第五十二話 Waltz with me 7
ボウリングは都合二ゲームこなした。 ゲームの結果だけを述べると、僕は二ゲームとも玲さんに敗北した。 玲さんのボウリング歴は小学生以来だと聞いていたからてっきりスコアは一〇〇前後に納まるだろうと勝手に想像していたけれど、蓋を開けてみれば何の事はない。 その勝手な想像通りのスコアに落ち着いたのは僕で、玲さんのスコアは二ゲームとも一五〇を超えていたものだから甚だ驚かされた。 「私ボウリングの才能あるかも」と本人が言っていた通り、玲さんにはボウリングのセンスがあるように思われた。
ボウリングを終えて店を出たあと、時刻は十二時を少し回ったところだった。 僕たちがこの地域に辿り着いた時までうっすらと積もっていた道沿いの雪もいつの間にか正午の陽に照らされてすっかり溶け切っていた。 そうした、ちょうどお昼時な時間帯なのと、ボウリングでほどほどに身体を動かした事も相まってお互いに腹は空いていたから、僕たちは次に昼食を摂る事にした。 場所はボウリング場から住宅街を東へ抜けた道路沿いにある定食屋を選んだ。 店までの距離はそれほど遠くなく、駅からもボウリング場からも徒歩数分といったところだ。 その短い道のりのあいだ、僕たちは先のボウリングの話題で盛り上がっていた。
それから目的地に辿り着いて「このお店ですね」と僕が目当ての店を指差した。
「何かお洒落なお店っぽいね」と玲さんが店の外観を見ながらそう言った。
「中も雰囲気いいですよ」
「へぇ、君は結構このお店に来ることあるの?」
「結構っていうほど頻繁には来ませんけど、兄たちが帰省したりした時は家族みんなで来る事が多いですね」
――などという会話を交わしてから、僕たちは店内へと入った。 自動ドアを通り、間切りの便宜として設置されている木で拵えられた曲線掛かった格子状の柵を抜けると、まずカウンターが目に入る。 店に入る時に柵に隠れていた右手側はカウンター席専用で、ちょうどお昼時だからだろう、席はほぼ満席状態のようだった。
左手側にはテーブル席が三つほど用意されていて、手前のテーブル席が単独で、奥のテーブル席がガラス張りの木の仕切りを隔てて二つ並べられている。 奥の座席が既に埋まっていたから、僕たちは手前のテーブル席に案内された。 その席付近よりやや出入り口方面の壁はガラス張りとなっていて、その区画だけ店内に入り込むようコの字型に少しスペースが取られている。
そのスペースは完全に店の外に面しているのだけれど、そこには年季の入った赴きのある庭石だとか、鹿威しを彷彿とさせる水の張られたつくばいだとか、青々とした背の高い笹が整えられている。 その場所に正午の陽が良い按配に降り注いでいて、そこはかとない『和』を僕に連想させた。
「けっこう賑わってるみたいだね」と、マフラーを外しコートを脱いで着席した玲さんが慎ましやかに店内を見回しながらそう言った。
「ちょうどお昼時ですし、ここってランチがおいしい事で地元では結構有名なので、この時間帯でテーブル席が一つでも空いてたのはラッキーでしたよ」
店内は暖房がよく効いていたから、僕もそう応えつつ玲さん同様コートを脱いで、それを椅子に掛けたあと着席した。
「じゃあいいタイミングで来れたって事だね」と玲さんがにこやかに言ってまもなく、店員がお冷とおしぼりとメニューを持ってきてくれた。 僕はお互いに見えるようメニューをテーブルに広げ、それからおしぼりで手を拭きつつ、何を食べるのかを玲さんと一緒に検討し始めた。
「おー、牡蛎もあるんだ」と牡蛎メインのメニューを見て玲さんが感嘆を漏らした。
「この辺は毎年牡蛎祭りっていうのを開いてるくらい牡蛎の養殖でも有名ですからね。 ちょうど今ごろがシーズン真っ只中なのでおいしいと思いますよ」
「へぇ、牡蛎なんて滅多に食べる事ないし、せっかくだから食べてみよっかな。 ……でも、結構いい値段してるね」
玲さんが牡蛎への食欲を高めていた一方で、メニューの一つの値段を指差しながら小声でそう呟いた。 それはカキフライ定食で、そのお値段は税抜き一五〇〇円。 限定された時期にしか食する事の出来ないという希少性を差し置いても、いち高校生のランチとしてその値段は気軽に払えるものではないだろう。
それから僕が「時期的なものもあるので他の品よりは高めですね」と応えると、玲さんは「そっかぁ。 ……んー、牡蛎も食べたかったけど、やっぱりこっちの九〇〇円の日替わり定食にしよっかな」と、自身の懐事情を交えて牡蛎を諦めようとしている。 こればかりは玲さんの決める事だから僕はあまり口出しは出来ないけれど、かと言って玲さんの食指の動いた方向を歩ませてあげたいという思いが無かった訳では無い。 ここで僕は、ある策に打って出た。
「玲さん、実はこんなものがあるんですけど」と、僕は財布の中から二枚の紙を取り出し、玲さんのテーブルの前に置いた。
「ん、何これ」と、玲さんはその紙の一枚を手に取って内容を検めていた。
「えっと、なになに? 定食、半額券……えっ、ちょっとこれ半額ってすごくない?」
玲さんはえらく驚いていた。
「そうなんです。 そのクーポンを使えばさっきのカキフライ定食が半額の七五〇円になるので、良かったら使ってください」
「んー、そりゃあ使わせてくれたら嬉しいけど、でもちょっと悪い気がするなぁ。 半額のクーポンなんてそうそう貰えるものじゃないだろうし、この店に定期的に来る君がまた個人的に来た時に使った方がいいんじゃない?」とクーポンの存在はありがたがってくれているようだったけれど、半額という破格のクーポンの内容から、どうにも玲さんは僕に遠慮してしまっている様子だった。 しかし玲さんがそうした事を気にする必要は無い。
「いえ、そこは気にしなくても大丈夫です。 僕もこのクーポンは親から貰ったもので、かと言って僕一人ではこの店に立ち寄る事も無くてこういう機会でしか使う事は無いと思うので、玲さんさえ良かったらそのクーポンを使ってぜひ食べたがってた牡蛎を食べてください」
この店にはポイントカードの制度があって、一定数のポイントが溜まればこうした割引券だったりの特典などをポイントと引き換えに受け取る事が出来る。 そして僕の親もこの店を訪れる度にポイントを溜めていて、いつぞやのタイミングにこの定食半額券を貰い受けていたという次第だったのだ。
当初は僕も玲さんと似たような遠慮を抱いていて、家族としか来る事の無い僕よりも、定期的に母を連れてこの店に来る父が持っていた方が有用なのではと父に言った事があるけれど「もし友達とここに来る事があったらその時に使ったらいい」と言ったきり、僕の提案を突っ返されてしまった。
そうしてそれを受け取ったはいいけれど、わざわざ僕の地元にまで赴いてくれる友達が果たして現れるだろうかと弱気でいたけれども、結果的に僕は今こうして玲さんとこの店に来ていて、そして今まさに父から譲り受けたクーポンが大いに役に立とうとしている。 父はこの局面を見据えていたのだろうかと大袈裟な想像を拵えつつ、あのとき変に意地を張らずにクーポンを突っ返さなくて良かったと心より安堵した。




