第十三話 傍若 3
「先輩、先に買う物だけ選んでおいてくれますか。 食堂に友達を待たせてたので遅くなった事情だけ伝えてきます」
僕は食堂の入り口付近で玲さんに少しこの場を離れると伝え、彼女の「わかった」という返答を耳に認めた後、彼女と一旦別れて三郎太達を探し始めた。
「おーい、ユキちゃんこっちこっち」
暫しきょろきょろと彼らを探していると、中央付近の席から僕の名前を呼ぶ声が聞こえたので声のする方向へ視線を向けると、軽く手を振って僕を誘導している三郎太の姿が目に入った。 僕は早足でその場所へと向かった。
「おかえりなさい、ユキくん」
「教室に戻ってた割にはえらく遅かったなぁユキちゃん。 何か別の用事でもしてたのか?」
二人に出迎えられ、ふと食堂内の掛け時計で時刻を確認すると、現在は十二時五十五分。 僕が二人の元を離れてから十分ほど経過してしまっていたらしい。 昼食も二人揃って食べ終える間際のようだ。 さすがに言い訳するには時間が経ち過ぎていた事と、まもなく僕と玲さんとの接触が二人に露見する事を思えば、今この場で下手に弁明を図るよりも、ある程度素直に事情を話した方が彼らにも筋が通るだろうと思い立ち、予め玲さんの存在を仄めかす作戦に打って出た。
「実は昨日家に定期を置き忘れちゃってて、行きは手持ちのお金で何とかなったんだけど帰りの電車賃が足りなくてね、それで昨日呼び出された先輩に今日返すつもりでお金を借りてたんだ。 お金の事もあったから一応連絡先は交換してて、さっきその人と連絡が取れてお金を返しに行ってたんだ。 それで初対面の僕にお金を貸してくれた恩もあるし、よかったら食堂で何か奢りますよって事で、その人と一緒に食堂に来たんだ」
当意即妙とは言い難いものの、即席の言い分にしては上出来だろう。 しかし、三郎太には昨日電話で玲さんの存在を明かしていたから何も追求はしてこない筈だけれど、古谷さんは玲さんに関しての事情を何も知らないから少々反応が怖い。
「はー、そうだったのか。 そんな会ったばっかりの先輩に頼らなくても俺に連絡してくれたら学校か駅まで貸しにいってやったのに水臭ぇなぁユキちゃん」
「そうは言ってもいくら家が近所だからってそこまでしてもらうのは気が引けるし。 でも、今後どうしようもなく困った時はお言葉に甘えて頼るようにするよ」
「おう! いつでも言ってくれよな」
こういう三郎太の気さくさは僕も男として見習うべきなのかも知れない。 思わぬところから男への足掛かりを得つつ、先程からしきりに僕の顔色を窺う古谷さんの視線が気になっていたから、敢えて先手を打つ事を決意した。
「古谷さん、その先輩の話なんだけど、実はその人に昨日僕達が実習棟で話してた内容を全部聞かれてたみたいでね。 それで僕が昨日呼び出されてたのはその事についての冷やかしみたいなものだったんだけど、その先輩けっこう良い人で、その話を言い触らすような事もしないって言ってくれてたから心配する事は無いよ」
そうして僕が説明を果たすと、古谷さんは安堵の表情を覗かせて何度か首肯を繰り返していた。
「そうだったんですか、何だか私のせいでユキくんが色々大変だったみたいですね。 ごめんなさい」
「ううん、古谷さんが謝る事ないよ。 そもそもあんな場所に人が居るなんて誰も思わないし、あれは事故みたいなものだよ」
あの日あの場所に玲さんが居る事を知っていたのは正午過ぎのお天道様ぐらいだろう。 それから古谷さんが「その人、どこに居たんですか?」と興味深そうに訊ねてきたので、「僕らが話してた場所の後ろにあった非常階段の扉の裏だよ」と僕が答えると、「それは分かる筈ありませんね」と彼女もくすくすと失笑を漏らした。
「今度からは気をつけないと。 壁に耳在り、非常階段に先輩在りってね」
僕が付け足しで教訓めいた事を呟くと、古谷さんは突然テーブルに突っ伏して微かに声を漏らしながら堪えきれないといったような笑いを体全体で表現し始めた。 どうやら僕の口にした教訓によって彼女の笑いのツボが刺激されたらしい。 彼女のツボは奇妙なところにあるようだ。
それからしばし三人で玲さんの神出鬼没な事について語った後、これ以上玲さんを待たせるのも悪いだろうという懸念が僕の脳裏を過った事もあり、程々に会話のタイミングを見計いつつ、
「それじゃ事情も説明できたし、先輩待たせてるからまた一旦離れるよ。 もう二人とも食べ終わってるみたいだし、もしあれだったら先に教室に戻ってくれててもいいよ」と、再び席を離れる旨を二人に伝えた。 しかし、
「いや、俺はその先輩がどんな人なのか見たいから残ってるぜ」
「私も、ちょっと興味あります」
――などと言われ、二人の腰が椅子から離れる気色はまるでなかった。 あわよくば玲さんと接触する前に二人に教室へ戻ってもらえるかも知れないと、暗に食堂からの退室を促したはいいものの、僕が迂闊に語り過ぎた為か却って二人の好奇心を煽ってしまったようで、僕の抱いていた淡い期待は泡沫の如き儚さで弾け飛んだ。
「そ、そうなんだ。 じゃあ、行ってくるよ」
そうして、妙な弱気に足取りを重たくされつつ、僕は二人の放つ好奇の矢を背中に受けながら玲さんの元へと戻った。




