披露宴
「――いやー、まさか私がブーケ受け取れるとは思わなかったよ」
「……くっそー、玲ならぜったいあたしの方に投げてくれると思ってたのに」
「いやいや双葉さん、そこは公平に行かないと、ね? そもそも後ろ向きに投げるんだから狙った位置には投げられないだろうし」
「ま、まぁ? ブーケ取ったとしてもイイ人が現れるとは限らないしぃ?」
「……姉貴、頼むからそれ以上情けねー事言わないでくれよ」
――挙式を終え、私たちは次に行われる披露宴の会場の一席に着いていた。 ユキくん達が取り計らってくれたのか、私たち五人は同じテーブル席だった。 その席で話題になっていたのは、挙式のすぐ後に行われたフラワーシャワーを終えてからのブーケトスについてだった。
真衣と双葉お姉ちゃん。 二人はどちらも未婚者であるから、受け取れば次に結婚を約束されるというジンクスがあるブーケを自らの手で掴み取りたいという気持ちはもちろんあっただろう。 果たして二人は他のブーケトス参加者に比べてとりわけ目を血走らせていて、結果的に真衣の元にブーケが飛んで来たという結末だった。
ただ、二人が目を血走らせていたからといっても、あくまでその場からの移動を最小限にした結果、真衣の元にブーケが飛んで来ただけであって、他の参加者を押しのけてまでブーケを獲得しようとしていた訳ではない事は断っておこう。
「なにー! サブローはあたしが結婚できなくてもイイってワケ?!」
「んな事一言も言ってねーだろうが……姉貴も二十八なんだから、いい加減母さんたちを安心させてやってくれよ」
「そりゃ分かってるけど……」
「まぁまぁ二人とも。 それよりみんな、もうこのメッセージ読んだ?」
友人の結婚式の場でも姉弟喧嘩を繰り広げようとしている二人の態度を見かねた私は彼女らを諫めつつ、テーブルの上に置かれていたとある物に意識を向けるよう注目を促した。 それは、新郎新婦からのメッセージカードだった。
「あっ、さっき見たよ! 個人的な事書いてくれててすごい嬉しかったんだけど!」
真衣は既に見ていたようで、この計らいを頗る気に入っていたようだった。 そして真衣が言ったよう、メッセージカードは全員同じものではなく、参列者個人に向けて手書きで書かれていたようだった。
それを参列者の人数分と考えると、きっと式の何日も前から準備していたに違いない。 決して楽な作業では無かっただろう。 だからこそ余計に手書きという労力がまた、二人の心の籠っている様をよりひしひしと感じさせてくれる。
「俺と美咲の結婚式ん時は思い付きもせんかったけど、みんなへの感謝を伝えられるええ試みやな。 中々洒落とるわ」と、自身の結婚式を振り返りながら神くんがうんうんと感心していた。
「えっ、そんなのあったのか? どれどれ――」
「あっ、あたしのもあった! えっとなになに?――」
姉弟喧嘩をしていてすっかり目の前のメッセージカードにすら目の届き切っていなかったらしい二人は慌ててそのカードに認められている内容を検めていた。
「……ちょっと待てよユキちゃん。 そんな事書かれたら俺泣いちゃうだろうがよぉ!」
「もぉお~! 玲はなんであたしを泣かせようとするんだよぉお~!」
二人ともメッセージを読み終えたようで、二人して嬉し涙らしい涙を流していた。 不意の感傷に弱いあたり、この二人はやっぱり姉弟だなと思う。
「ねぇねぇ、千佳のは何て書かれてたの?」と、私の右隣に居た真衣が覗き込むように私の手に持っていたメッセージカードを見ようとしてくる。 その動作を見た私はカードを身体に密着させ、内容が見えないようにした。
「もぉ、駄目でしょ真衣っ。 これはユキくんと玲先輩がみんなの事を思いながら個人個人に向けて書いてくれたものなんだから、これは一人一人の胸に収めておかなくちゃ駄目でしょ!」
「そ、そっか。 ごめん……」
意外にも真衣は素直だった。 てっきり悪乗りしてカードを強奪してくるものかと身構えていただけに、余計な労力を使わずに済んだとほっとした。 私はメッセージカードを無くさないよう、財布の中へ大事にしまい込んだ。 このカードは私にとって、ユキくんと玲先輩から貰った大事な大事な宝物になるだろう。
そうしてしばしの間、同じテーブル席の五人と先の挙式についての感想を言い合っている内に、いよいよ披露宴の開宴の時間が来たようで、司会者の女性の溌剌な司会進行の合図と共に鳴り始めた軽快な音楽に合わせ、披露宴の行われている大広間の外庭に繋がるガラス張りのスライドドアの一部がスタッフによって開けられ、新郎新婦であるユキくんと玲先輩が拍手に迎えられながら颯爽と現れた。
二人とも挙式の時と同じ格好をしており、そのまま新郎新婦の座席である高砂席に着いた。 それから司会者による披露宴の開宴の宣言が行われたあと、新郎であるユキくんの挨拶、司会者による新郎新婦の紹介、主賓挨拶(ユキくん側の主賓は会社の先輩である三十代くらいの男性、玲先輩側の主賓は彼女の最初に務めた式場でお世話になった先輩である四十過ぎの女性だった。)を終え、次の乾杯の音頭を取ったのは、我が夫の三郎太くんだった。 実は事前にユキくんと玲先輩に依頼され、三郎太くんがその役割を担っていたのだ。
その役割を依頼された当初の三郎太くんは「緊張して言葉に詰まったらどうしよう」とえらく弱気だった。 しかし、私との結婚式の時でもそうだったけれど、本番に強いというか、案外それをやる時になったら彼は緊張を忘れる人で、百人近い人たちの注目の目を物ともせず、一切の言い淀みも無く乾杯の音頭をやり切った。
席に戻ってきた三郎太くんを見計らい、私は「お疲れ様、緊張しなかった?」と彼を労った。 「おう、むしろ冷静過ぎて怖かったわ。 やっぱ俺は本番に強いタイプだな」と三郎太くんも自身の性質に気が付いていたようだった。
「お前が何か失言するかと思てヒヤヒヤしたわ」
「するわけねーだろバカ! 俺も成長してるっての!」
学生時代から変わらず、神くんと三郎太くんのやり取りは今も健在だ。
それからケーキ入刀が行われ、まずユキくんが普通のスプーンの上にケーキを掬い、玲さんに食べさせた。 次に玲さんの取り出したのは先のスプーンより二回りほど大きいスプーンで、それでケーキをこれでもかというほど掬ったあと、ユキくんの口元へとそれを運び、食べさせた。
スプーンの上のケーキが無くなったころ、ユキくんの口周りはクリームがべったり付いていた。 ユキくんは学生時代、食の作法に関してはしっかりした人だったから、そうした一面を知っているだけに憚る事無く大きな口を開けてクリームが口周りに付く事すら厭わず玲先輩からの愛の籠ったケーキの塊を頬が膨れんばかりに頬張ったユキくんが面白くて、かわいらしくて、顔の筋肉が痛くなるくらいに笑ってしまった。 同じテーブルのみんなも同じくらい大笑していた。
その間に食事が運ばれ始めて、次は食事と歓談の時間となった。 この時間は新郎新婦を含めた自由時間みたいなもので、この時間のあいだに新郎新婦の元へ立ち寄り祝福の声を掛けたり、一緒に写真を撮ったり出来る。 幸せいっぱいの新郎新婦と間近で接し合える、披露宴の醍醐味の一つと言っていいだろう。
そうして早くも席を立った来賓者たちが高砂席の方へと集い始めた。 男性が四人に女性が二人、合わせて六人、どうやらユキくんの勤める会社の同僚のようだ。 ユキくん達と喋ったり、一緒に写真を撮ったりしている。
「あれがユキちゃんの同僚か、何か仲良さそうでイイ感じの人たちだな」
高砂席に集まっている来賓の人たちを見て、三郎太くんがそう言った。
「学生の頃は俺ら以外の生徒とはほとんど絡まんかったからちょっと心配しとったけど、会社の方でもうまくやっとるみたいやな、何か安心したわ」
まるで親のような目線でユキくんを見ていたのは神くんだった。
「まぁ綾瀬くんって学生時代から人当たりはすごい良かったからねぇ。 そりゃあ人のよさそうな人が寄って来るのも納得だよ」
類は友を呼ぶとでも言いたげにうんうんと頷きながら、ユキくんの周囲にはそうした人たちが集まって然るべきだと何故か誇らしげに語ったのは真衣だった。
そうこう言っているうちにユキくんの同僚の人たちがその場を去って、次は玲先輩の仕事関係の繋がりと思われる人たちが高砂席に集まり始めた。 仕事柄上やはり女性が多いらしく、二十代から三十代前半くらいの、女性八人男性二人の計十人が玲先輩の周囲に集って笑顔で語り合っていた。
「やっぱりブライダル関連の知り合いとあって、みんな綺麗で洒落た格好してんなぁ」
そう率直な意見を言ったのは三郎太くんだった。
「でもやっぱあれだけの人達に囲まれても一際目立ってる玲が一番綺麗でかわいいよね」と確信的に言い切ったのは双葉お姉ちゃんだった。 なるほどそう言われてみるとあれだけ華のある人達に囲まれていても玲さんという人物の色が全く色褪せていないから、学生時代の頃から一目は置いていたけれど、今更ながら玲先輩の美麗なのを改めて思い知った。
「玲先輩が仕事してる時、何かと来賓の人たちの目線を奪っちゃいそう」
三郎太くんと同じくして、私も率直な意見を言った。
「ね。 新郎が玲先輩に見とれて新婦にヤキモチ焼かれるまでがセットで」とおちゃらけの気味に言ったのは真衣だった。 あり得なくもない話だから余計に怖い。
「おっ、あの人たちも終わったみたいだよ。 そろそろあたしたちも行こうよ」
先の人たちが高砂席を去ったのを見計らい、双葉お姉ちゃんがユキくん達の元へ行こうと促している。 軽く見渡す限り、今高砂席へ向かおうとしている人たちの動きも見られなかったから、いよいよ私たちは席を立ち、高砂席へと移動した。
「ユキちゃーん! 玲さーん! 改めてご結婚おめとうございまーす!」
先陣を切ったのはやはり三郎太くんだった。
「ありがとう三郎太、乾杯の挨拶、格好良かったよ」
「ありがと三郎太くん。 やっぱりユキの言った通り乾杯の挨拶は君で正解だったね」
二人は三郎太くんの乾杯の音頭をえらく褒めていた。 私も何だか嬉しくなった。
「いやほんまめでたいですわ。 二人は何年同棲しとったんでしたっけ」と玲先輩に訊ねたのは神くんだった。
「丸六年だね。 最初の頃はユキが色々突っ掛かってきて喧嘩ばっかりしてさ」
「ちょっ、人聞きの悪い事言わないでよ玲さん。 それを言うなら玲さんもでしょ」
「何言ってんのさユキ。 風呂長いのを私に注意されて子供みたいに拗ねちゃったのはどこの誰だったかなぁ?」
「そっ、それは、その……」
まさしく新婚ほやほやの夫婦漫才を間近で見て、私を含めてみんな大笑した。
「ねぇねぇ綾瀬くん、プロポーズはどうやってしたの?」と次に興味津々に訊ねたのは真衣だった。
「あぁ、僕はプロポーズしてなくて、実は玲さんの方からプロポーズされたんだ」
「えっ?! ほんとなんですか?! 玲先輩っ」
「うん。 ケーキの上に乗せた箱型のお菓子の中に婚約指輪を忍ばせてね、それをサプライズとして渡して『私と結婚してください』ってユキに言ったんだよ」
「きゃ~!! なにそれロマンチック過ぎないですかっ! そんなサプライズ玲先輩みたいな人からされたら大抵の男の人なんてイチコロじゃあないですかっ!」
真衣はひどく興奮していた。 しかし私も玲先輩の方からプロポーズしているとは思わなかったから驚いた。 別に男性の方から女性にプロポーズしなければならないしきたりなんてのは無いから別段おかしいという訳でもないけれども、もしかしたらユキくんの性質を考慮して、玲先輩がそうした行動に移ったのかもしれない。 その推測が本当だとすると、尚更ユキくんの伴侶はやはり玲先輩でなければ務まらなかっただろうと思った。
「う~ん、やっぱ優紀くんと玲はお似合いだね。 あたしは学生の頃から二人が将来結婚するってずっと思ってたよ!」
ユキくんと玲先輩を交互に見ながら、双葉お姉ちゃんが二人の結婚する未来を学生時代から見据えていたと大きな事を言っている。
「確かに双葉さん、学生時代の頃から何かと僕と玲さんをくっつけたがってましたもんね」とユキくんが答えた。
「ユキは知らないだろうけど、私にも散々そういう事言って来てたからねこの子。 一体私たちの何を見てそう思ってたんだか」
玲先輩は苦笑を浮かべつつ、双葉お姉ちゃんの当時の言動の出所について懐疑の念を抱いていた。
「そりゃあもう相性でしょ! あたしはそういうのを見抜く目を持ってるからね!」と自信満々に双葉お姉ちゃんが言う。
「その目を自分自身に使ってやりゃあ今頃結婚出来てただろうにな……」と哀れみの声調でぼそと呟いたのは三郎太くんだった。
「ちょっ! サブローあんたっ! いつから姉に対してそんなに反抗的になったのさっ!」
「俺が物心ついてからずっとだよっ!」
二人はまた姉弟喧嘩を始めた。 まったくこの二人が一緒になるとどこへ行ってもこの調子だ。 私はまた二人を諫めつつ、せっかくの祝福の場なのにユキくん達に身内の見苦しいところを見せてしまった事を詫びた。 幸いユキくん達は「心の底から笑わせてもらったから気にしないで」と言ってくれたから救われた。
そうして、いよいよ私がユキくん達に話しかける番だと意気込んで間もなく、玲先輩の元に一人の式場スタッフの女性が現れて、何かを話し始めたかと思うと、司会者が『学生時代のお友達と大変楽しく盛り上がっているところに水を差すようで申し訳ありません! そろそろご新婦様のお色直しの時間がやってまいりましたので、お話の続きは後程の時間でという事で、ご新婦様がお母様と一緒に退場致します。 拍手でお見送り下さい!』と指示を促した。
披露宴のプログラム進行の関係上、時間が押せば押すほど後のプログラムに支障が出るから仕方ない事だとはいえ、私たち五人の中で私だけ新郎新婦の二人とまともに会話出来なかったのは少し名残惜しかった。
しかし、そうした私の暗い態度を慮ってくれたのか、ユキくんと玲先輩が、
「さっき司会の人が言ってた通りこういう時間がまたあるから、その時に話そう」
「今度は千佳ちゃんの話、一番に聞くからね」と言ってくれて、今日は二人が主役なのに、ちゃんと私の事も気遣ってくれた二人の対応がたまらなく嬉しくって、明るい顔の二人の前でいつまでも暗い態度をしていられないと恥ずかしくなった私は「はいっ! あとでいっぱい話しましょうっ!」と精一杯の明るさを以って二人に対応した。
そうして玲先輩は高砂席の前に出向いた彼女の母と手を繋いで披露宴会場の大扉から一緒に退場していった。 まもなくユキくんもお色直しの為に彼の母と一緒に会場から退場した。 私たちも元のテーブル席へと戻った。




