユキちゃんってこんな天然だったっけ……。 ――あぁ分かった分かった、そりゃ千佳ちゃんの前では遠慮しちゃうよな。 悪い悪い俺が悪かった。 女の子の前でする会話じゃなかったぜ」
急に何かを悟った風な三郎太はハハハと高笑いをして、まるで優雅に淑女を慮る紳士然と、出し抜けに古谷さんの存在を仄めかした後、ぴたりとその話題を止めた。 古谷さんは自分を引き合いに出されるも僕同様はて何のことやらと微笑気味に首を少し傾けている。
しかしこれでは寸止めだ。 生殺しも甚だしい。 三郎太は元より答えを知っているのだから、いついかなる時に話題を止めようとも彼の中に在る答えは微塵の変化も来さない。 だけれど僕の方はと言えば、それこそ好物を目の前にして主人に待てと命ぜられたまま涎を垂らし続ける犬のようだ。 この調子だと彼からよしの号令も掛かりそうにない。 いわゆるおあずけを食らわされた僕は彼を正視し、
「そこまで言っておいてそれは無いよ三郎太。 教えてよ、気になるじゃないか」と、好奇心という名の鋭い牙を彼の喉元に突き立てた。
「いやいやいや! 俺もさっきはユキちゃんが以心伝心で分かってくれるものと思って言ったけど、さすがの俺でも女の子の前でそんな事言えるかよ! あ、さてはユキちゃん、ホントは分かってて俺にそんな事言わせようとしてるんだろー? ユキちゃんも人が悪いぜまったく」
いやいやいやと、是非こちらからも捲し立てたいものである。 そもそも僕は意図的に既知を嘯くなどという器用な芸当は心得て居ないのだから。 しかし、先の三郎太の口ぶりから察するに、これではいくら問答を迫ったところで彼は僕の言葉を受け入れる事は無いだろう。 ただ答がそこにあるのは判然としているのだから、好奇の権化たる今の僕は、柳の精神の彼を相手取る事すら吝かではないけれど、先程からしきりに女性女性と異性の目を気にかけている三郎太の態度がどうにも怪訝に思われたので、古谷さんの手前という事もあり、僕は彼の喉元に突き立てていた牙を引っ込めた。
「僕がそんな事する訳ないでしょ。 まぁ、三郎太がどうしても言いたくないんだったら仕方ないから諦めるよ」
「おう、そうしといてくれると助かる。 でも、今日あの先輩も言ってたけど、ユキちゃんって結構ウブなとこあるしなぁ、マジで知らなかったのかも」
「からかわないでよ三郎太、そう言われたの結構気にしてるんだから」
「お? 自覚してんのかよユキちゃん、こりゃいよいよ怪しいなぁ。 ――よし! 俺がユキちゃんを男にしてやるぜ! 今度俺がいいモノ貸してやるから楽しみにしてろよ!」
程よくからかわれつつ、何やら意味深な言葉を口にした三郎太は、何と僕を男にしてくれるというのだ。 僕の知らない男の世界を教えてくれるのであれば、それは願ってもない僥倖である。 普段ちゃらんぽらんな彼の言う事だからそれほど当てにも出来ないけれど、例え僅かでも僕の男への足掛かりになるのであれば何でも取り入れてやるさと胸中で息巻き、「期待してるよ」と待望の念を込めて彼に言い放った。 三郎太は「おう!」と自信満々に返事した。
「何か面白そうですね、どんなものかは分からないけど私も見てみたいな」
先の三郎太の言い回しを傍で聞いていた古谷さんが何やら興味の深そうにそう言った。
「いや、悪いけど千佳ちゃんには絶対貸せない。 女の子にそんなの貸したって事が姉貴に知れたら多分ぶっ殺される……」
古谷さんは姉の存在に怯える三郎太を見て「三郎太くんの迷惑になりそうなので止めておきます」と、苦笑い気味に身を引いた。 それにしても、男には貸せて女には貸せなくて、それでいて男に近づけるモノ――消したはずの好奇の火は、また燻り始めていた。