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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
最終部 君の隣で歩く僕、僕の隣で笑う君
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最終話 真実

「おっ、来た来た。 ごめんね急に呼び出したりなんかして」


 いこいの場所には数分で辿り着いた。 そこには玲さんが優しい笑みを浮かべながら立っていた。 玲さんの制服の胸ポケットにはまだ例のコサージュが付けられてあって、いっそう玲さんという人の美しさを際立たせているように見えた。


「いえ、大丈夫です。 ところでこんな所で何してたんですか」

「うん、今日で学校生活も終わりだから、最後にユキと知り合うきっかけになったこの場所ともしっかりお別れしとこうかと思ってね」


 やはり玲さんはこの場所をすこぶる気に入っているようだった。 玲さんは後ろ手をしながらやや仰向いて青の空を眺めながらそう言った。


「なるほど。 そう言われてみたら、ここが全ての始まりだったんですね」

「そうそう、あの時はユキとこういう仲になるなんて思いもしてなかったけど」


 ――去年の五月頃、古谷さんの座席事情を解決した僕が古谷さんに実習棟四階の東側非常階段の扉前に呼び出され、僕の事を一方的に好きでいさせて下さいという妙な告白を受けた。 その時に玲さんが非常階段の扉の向こうに居て、僕たちの色恋を聞かれてしまった事がきっかけで、僕は玲さんと知り合った。


 今思い返してみても実に奇妙な巡り合わせだ。

 もし、僕が古谷さんの座席事情に意識を傾けていなかったら――

 もし、古谷さんが僕をあの場所に呼び出していなかったら――

 もし、あの日玲さんがこの場所に居なかったら――


 僕と玲さんの出逢いは、そうした色々な『もし』が起こらなかったからこそ生まれたものだろう。 なにか一つでも『もし』が起きていたら、僕は玲さんと出逢っていなかったかもしれない。 そう思うだけで背筋に悪寒が走り、ぞっとする。


 けれども、過去のあやまちや苦い経験がどれだけ後悔しようとも取り消せない真実であるよう、今まさにはぐくんでいる玲さんとの幸せな恋仲もまた僕にとって取り消せない真実だ。 えてドラマチックに言うならば、こうした様々な巡り合わせによって特定の誰かと出逢う事を『運命』だと言うのだろう。


「そう言えば玲さんは何でずっとこの場所でお昼を食べていたんですか」


 今日で玲さんは卒業だから、僕は以前よりずっと気になっていたその事情について彼女に問いただした。 すると玲さんはまた空の方を仰向いて、


「ここに居るとね、理央の事を忘れないでいられたんだ」と、しんみりした声調で語った。


「理央さんの事、ですか」


「うん。 ユキには話したと思うけど、私が中学の時にもここみたいな場所があってね。 ここに一人で居ると、よく理央の事を思い出せたんだ。

 あの子の無邪気な笑顔も、あの子の笑い声も、あの子のぬくもりも、よく思い出せた。 あの階段の向こうから、いつか理央がひょっこり現れるんじゃないかって思った事もあった。 ――でも、それも今日で終わりにするよ」


「終わりにする、っていうのは」

 恐る恐る、僕はたずねた。


「理央への想いは今日ここに、この場所に置いてくよ」

「……」


 理央さんへの想いをこの場所に置いていくという言葉を玲さんの口から聞いて、僕は言葉を失った。


「もちろん理央の事は忘れられる筈も無いし、忘れろって言われたって忘れるつもりなんて更々ないけど、私がこれまで理央に罪悪感を感じてたのは事実で、でも私がいつまでもそんな気持ちを心に残してたら空の上の理央に気を遣わせちゃうだけだから、理央に対するわだかまりが解けた時点で私の卒業と一緒に理央への想いはこの場所へ置いていこうって前から決めてたんだ」


 なるほどと、僕は無言で首肯しゅこうした。 きっと玲さんはこの場所でずっと心の中の理央さんと対話していたに違いない。 そのたびに玲さんは在りし日の理央さんと共にはぐくんだ情愛に手を伸ばし、すっかり色()せ温もりを失った過ぎ去りし日々に仮の色と温度を与えつつも、理央さんへの罪滅ぼしの為に彼女に対するぬぐいようのない罪責感を心の奥底から呼び覚まし、罪の意識で自身の胸を痛め続けていたのだろう。


 心の中の理央さんと対話するには、玲さんは一人で居なければならない。 だから双葉さんがこの場所に同席を願おうとも、玲さんはにべもなくその申し出をことごとく断ってきたのだろう。 だとすると、これまで何度も玲さんにこの場所へ呼び出された僕は、その時点から玲さんにとっての『特別』だったのかも知れない。


 もちろん、玲さんが僕という人間の背景に理央さんの境遇を重ねていたという事も助けていただろうけれども、それでも僕は玲さんが学校内の誰よりも僕に心を開いてくれていた事が嬉しいし、誇らしくもある。 そうして玲さんは、理央さんへの想いをこの場所へ置いていくと言い切った。


 玲さんの事だから、卒業後も理央さんの事を不必要に想い続け、それを僕に悟られて気を遣われる事を嫌ったのだろう。 弱いところを見せたがらない玲さんらしい決意だ。 ならば僕がその決意を引き止める理由も曇らせる理由も無い。 きっとその決意に至るまで、玲さんは何度も思い悩んだろうとは思う。 それでも玲さんは実質的な理央さんとの別れを心に決め、ここに宣言した。


 ひょっとすると、一人では決意が揺らぐやも知れないからとえて僕をこの場に呼んで、自身の決意を確かなものにしたかったのかも知れない。 実に殊勝しゅしょうな心意気だ。 僕としても、玲さんの決意を彼女の心にとどめ続けるかすがいになれるのならば、玲さんの恋人としてこれほど幸いな事は無い。 なればこそ僕は、玲さんの卒業と共に、玲さんの理央さんとのお別れもこの目でしかと見送ろう。


「……なるほど、分かりました。 そうする事で理央さんも安心してくれるんじゃないでしょうか」


「そうだといいんだけどね。 でも、ユキにこの事を話せて良かったよ。 一人じゃ決意が固まり切らなくて結局未練がましくこの想いを心に残しちゃいそうだったから。 最後の後押しをしてくれてありがとね、ユキ」


「いえ、お礼を言われるほどの事じゃあないですよ。 玲さんの恋人として当然の事をしたまでです」

「ふふっ、ほんとユキも言うようになったね。 それはどっちの(・・・・)ユキの言葉?」

「さぁ、どっち(・・・)でしょう」


 何だか以前よりもずっと、玲さんの溜飲りゅういんの下がったような雰囲気が見て取れた。 玲さんが心残りなく学校を去れる助力となれたのはとても喜ばしい事だ。 それから僕たちはおだやかな冬の陽に暖められながら時間を忘れて閑談に花を咲かせた。


「――でさ、先生からのお別れの言葉を聞いてから双葉が大泣きしちゃってね。 他に泣いてた子も双葉の泣きようを見て驚いて涙が止まっちゃったって言ってたよ」


「はは、双葉さんって結構涙脆いところがあるんですね」


 あれからしばらく話し込んでいて、話頭は玲さんの卒業式後からの話に転がっていた。 これまで接して感じた限り、双葉さんはわりかし自身の感情に素直な性質の人だから、そうやって人目もはばからずに大泣きをていしてしまったのだろう。 双葉さんらしいと言えば双葉さんらしい話だ。


「そうそう、意外にね。 その後も私に抱き着いてきて『玲と別れたくなーい!』なんて言ってきて、別にこれが今生こんじょうの別れになる訳でもないのに大袈裟な事言っててさ。 ほんとに最後の最後まで騒がしかったよあの子は」


 などと軽い悪態を付きつつも、玲さんの口元に優しい笑みがこぼれているのを僕は見逃さなかった。


「でも、それだけ双葉さんは玲さんの事を大事に思ってたって事じゃあないですか」

 その笑みを僕なりに斟酌しんしゃくした上で、双葉さんの言動を擁護ようごしながらそう言った。


「うん、それは分かってる。 正直私も双葉が居なかったら高校三年間ずっと友達らしい友達も作れなかったと思うから、高校に入学してから私にずっと構い続けてくれた双葉にはほんと感謝してるよ」


 やはり玲さんにとっての双葉さんは、理央さんとはまた違った大事な関係のようだった。 以前双葉さんは、玲さんの雰囲気が明るくなったのは僕のお陰だと言っていたけれど、間違いなく双葉さん自身もその役に大いに貢献していただろう。


 もし玲さんの隣に双葉さんが居なかったら、双葉さんが玲さんの中学時代にいためた心を癒していなければ、僕と玲さんの出逢いもまた違っていたものになっていたかも知れないし、そもそも玲さんが僕という人間に対しアクションすら起こしていなかったのかも知れない。


 こんな事を第三者の僕が言うのは実に烏滸おこがましいし、ちょっとおかしく感じてしまうけれども、それでも僕は心の中で感謝しよう。

"双葉さん、玲さんの友人で居続けてくれてありがとう" と。


「っていうか、ユキも卒業式の時に泣いてたよね」

「えっ、なんで玲さんが知ってるんですか?!」


 玲さんに卒然と僕の泣いていた事を指摘され、僕はただただ慌てふためいた。

 

「だって、卒業生退場の時にユキの顔見たら目真っ赤だったもん」


 ああなるほどと、僕は納得した。 あの時既に涙は止まっていたけれど、泣いた事によって生じた目の赤さまでは隠し切れていなかったという事だ。 頭隠して尻隠さずならぬ、涙隠して目隠さず。 僕は途端に恥ずかしくなって、頬を熱くした。


「……そうですよ。 玲さんが真剣に別れの歌を歌っている姿を見たのと、今日で玲さんと学校で会えるのも最後かって思うと我慢出来なくなって」


 照れ臭さを噛み締めつつ、僕は正直に僕の泣いてしまった理由を明かした。


「そっか。 まぁ私の為に泣いてくれたのは嬉しいけど、私としては卒業式っていうのはお別れっていうよりも、新たな出発っていうイメージなんだよね」


「と、言うと?」


「一般的な卒業式のイメージって、お別れっていう悲しいイメージがあると思うんだ。 もちろん数年間のあいだ親しい友人たちと笑ったり怒ったり悲しんだりする日々を送ってきてるから、いざその日々にお別れをするのは辛いし悲しいとは思うよ」


 玲さんは自身の卒業式のイメージを流暢りゅうちょうに語り始めた。 下手な合いの手は邪魔になるだろうと、僕は無言で相槌だけ打っていた。


「でも卒業式っていうのは別れと同時に新たな一歩を踏み出す、物事の始まりだとも思うんだ。 確かに別れは悲しいけど、その悲しみを吹き飛ばす様々な人との出会いがこれからあるんだって思うと、私はわくわくしちゃうんだ。 だから私は今日一回も泣かなかったし、みんなと笑顔でお別れ出来たんだ。

 もちろん泣いてる人を馬鹿にするつもりは無いよ。 物事に対する感情の受け方は人それぞれだからね。 でも、悲しい方にばっかり心を向けてたら自分でも知らない内に悲しみを引き寄せちゃうから、悲しい時には我慢しないで悲しんで、それからちょっとずつ楽しい事に目を向けていったらいいと思うんだ」


「なるほど。 前から思ってましたけど、やっぱり玲さんってポジティブですね」

 先の玲さんの卒業式に対する一家いっかげんを聞いて、僕は率直な感想を述べた。


「まぁ、誰かに(・・・)心を動かされるまでずっと理央への罪悪感に圧し潰されてた私が偉そうに言えた事じゃあ無いけどね」


 ちょっと視線を落としつつ、玲さんが皮肉っぽく自身を揶揄やゆした。


誰か(・・)って誰ですか」

 しかし僕は敢えてその皮肉には触れず、既に分かり切っている事を玲さんにたずねた。


「さぁ、誰でしょう」


 先の僕のとぼけに対する仕返しか、玲さんは白い歯をのぞかせつつ、にやりと笑みを浮かべながら悪戯いたずらっぽくそう言った。 


「でも、学校で玲さんに会えるのが今日で最後かと思うと、やっぱり寂しいです」

「そんなのすぐ慣れるよ」と玲さんはあっけらかんと言い切った。

「そうでしょうか。 何だか数か月くらいは引きずりそうなんですけど」


「いやいや、それは私に依存し過ぎだよ。 これからはいざっていう時に学校でユキを助けてあげられないんだから、その辺はしっかり割り切らなきゃ駄目だよ?」


「それは分かってますけど……そんなに簡単には割り切れないですよ」

「……はぁ、まったく。 ユキは最後まで世話が焼けるんだから。 ――それなら今からユキに、私が居なくても寂しくなくなるおまじない(・・・・・)を掛けてあげるよ」


 いつまでも僕がへどもどしている様を見続けて我慢の限界が来たのか、玲さんは深い溜息を付いたあと、おまじない(・・・・・)などという大層な物言いをした。


「おまじない、ですか。 もしかして、なに呪詛じゅそ的なやつですか」

「……ユキには私がそういうアブナイ人に見える訳?」

「すいません冗談ですごめんなさい」


 何だかこうしたやり取りをしたのは久方ぶりな気がする。 何だか覚えず心が温まった。


「もう、せっかく人が心配してるっていうのに。 んじゃ、ちょっと目つむっててくれる?」

「わかりました」と言って、僕はおもむろに目を閉じた。 それから間もなく、僕の目の前が少し暗くなったのがまぶた越しに分かった。 何やら、玲さんが僕の前方を移動しているようだった。


「何だか怖いんですけど」目は閉じろと言われたけれど、口を閉じろとは言われていなかったら、僕はつい余計な口を挟んだ。


「大丈夫大丈夫、すぐ終わるから」とは言われたものの、こういう時の玲さんの『大丈夫』はあまり当てにならないからかえって怖さが増幅してしまう。 すぐ終わって、僕の寂しさを無くせるおまじない(・・・・・)――何なのだろう、一体。 気になって、そわそわする。 けれど目を開けたら玲さんはぷんぷん怒るだろうから、何を間違えても目は開けられない。


「あぁ、そうそう。 このおまじないはユキが身体のどこかに異変を感じた時点で終わってるから、ユキが異変を感じたら目を開けていいよ」


 玲さんはおまじないの要領を説明している。 声の近さ、方向からして、やはり玲さんはまだ僕の真正面に居るようだった。 しかし『僕の身体に異変』という不穏な言葉を聞いて、更に僕の心に恐怖の色が強くにじみ出てきた。 玲さんの目の前で目を閉じているだけでも若干恐ろしいのに、そうした不穏な事を言われてしまったら恐ろしさが助長するに決まっている。


 ひょっとしたら玲さんはおまじないと称しながら、目を瞑りつつ無抵抗に恐れおののいている僕の情けない姿をスマートフォンで撮影しているのかも知れないという憶測まで浮かんできた。 以前にも僕は玲さんの思わせぶりな演技に騙されて情けなさ極まりない写真を撮られてしまっているから、その線が全く無いと言えないのが怖いところだ。


 しかしだからと言って勝手に目を開けてしまったりドッキリを疑ってしまったら、それはそれで僕の負けのような気もするから、ここは敢えて愚直に玲さんのおまじないに掛けられる事を信じ、僕は何も行動を起こさず「……わかりました」とだけ返事した。


「それじゃ、おまじない掛けるね」と玲さんが言ったあと、途端に僕の正面から玲さんの気配がまったく消えてしまったような感覚に襲われた。

 瞼越しの視界は先のままだったし、移動した足音なども聞こえてこなかったから、恐らく玲さんは僕の正面から移動していないとは思うけれど、だとすると玲さんは僕の正面で息を殺し気配を消して、一体何をしているのだろう。


 本当に、玲さんなりのおまじないを僕に掛けているとでも言うのだろうか。 それはそれで見てみたい気もする――などと、様々な思考を巡らせていた矢先、僕は突然両頬に冷ややかな感触を覚え、覚えず背筋を伸ばした。


 どうやら『何』かが僕の頬に触れたようだった。 その『何』かが玲さんの手だと断定して――間もなく、僕の唇は温度のある柔らかい感触を覚えた。 その唇に触れた『何』かの温度は徐々に僕の唇へと移ってゆく。 これはもしや――まさか――これを異変ととらえないで何が異変かと、僕は目を見開いた。


「……!?」


 開口一番僕の目に飛び込んで来たのは、まぶたの閉じられている、玲さんの長い左の睫毛まつげ。 玲さんは僕の両頬に手を添えつつ、僕に口づけをしていたのだ。 僕は驚きのあまりまたたきすら忘れて目を見開いたまま呆然としていた。 そうして玲さんは口づけをやめて一歩退しりぞき「これが私からのおまじない」と微笑を浮かべながらそう言った。 僕は目をぱちくりしながら玲さんの顔を黙って見つめていた。


「これから先、ユキが私の居た学校生活を思い出して寂しくなった時、この場所に来たらいいよ。 それから今日私の掛けたおまじないを思い出せば、多少の寂しさなんて吹き飛ばせるはずだから」


 なるほどそういう事かと、僕はようやく玲さんのおまじないの意図を理解した。

 どんなに離れていようとも、僕と玲さんとでこれまではぐくんできた学校生活の記憶は消える事は無い。 そして玲さんは僕の為に強い記憶を刻み込んでくれた。


 結局最後の最後まで、僕は玲さんに助けられっぱなしだった。 この人は何故僕にそこまでしてくれるのだろうと今でも思う事がある。 その見返りとして僕はこの人に何かをしてあげられたろうかと自分を情けなく思う事もある。 けれども僕がそう言ったら、きっとこの人はあっけらかんとこう言うだろう。

『何言ってんのさ、私がそうしたいと思ったからそうしてるだけだよ』と。


 僕はこの人の気まぐれに何度翻弄ほんろうされたろう。

 僕はこの人の気まぐれに何度救われたろう。

 数えても、数えきれるものじゃあない。

 そしてこれから先もきっと僕はこの人に翻弄され、救われ続けるのだろう。 

 いつの日か、この人に恩返し出来る日がればいいなと願わずにはいられない。

 けれども今はまだ何も出来そうにないから、さしあたりとしてこう言おう。


「……ありがとうございます、玲さん」

「どういたしまして」彼女はにこやかにそう言った。


「あの、玲さん」

「ん?」

「ついでと言ってはなんですけど」

「うん、どうしたの?」

「僕はこれから先、どっちの性別に成ればいいと思いますか」

「それは――」

「それは……?」

「――それは、これから私と二人(・・)で一緒に考えていけばいいよ」

「玲さんと、一緒に」

「うん。 言ったでしょ? これから先はずっと私がユキの傍に居るって」

「……そうでしたね。 僕はもう、独り(・・)じゃないんですね」

「当たり前だよ。 もう、ユキをこの世界で独りぼっちになんてさせないから」

「玲さんも結構恥ずかしい台詞せりふ言いますよね」

「ほんとね、一体誰に影響されちゃったんだか」

「さぁ、どこかの生意気な後輩じゃあないでしょうか」

「……ふふっ。 その憎まれ口はいつか矯正してあげるから覚悟しときなよ?」

「その時はご指導ご鞭撻べんたつのほど、よろしくお願いしますよ、先輩」

「ほんっと、ユキは最後の最後まで生意気言ってくれるんだからっ」


 如月の終わりの日は確かに未だ肌寒くはあったけれど、何ものにもさえぎられる事の無い太陽の光が僕たちを照らし、時折春の匂いを感じさせた。

 桜の満開に咲く頃、玲さんはもうこの学校には居ない。 けれども僕は、季節の移り変わるたび、玲さんと過ごした学校生活を思い出すだろう。


 桜の木々が若緑わかみどりの葉を茂らせる春過ぎには、玲さんとの馴れめを。

 じめじめとした梅雨時には、一本の傘の下で玲さんと下校した事を。

 汗もしたたる真夏には、玲さんの家で食べたアイスとメロンソーダの味を。

 衣替えの済んだ秋頃には、玲さんと決別しそうになった苦い日々を。

 初雪のちらつく冬頃には、玲さんの苦悩と向き合い、寄り添った事を。

 年の明けて三学期の始まる頃には、玲さんと一緒に登下校した日々を。

 そして卒業の季節には、この場所で玲さんと口づけを交わした事を。


 ――正しい世界か、間違った世界か。

 どちらに生まれたかと言えば、きっと僕は、間違いの方に生まれたのだと思う。

 その為に僕はこれまで何度も傷ついて、自身の存在さえも否定して。

 何故僕だけがこんな目に遭わなければならないのかと嘆いては、

 正しい世界の住人を瞳に映し、その度に自分もそうありたいと願った。


 けれども世界は残酷で、僕がどれだけ正しくありたいと強く願おうとも、

 世界は僕の願いを受け入れず、僕を間違いの檻に閉じ込め続けた。

 檻は開く事も無く、おりだけが胸底に溜まり続ける日々に嫌気が差した。

 坂井玲という人間と出逢うまでは。


 彼女もまた、道をあやまった人だった。

 僕たちは、間違えた者同士だった。

 けれども、正しい者同士じゃあ、僕たちは出逢っていなかったろう。


 間違えた世界に生まれたり、道を誤った事を喜ばしいと思いたくはない。

 それでも僕たちは間違えた道の先で出逢った。

 僕たちは、似た者同士だった。

 それは運命だったのか、はたまた神様の気まぐれか。

 運命と呼ぶには仰々(ぎょうぎょう)しく、気まぐれと呼ぶには出来過ぎたその数奇な関係は、

 きっとこれからも長く永く続いてゆくのだろう。


 今、僕のあゆんでいる道が正しいかなんて僕にも分からない。

 でも、彼女さえ僕の隣に居てくれたら、彼女さえ僕の隣で笑っていてくれれば、

 正誤なんてどうでもよかった。 正しい道だろうが、誤った道だろうが、

 彼女と一緒に歩いてけば、それが僕にとっての正解になると信じている。


 ――坂井玲さん。

 ぼくを知ってくれたあなたに、言葉に仕様の無い感謝を。

 今日、学びを去ってゆくあなたに、一時いっときのさようならを。

 そして、あなたのさちある門出に、心からのいってらっしゃいを。


「玲さん」

「ん、なーに?」

「ご卒業、おめでとうございました」

「うん、ありがと」

「これから社会人としても、頑張ってください」

「もちろんだよ。 ユキも勉強頑張ってね」

「はい」

「――空、きれいだね」

「はい、とっても」


 見上げれば青い空。 雲は無く、どこまでも晴れ渡る、澄み切った青の空。

 自然と繋がれた手と手はほどける事を忘れ、互いのぬくもりを分け合い続けた。


「玲さん、好きです」

「私も好きだよ、ユキ」


 僕は改めて、玲さんの手を強く握った。

 今、僕の握っている真実ほんとうが嘘にならないよう、ぎゅっと、ぎゅっと。

本編はここで終わりです。

便宜上、最終話と名付けていますが完結ではなく後日談があと少しだけ続きます。

最後までお付き合い頂ければ幸いです。

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