第十三話 傍若 1
「そういえば、玲さんの持ってるそのクッションって自前ですか」
階段を降りている最中、僕の前を歩いている玲さんが後ろ手に抱えていた桜色に水玉模様の掛かった丸型クッションが目に留まったので、食堂へ向かうまでのちょっとした会話にはちょうど良い話題だろうと思い立ち、彼女に訊ねた。
「ん? そうだよ。 これ敷いてないとお尻が痛くなっちゃうからね」
振り返り気味に玲さんが応答する。
なるほどいくら風当たり無く日当たり良好の立地と褒め囃したところで、地面は無機質な打ち放しのコンクリート。 お世辞にも柔和とは言えない根っからの堅物に、快く座を預ける事の出来る御膳上等のソファ然とした座り心地を彼女に提供するほどの器量が備わっているとは到底思えない。 なればこそ彼女はわざわざ自前でクッションを用意したのだろう。 あくまでエスコートされないのであれば自らが環境を変えるまでだと言わんばかりの気合の入りようは、口にするまでもなく彼女が如何にこの場所を気に入っているかという事実を如実に物語っていた。
「そうなんですか、用意いいですね。 ――ところで、本当に僕と一緒に食堂まで付いて来て良いんですか」
「それは何に対しての心配?」
僕の言葉足らずな気遣に要領を得られなかったのか、玲さんは歩を止め、その場で振り返って怪訝そうに僕を見据えてきた。
「何と言うかその、三年生の先輩が一年の僕と一緒に居ると多分目立ちますし、他の人につまらない誤解を生む可能性があるかなと思ったんで」
「誤解? ――あぁ、私とキミが付き合ってるとか思われちゃうかもって事?」
直接的な表現を避けていた僕が滑稽に思えてしまうほどに、玲さんは僕が抱いていた気遣の本質を真顔でさらりと述べ立てた。 あまりに憚りというものを知らない彼女の在りように僕は変に照れ臭くなってしまい、玲さんに向けられていた視線からつい目を背けてしまった。
「誰もそこまで飛躍した言い方はしてないでしょ……まぁ、確かに先輩の言うところの意味も含んではいましたけど」
またからかわれるに違いないと分かってはいながらも、先の玲さんの発言が的を射ていた以上否定する訳にも行かず、若干不満げに肯うと、果たして彼女は俯き加減にくすくすと失笑を溢した後、半眼気味に僕を見つめながら、
「ほんっとキミってさ、生意気だよね」と皮肉たっぷりに言い放った。 僕は何も言い返せなかった。
「いいんだよそんなの気にしなくても。 第一、人の多い食堂でいちいち誰と誰が絡んでるなんて事を気にする人はそうそういないし、もし居たとしてもごく一部の噂好きの連中だけなんだから、勝手に言わせてればそのうち飽きて何も言わなくなるよ」
「それは確かにそうですけど、先輩もその事で詮索されたり、からかわれたりしたら煩わしいだろうし、それに、もし先輩に彼氏が居るなら尚更――」
僕が彼氏という単語を口にした途端、彼女は目を丸くしたかと思うと、けらけらと今日一番の抱腹絶倒を僕に披露した。
「私に彼氏?! 無い無い! っていうか私今まで彼氏なんて居た事ないからね?」
「あれ、先輩この前『僕みたいな女々しい男とは付き合った事がない』って言ってませんでしたっけ」
「うん、言ったよ。 でも『彼氏が居た』なんて一言も言ってないよね? 私」
物は言いようだなと、僕は妙に納得させられてしまい、いよいよ二の句を告げずに口を噤んだ。
「それよりキミは私に彼氏が居るとでも思ってた訳?」
「まぁ、玲さんって面倒見良さそうですし、綺麗ですし、スタイルもいいし、居てもおかしくは無いかなと思ってたんですけど、当てが外れましたね」
「お世辞も行き過ぎると嫌味に聞こえるって知ってる?」
「いや、お世辞じゃなくて本当の事を言ってるだけなんですけど」
僕は別段感情も込めず、先の発言はお世辞などではないときっぱり言い切ると、何やら彼女は呆れた様子で『はぁ』と一つ溜息をついた。