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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
最終部 君の隣で歩く僕、僕の隣で笑う君
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第五十二話 Waltz with me 5

 僕の地元へは十一時過ぎに辿り着いた。 これからあちこちを歩き回らなければならず、僕の所持していたボストンバッグは荷物になってしまうから、あらかじめ駅のロッカーに預けておいた。 駅から僕の家までは徒歩五分程度だから、ロッカー使用料の三〇〇円はすこし勿体なく感じてしまったけれど、かと言って僕が鞄を置きに家に帰っているあいだ玲さんを待たせてしまう時間の方が僕にとってよっぽど勿体なかったから、必要不可欠な経費だとして割り切った。


 鞄を預けたあと、ひとまず僕たちは駅の南出口に出た。 こちらの地方のほうが冷え込みが激しかったのか、溶け始めてはいたけれど、玲さんの地元より雪がところどころに残っていた。


「こっちの方がよく降ってたみたいだね」

 玲さんも僕と似たような考えをしていたらしかった。


「みたいですね。 もしかしたら道が凍結してるかもしれないので、転ばないように気を付けてくださいね」

「なになにー? 勝手知ったる地元だからそこまでエスコートしてくれるって訳? 君も言うようになったね」

「まぁ、エスコートというか、僕の体験談なんですけど」


 この辺りは風が良く吹き通るのか、真冬に路面が凍結する事が昔から多々あって、僕も子供の頃に親に連れられてこの辺りを歩いていると不意に滑り転んで腰を強打した覚えがあるから、僕には似つかわしくも無い玲さんに対する親心みたような言葉が出てしまったのだ。 その事情を知らずに僕のキザだと勘違いされても困るから、僕は玲さんに先の経緯を簡単に説明した。


「なるほどね。 まぁ今は風もほとんど吹いてないし、見た感じ地面も凍ってなさそうだから心配ないって。 ――ほら、大丈夫でしょ?」と言って、玲さんは駅出口から軽快に歩みを進め始めた。 時折前も見ずに僕の方を振り返っていたから、何だかとても危なっかしい。 僕も玲さんのあとを追うように歩みを進めた。


「ちゃんと前を見て歩かないと危ないですよ玲さん」

「だから大丈――わっ!」

「――っ! 玲さんっ?!」


 言っている傍から玲さんが足元を滑らせてバランスを崩した。 幸い転倒はせず、僕の方に身体を持ち掛けてくれたおかげで僕が玲さんの身体を支える事が出来て事なきは得た。

 玲さんを支えてから視線を下げると、ちょうど玲さんの足元付近に鉄製のマンホールがあるのを確認した。 歩道こそ凍結していなかったけれども、マンホールやグレーチング(溝蓋みぞぶたとして良く使用されている網目状の蓋の名称)のような鉄製の足場は雨に濡れただけでも滑りやすくなるから、きっと昨日の雪の影響で濡れていたかしくは凍結していたかで非常に滑りやすくなっていたのだろう。


 そうして、僕の忠告を無視して不用心に歩みを進めていた玲さんが足を滑らせたのを文字通り目の前で見てしまった僕は「だから気を付けてって言ったじゃないですかっ」と、ちょっと語勢を強くしながら玲さんに諫言かんげんていしてしまった。


「ご、ごめん……」


 しかし素直に玲さんが謝って来るとは思っていなかったから、これはこれで調子が狂った。 そして不可抗力だったとはいえ駅出口近くで僕たちが体を寄せ合っていたのが物珍しかったのか、付近の通行人にちらちらと僕たちの様子を見られてしまった。 途端に恥ずかしさが湧いてきて、「もう、一人で立てますか」と僕がたずねると「うん、ありがと」と玲さんが答え、転ばまいと僕の両腕にしがみ付かませていた手をおもむろに離して一歩退しりぞき、先のひと悶着もんちゃくで若干乱れてしまったのであろう服装を直していた。 その所作が妙にしおらしく僕の目に映った。


 それから「じゃあ気を取り直して行こっか」と玲さんがまた先導で歩き始めようとしたのを見て、また先のよう滑って今度は転倒でもしたら事だと心配した僕は、咄嗟とっさこしらえたなけなしの勇気を喉を鳴らしながら飲み込んだあと、


「――玲さん」

「ん、どうしたの?」玲さんがこちらを振り返ったのを確認してから、

「僕と、手を繋ぎませんかっ」と伝え、僕の左手を玲さんに差し出した。


「えっ、手、って」

 玲さんの方も完全に意想外だったのか、目をぱちくりさせて困惑していた。


「その、さっきみたいに滑ったら危ないですし……ほ、ほら! あれですよ! 僕の手を杖代わりだと思ってくれれば」


 そう言い終えてから、自分でも訳の分からない事を言ってしまったと反省した。 これでは何だか玲さんを子ども扱いしてしまっているようだ。 未だ僕が差し出した左手に対する反応らしい反応も見せてこない玲さんはきっと「なーに生意気な事言ってるのさ、私は一人で大丈夫だから」などとからかってくるに違いない。


 徐々に自分に自信が無くなってきた僕はうつむいて、僕らしくもない出しゃばった真似をするんじゃなかったと後悔しつつ玲さんに差し出した左手を引っ込めようとした――その時、僕は左手に暖かく柔らかな感触を覚えた。 玲さんの左手が僕の手を握ってきたのだ。


「……え、玲さん?」僕は戸惑いの気味で玲さんの名を呼んだ。

「いやいや、提案してきた君がその調子でどうするのさ。 そこまで言うんだったら、私が転ばないようにしっかりエスコートしてね」と言った後、玲さんは一旦僕から手を離し、僕の左隣に移動してから自身の右手で僕の左手を握ってきた。 外気温に晒されて冷えかかっていた左手が、徐々に熱を帯び始めた。


 この熱は手同士の接触による密着から生まれた熱なのだろうか、それとも、まったく別のところから生まれた熱なのだろうか。 分からない。 けれども、一つだけ確かな事はある。 それは、この熱が僕と玲さんにとって嘘偽りのない純粋な熱であるという事。 そう思えた途端に、何だか心まで温かくなってきた。 手だけでなく、僕はいま玲さんと心でも繋がっているのだと実感した。


「……わかりました。 じゃあ、行きましょう、玲さん」

「うん」


 心でつながっているから、必要以上の言葉は要らなかった。 僕は玲さんの手を大事に握ったあと、街中まちなかを歩き始めた。

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