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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
それから
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プロポーズはあなたから

 鈴木夫妻の結婚式からもうすぐ一年かと懐かしみを覚えていた皐月さつきの上旬、僕はその日も玲さんに夕食を振舞う為、仕事の終わってから地元のスーパーで買い出しを済ませたあと、台所で夕飯の支度をしていた。


 玲さんが早く帰宅する時は彼女が夕食を振舞ってくれるのだけれど、大抵は仕事の都合上彼女の方が帰りが遅く、その日も[今日はちょっと遅くなるよ。二十時過ぎくらいかな。]という連絡を受けていたから、そういう日は決まって僕が代わりに夕食を作っているのだ。


 それは玲さんに比べてしまうと料理の腕は劣るけれども、同棲生活も丸六年を過ぎていて、料理の()の字も知らなかった実家暮らしの頃に比べれば僕の料理の腕前もそれなりに上達していると自負しており、ある程度の料理を満足に作れるようになった頃からは如何いかに玲さんの舌をうならせてやろうかと日々試行錯誤していた。


 そしてその日は少し冒険して、玲さんでもたまにしか作る事の無い揚げ物に手を出していた。 それから玲さんは連絡通り二十時過ぎに帰宅し、僕は玄関まで出向いて玲さんを出迎えた。


「ただいま、ユキ」

「おかえり、玲さん」


 ただいまとおかえりのやり取りは、僕と玲さんの居場所はここにあるのだという事を証明してくれる、何年経っても色せない良いものだ。


「いやー遅くなってごめんね。 今担当してるお客様のプラン決めが長引いちゃってさ」


 土間で靴を脱ぎつつ、玲さんが帰宅の遅くなった理由を明かした。


「大変だったね。 今週も土日は出勤になりそう?」

「そうだね、今がちょうど大詰めだから両方出ると思う」

「そっか。 無理はしないよう身体には気を付けてね」

「うん、ありがと。 ――ん? なんかいい匂いするね」

 土間から家に上がって間もなく、玲さんが料理の匂いに気が付いたようだった。


「実はね、今日はちょっと頑張って揚げ物に挑戦してみたんだ」

「おー、やるじゃないユキ。 もう食べられる感じ?」

「あとちょっと盛り合わせしたらすぐ食べられるよ」

「じゃあ着替えてたらいい感じのタイミングになりそうだね」

「うん、それまでに用意しとくよ」

「おっけー。 あ、これ冷蔵庫に入れといてくれる?」と言って、玲さんは手に持っていたナイロン袋を僕に手渡した。


「ん、何これ」

「食後のお楽しみ。 中身は見ないようにっ!」と言い残して、玲さんは居間から去っていった。 袋の中を見てみると、何やら少し大きめの紙の箱が入っていた。 食後のお楽しみと言っていたからデザートか何かだろう。


 きっと帰りが遅くなった事のお詫びとして仕事帰りに何かしらのデザートを買って来たに違いない。 ひょっとするとお詫びとは建前で、玲さんが食べたかっただけなのかもしれないけれど。 僕はその紙の箱を袋から取り出し、冷蔵庫にしまい込んだ。


「――それじゃあいただきます。 うわぁ、おいしそうだね!」

「いただきます。 足りなかったらまた揚げるから言ってね」


 そうして僕たちの夕食の時間が始まった。 玲さんは僕の作った揚げ物を美味しい美味しいと食べてくれていて嬉しかった。 それでいて、ここはこうした方がもっと美味しく揚げられたかもというアドバイスもくれた。 油ものだから健康の為に毎日は出来ないけれど、次回揚げ物をする時はそのアドバイスを元に今日以上に玲さんの舌をうならせてやろうという目標を立てた。


「――ふぅ、おいしくて食べすぎちゃったかも。 ごちそうさま」

「お粗末様でした。 でも、そんなに食べ過ぎて食後のデザートは食べられるの?」

「あっ、何でデザートって知ってるの? さては中身見たなぁユキ」

「いやいや見てないよ。 玲さんが冷蔵庫に入れといてって言ってたから多分そうだろなって思って」


「なるほどね。 まぁその通りなんだけど」と言って、玲さんは席を立って台所に向かったかと思うと、冷蔵庫から例の紙の箱を取り出し、調理場で中身を取り出し始めた。


「あぁそうだ、ユキ、ちょっと電気消しといてくれない?」

「えっ、電気?」

「うん、電気」


 玲さんの意図も分からないまま、僕は彼女に言われた通り居間の電灯を消した。 もちろん部屋はすっかり真っ暗になってしまった。 すると、台所の方からだいだい色の明かりがともったのが見えて、光源は何だろうと気にしている内に玲さんが居間の方に現れ、両手に持っていたものをテーブルの上に置いた。 光源となっていたのはロウソクで、それが小型のホールケーキの外周よりやや内側へ等間隔に刺さっていた。


「え、今日って誰かの誕生日だったっけ」

 僕はこの状況を推察し、もっともらしい疑問を玲さんに投げ掛けた。


「誕生日じゃあないよ。 まぁ、お祝いっていう意味では合ってるけどね」

 玲さんは僕の提唱した誕生日説をたちまち否定しつつも、その読みもあながち間違いではないと含みのある物言いをした。


「お祝い、って」

「今ケーキの上に立ってるロウソクの数、何本ある?」

「一、二、三――七本」

「うん。 それで、私たちの同棲は今年で何年目?」

「えっと、僕が十九の十一月から始めて、今僕が二十六だから……――あっ、そういう事?」

「そういう事。 まあ実際には今年の十一月でちょうど七年目だけどね」


 僕はようやく玲さんの意図を理解した。


「なるほどね。 でも何で今日だったの?」

 先に玲さんの言った通り、実際に同棲七年目を迎えるのは十一月、そして今は五月。 およそ半年の誤差があるから、時期的には正直中途半端だ。


「いやぁ、今担当してるお客様も式中で両親にサプライズを考えててね、それで私もユキを久しぶりに驚かせてあげよっかなと思って」


 なるほど玲さんらしい思い付きだった。 時期外れとはいえ、僕の為に玲さんが仕込んでくれたサプライズだから、僕は「ありがとう玲さん、嬉しいよ」と素直に感謝を述べた。


「それじゃあ、ユキがロウソク消しちゃってよ」

「僕でいいの? どうせなら玲さんも一緒に消した方が」

「いいのいいの。 ユキの為に考えたサプライズだし、ほら消して消してっ」


 玲さんがそう言うならばと、僕は七本のロウソクに息を吹きかけて火を消した。 消し終わった後、玲さんはつつましやかに拍手を送ってくれた。 ロウソクの火が消えた事で部屋全体が真っ暗になってしまったから、僕はスマートフォンの明かりを頼りに居間の電気を付けた。 それから再びテーブルの前に腰を下ろすと、ホールケーキの上に載っているある物(・・・・)に気が付いた。


 それはホールケーキのちょうど中心辺りに乗せられていて、何やら器のような形をしている。 よく観察してみると、その器はお菓子で出来ているらしかった。 ちゃんと蓋もしてあって、蓋の上面には『ユキへ』という文字がクリームで書かれており、更に蓋を包むようリボンの包装をかたどった菓子細工が施されてある。 その器の全体像を見るに、それはまさしく一つのプレゼントボックスだった。


「玲さん、この真ん中の箱みたいなのって、何?」

 僕はその菓子細工で出来た箱を指差しつつ、玲さんにたずねた。


「開けてみたらわかるよ」

 玲さんは微笑を浮かべながら多くを語らなかった。 これも玲さんのサプライズの一つなのだろうと納得した後、僕は蓋を指でつまんで開いた。


「――えっ、これって」

 箱の中身を見た途端、僕はまたたきすら忘れてそれに魅入った。

 箱の中に入っていたもの。 それは、美しい輝きを放つ銀色の指輪だった。 それは菓子で汚れないよう、開放型の小型のリングケースに入れられていた。


「……」

 僕はまったく言葉を失っていた。 すると「綾瀬、優紀さん」という、ひどく真面目な声調でうやうやしく僕の名前を呼んだのは、テーブルをへだてて僕の正面に居た玲さんだった。 僕は黙したまま、玲さんの顔を見た。 彼女は先の声調に見劣りしない真剣な眼差しで僕をじっと見つめていた。 そうして玲さんは鼻から深く深呼吸したかと思うと、意を決したかのような相好そうごうこしらえたのち、


「私と、結婚してください」と言った。


 その言葉を聞いた瞬間、僕の胸の底から歓喜が溢れてくるのが分かった。 よもやサプライズに特大級のサプライズを重ねて来るとは予想だにしていなかった。 しまいには嬉しさのあまり涙さえ流れてきた。


「……っ、僕で良ければ、喜んでっ」


 声を震わせつつ、涙ぐみながらも、僕は玲さんのプロポーズを受け取った。 それから玲さんは菓子細工の中の指輪を取り出し、僕の傍まで移動しその場で腰を下ろしてから僕の左手の薬指にそれをはめてくれた。 サイズ感は驚くほどにぴったりだった。


「あんまり高いものじゃあ無いけど、これが私の気持ち」と、玲さんは少々自信無さげに言った。


「……値段の問題じゃあ無いよ。 ……嬉しい。 ほんと、嬉しい。

 玲さん、僕を好きでいてくれて、ありがとう」

 僕は歓喜のあまり、玲さんに抱きついた。


「うん。 私の方こそ、こんなわがままな私を好きでいてくれてありがとね、ユキ」

 玲さんもまた僕の身体をぎゅっと抱きしめてくれた。


 ――僕が社会人として働き始める前、僕は自身の性質の在り方を決めていた。 その在り方とは『僕は玲さんと二人きりの時のみ、女性として振舞う』というものだった。


 女性として振舞うと言っても、別に一人称が『私』になる訳でもないし、女性物の服装をする訳でも化粧を施す訳でもなく、かわいいものをかわいいと気兼ねなく言ってみたり、ちょっとした仕草が女性寄りになったりと、言うなればそれは、ほんの些細な変化だった。


 けれども、そのほんの些細な変化が、僕にとっては心の支えだった。 今でも務めている会社などでは、僕は『男性』を求められる事がある。 僕は自分の性質を会社にカミングアウトなどしていないから、会社側からすればそれは当たり前の事だった。 だから、そうした事が起きても僕は文句の一つも言える筈も無く、しかしその度に多少の心苦しさを覚えていたのも事実で、けれども、玲さんの前では『男性』を演じる必要が無いだけで、僕は大いに救われていた。


 もちろん古谷さんも僕の性質は知っているし、玲さんと同じよう、僕の性質を理解はしてくれているけれども、だからと言って四六時中彼女の存在をたのむ訳には行かないし、そもそも彼女には三郎太との恋仲関係(二人が結婚してからは尚更)もあったから、実質僕が恃めるのは玲さんだけだったという事だ。


 玲さんがぼくの存在を認めてくれているだけで、僕はこの世界で呼吸し続ける事が出来た。 その玲さんが、僕にプロポーズをしてくれた。 女性にとって、愛する恋人からのプロポーズは人生最大の夢であり、幸せの絶頂と言っても差し支えないだろう。


 そして玲さんは僕の性質を知っているからこそ、自身も女性でありながらその夢を見たい気持ちを押し殺し、僕にその夢を見させてくれた。 これを玲さんからの最上級の愛ととらえないで何とすべきか。 たとえこの指輪が玩具おもちゃの指輪だろうと僕には関係ない。 玲さんの想いのめられたものならば、僕は心の底から歓喜する事が出来る。


「ありがとう、ありがとう、玲さん」

 僕は玲さんに抱きついたまま、ありがとうを繰り返した。


「もう、ほんとユキはいつまで経っても泣き虫なんだから」

 玲さんは幼子をあやすよう、僕の頭を撫でてくれた。


「……泣き虫でいいんだ。 僕は、僕だから」

「そうだったね。 ユキはユキでいいんだよ」

「……うん」

 その肯定の言葉に、僕はどれだけ救われた事だろう。


「――実は今日っていう日は、私たちにとって大事な日なんだ」

「大事な日、って」

 玲さんが意味深な発言をしたから、僕は抱擁を解いて玲さんの顔を見据えた。


「五月九日。 今日は私とユキが高校で初めて会った日なんだよ」

 玲さんは微笑を浮かべつつ、誇らしげにそう答えた。


「そんな事まで、覚えててくれたんだね」

「当たり前だよ。 あの日は本当のユキを知った日でもあったからね」


 僕でさえ忘れていた事を覚えていて当たり前だと言い切ってくれた玲さんの僕に対する愛の深さは未だ計り知れない。 僕はまた一つ、玲さんの愛の深さを更新した。


「それじゃあユキの返事も聞けた事だし、婚約祝いでこのケーキ一緒に食べようよ」


「そうだね。 でも全部は駄目だよ玲さん。 今日は揚げ物だったし、もう僕たちも若者じゃあ無いんだから夜遅くにあんまり食べ過ぎたら太っちゃうよ」


「えー、全部食べる為に小さめのやつにしたのに」


「えー、じゃないでしょ。 もう。 せっかく今も昔のスタイル維持してるのに勿体ないでしょ。 些細な過食から始まるんだよ、肥満は。 そういえば玲さん最近ちょっと体重増えたって言ってなかったっけ」


「ほらまたすぐそういう事言うー! 女の子にそういう言葉は禁句だって昔言ったよね?」

「それは男から女に(・・・・・)の場合でしょ? 今は女同士(・・・)なんで」


「……ほんっと、昔からそういう生意気な屁理屈はうまいんだから」

「年下はちょっと生意気なくらいの方がかわいいでしょ」

「……」

「……」

「「ふふっ」」


 僕たちは顔を見合わせて失笑した。 こんな子供染みた冗談を言い合ってお互いに笑える関係が幸せだ。 それから僕たちはケーキを食した。 婚約という甘い甘い味をケーキと一緒に噛み締めつつ、満足げに舌鼓したづつみを打って。

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