第五十三話 限られた時間の中で 3
――などと、玲さんの事を考えている内にいつの間にやら竜之介の乗り込んでくる一駅前を通過していた。 玲さんの事を考えていると本当に時間を忘れてしまう。 とりわけ電車に乗っている時は気を付けておかないと降りる駅すらも忘れ呆けてしまいそうだ。 いけない、いけない。
何せ、玲さんと地元で遊んだあの日、駅前で彼女と別れて彼女の事を想いながら家に帰った後、玄関先で靴を脱いでいる途中に何か大事なものを忘れている予感がして思考を巡らせた矢先、駅のロッカーに鞄を預けていた事をすっかり忘れてしまっていて、また靴を履き直して駅に鞄を取りに行ったあと再び家に戻るという蜻蛉返りを体現してしまったくらいだ。
況や、その事を冬期休暇中のとある日の通話中に玲さんに話したら電話越しに大いに笑い飛ばされた。 玲さんの事を想いたい気持ちは分かるけれども、今後そうした虚けが起こってしまったらまた玲さんに笑い飛ばされてしまうのは目に見えているから、今後は気を付けるようにと僕は僕自身に戒められた。
その戒めを改めて胸に走らせつつ、僕は間もなく乗り込んでくる竜之介を出迎える為、席を立って乗り込み口付近へと足を運んだ――直後、僕のスマートフォンが制服ズボンの右ポケットの中で振動を来した。 バイブレーションの種類から察するに、SNS宛のメッセージのようだった。 僕はその場でスマートフォンを取り出し、先の着信の内容を検めた。 通知の相手は玲さんだった。
[おはよう。今日時間あったら放課後私の家に遊びに来ない?]
――そのメッセージを読んだ瞬間、歓喜の鼓動によって心臓から送り出された血流が全身に満たされてゆくのを感じ取った。 周囲には他の乗客も居たというのに、覚えず口元がにやける。 先に胸に走らせた戒めすらも忘れ呆けて、僕は性懲りもなく僕の心を玲さんで満たした。 いやはや好きな人の事を意図的に想わない事がこれほどまでに無理難題だとは思いもしなかった。
僕は永い間私の玲さんの事が好きだという想いを閉じ込め続けていたから、今まさにその反動の影響が来ているのかもしれない。 けれども、今更無理にその反動に歯向かう事も無い。 むしろ、その反動の波に乗せて、僕はこう伝えたい。
好きな人の事を想わないで何が恋愛か。 何が愛だ。 と。
何を生意気に知った風な口を利いているのだと窘めてくれてもいい。 恋は盲目を地で行く愚か者と笑ってくれてもいい。 誰が何と言おうとも、僕は玲さんを心より愛している。 その想いは何人にも侵す事の叶わない永久不変のものだ。
[行きます。楽しみにしてます]
僕は玲さんにそう返信したあと、スマートフォンをしまってから目を瞑り、玲さんに想いを馳せた――
ああ、今すぐにでも、玲さんに逢いたい。
あの顔を、あの声を、僕の目に耳に入れたくて堪らない。
まだ登校も果たしていないというのに、もう放課後が待ち遠しい。
こんな浮付いた気持ちのまま、今日の授業をまともに受ける事が出来るだろうか。 きっと無理だろう。 気が付けば僕は、ノートに玲さんの名を書いているかもしれない。
想えば想うほど、玲さんへの好意が際限なく僕の心に膨らんでゆく。
あぁ、玲さんに逢いたい。
「……何をニヤけとるんや優紀」
「――えっ?!」
僕の耳底に聞き覚えのある低音声が響いて、はっと思わず目を見開くと、僕の目の前にちょっと呆れた顔をした竜之介が立っていた。 どうやら僕は電車が停車して竜之介が乗車してきた事にさえ気が付かないほど呆けていたらしい。
そうして、竜之介に僕の顔の情けないのを指摘され、その恥ずかしさでたちまち頬に熱が走るのを感じた僕は、にやつかせていた口元を締め直して必死に平然を取り繕った。 その行為が相手にとっていかにも半間である事を自覚していながらも。
「僕、そんな顔してた?」
改めて聞かずとも分かり切っている事なのに、この期に及んでつい強がる。 穴があったら入りたい。
「おう。 おおかた例の先輩の事でも考えとったんやろ」
竜之介には何もかもお見通しのようだった。 僕は「……うん」と素直に認めた。
「まぁ、恋愛言うもんは付き合い始めが一番楽しいもんやからな。 俺も美咲と付き合い始めた頃は毎日そんな感じやったから、そうなってまう気持ちは良ぉ分かるで優紀」
竜之介は僕の情けない姿を笑い飛ばすでもなく、自身にもそうした経験はあったと僕の気持ちに寄り添ってくれた。 何だか初めて竜之介と同じ立場で彼の隣に立てたような心持がして、無性に嬉しくなった。
「しかしこれから優紀の恋話が聞ける思たら楽しみやな。 また色々聞かしてくれや」
「うん、今度は僕の方から悩み相談する事もあると思うけど、その時はよろしくね」
「おう、いつでも聞いたるわ」
恋愛の大先輩が身近に居てくれるほど心強いものはない。 こうして僕は例の心持を抱きつつ、竜之介との閑談に勤しんだ。 いつも以上に話に華が咲いたのは、きっと気のせいでも何でも無かったに違いない。




