第五十二話 Waltz with me 1
「……ん」
目を覚ました私は、あれから私も知らない内に眠りに落ちてしまっていた事に気が付いた。 眠る間際に彼と何かしらの会話をしていた事は朧気に覚えているけれど、会話の内容まで思い出す事は叶わなかった。
それからだんだんと意識が覚醒し始めて、ベッド際の窓に掛けられたカーテンの方に視線をやった。 カーテンの隙間から若干の明度を感じるけれど、まだ薄暗いようだったから今は明け方なのだろうかと枕元に置いていたスマートフォンで時刻を確認しようとして身体の右側に寝返りを打つと、私は枕元の違和感に気が付いた。何やら、私が眠りに落ちる前には無かったモノが私の枕元に置かれていたのだ。
私は少し驚いてその場で上体を起こし、それの正体を探った。 それは包装紙で丁寧に包装されていて、やや横側に長く、厚みは薄い。 更にその上からリボンが十字に巻かれていた。 間もなく私の脳はそれの正体をクリスマスプレゼントだと認識した。 それと同じくして、そのプレゼントを私の枕元に置いた張本人も判明した。
「……まったく、君はどこまで生意気なんだか」
小声でそうした悪態を付きつつも、私の口元は情けないくらいに綻んでしまっていた。 こんな顔を彼に見られてしまったら事だなと思っていた矢先、はっと私は彼の方を確認した。 彼はまだぐっすりと夢の中のようで一安心した。 それにしても、彼はこのプレゼントをどのタイミングで私の枕元に置いたのだろう。
私は睡眠中でも物音に敏感な性質で、赤ん坊の頃は母が私を寝かしつけたと思って一旦その場を離れようとすると、途端に私の目が醒めて泣き始めて苦労させられたと母に言われた事があるくらいで、その性質は今も変わらず残っているはずだったから余計に彼が私に察知されないまま枕元にプレゼントを置けた事に驚いたのだ。
けれども、昨日は普段よりも夜更かししていた事と、私の心の底に長年堆積していた理央に対する蟠りがまったく浚われた事による最上級の安堵を得ていた事も相まって、私の睡眠の深度が普段より深かったのは事実だろうし(私は例の性質によって毎夜必ずと言っていいほど一度か二度目を覚ます)、その辺りの事情を考慮すると、私が彼の発していたであろう物音に気が付けなかったのにも頷ける。
そうして彼の行動と私の睡眠中の性質についてあれこれと考えている内に、そういえば現在時刻を確認しようとしていた事を思い出した私は、枕元に置いていたスマートフォンで時刻を確認した。 今は朝の七時過ぎだった。 眠りに落ちてから朝方まで一度も目を覚まさない事なんてのは一年の内に一度有るか無いかくらいの稀有な出来事だったから、なるほどいくら物音に敏感な私が枕元にプレゼントを置かれようとも動じずに目を覚まさない訳だと、自身の睡眠の深かったのを改めて肯った。
それから完全に意識の覚醒した私は、彼の私に送ってくれたプレゼントの中身が知りたくてうずうずしてきてしまった。 しかし今この場で包装を開けようとすると彼の睡眠の妨げになってしまうだろうから、朝食作成のついでに居間でプレゼントの中身を確認してやろうと思い立った私は、プレゼントを手に取ったあと物音を立てないよう息を殺しつつ忍び足で部屋を後にした。
「……寒っ」
目を覚まして間もなく、僕は寒さに身を震わせた。 とりわけ掛け布団から露出していた顔に冷えを感じた僕は覚えず掛け布団を頭まですっぽりと被り、布団の中に籠っていたぬくもりで顔を温めた。 しばらくして顔全体に元の温度が戻ってきた頃、僕は蓑虫のよう掛け布団を身体に纏ったまま上体を起こし、部屋の様子を探った。
カーテンはまだ開けられていなかったけれど、外はすっかり明るさを帯びていたから、どうやら夜は明け切っているらしい。 部屋の掛け時計で時刻を確認すると、現在は七時半をちょっと回ったところだった。 そして玲さんの姿はベッドの上から忽然と消えていた。 ――僕が夜中に置いたクリスマスプレゼントと一緒に。
「玲さん、もう、あのプレゼント開けたのかな」
僕は今になって、僕の独断で玲さんへクリスマスプレゼントを贈ってしまった事に対する彼女の反応を恐れていた。 その恐れは別にプレゼントの内容が玲さんのお気に召す召さないだのといったプレゼントの好みに関する反応の恐れではなく、僕が玲さんに何の相談も無く一方的に贈り物をするという生意気な出しゃばりが彼女の心にどう作用するかといった恐れだったのだ。
恐らく玲さんの性格からして、特段の事情でもない限り一方的に施しを受ける事をあまり好まないだろう。 もちろん、何故こうしたものを私に贈ったのだと問い詰められた時は、これまでの僕への力添えのお礼だという事を素直に明かすつもりでいるけれど、玲さんが素直にその事情を肯ってくれるとは到底思えない。 きっと玲さんはそのプレゼントに見合う『何』かを僕に要求させようとしてくるだろう。
ここで僕が一番やってはいけない事は『何も要らない』という無欲を提示してしまう事だ。 そう答えてしまったが最後、玲さんはぷんぷんと怒りを露わにし、僕が玲さんに対して贈ったプレゼントと同等の対価を僕が要求するまで僕の発言の一切を取り合ってくれなくなってしまう事は必至。
ただ、この懸念はあくまで僕がこれまで玲さんという人間と接し続けてきた事によって培われた経験則から導き出された推測の域を出ず、昨日理央さんに対する蟠りが解消した今、玲さんの人間性は少なからず変化しているであろうから、必ずしも僕の推測通りの動きを玲さんがしてくるかと言えば断定は出来ない。
それでもたとえ推測だろうと何だろうと、目の前に起こり得る一歩間違えればいざこざに成りかねない事象に対し、あらかじめ波の立たない対策を立てておくのは決して悪い事じゃあないから、僕は玲さんが部屋に戻って来る前に、先の懸念に対する最適解を寝起き間もなくの思考も覚束ない鈍い頭で熟考し始めた――
――それから十数分後、ゆっくりと階段を上る足音が聞こえてきたかと思うと、外から部屋の引き戸が開かれ、片手にお盆を持った玲さんが現れた。
「お、もう起きてたんだ。 おはよう――って、何その格好」
玲さんは僕の布団に包まっている姿を見るなり目を丸くしていた。
「これは、その、ちょっと寒くて」
「あれ、君って結構寒がりだったんだ? あんまりイメージなかったなぁ。 寝てる間もつけてたら乾燥するから一時間だけタイマーにして暖房消えるようにしてたんだけど、寒かったら暖房付けてくれたらよかったのに」と言いつつ玲さんは、僕の寝床の都合で東の窓際に寄せていたテーブルの上にお盆を置いた。
お盆の上には朝食として持ってきてくれたのか、昨日の夜に食べ残していたであろうピザの二切れ乗った皿が二つと、湯気立つコーヒーの淹れられたマグカップが二つ載せられていた。 それから玲さんは同じくテーブルの上に置いていたリモコンを操作して暖房をつけてくれた。
「さすがに人の家の暖房を勝手に操作するのは気が引けたので――え、玲さん、その首にしてるのって、もしかして」
玲さんが部屋に現れた時には気が付かなかったけれど、今改めて玲さんの姿を見てみると、寝間着から普段着に着替えられていて、そしてその首元には――
「ん? あぁ、これの事? いやー、昨日サンタさんがほんとにクリスマスプレゼントを置いてってくれたみたいでねー。 どう、似合ってる?」
惚けているのか、はたまた、今更になってサンタクロースの存在を信じ始めたのか、玲さんは僕の贈ったクリスマスプレゼントがサンタから贈られたものだと言った上、既にそのプレゼントの中身を首元に巻いて僕に装着感を訊ねながら僕の目の前に横座りで腰を下ろした。 僕の玲さんに贈ったプレゼントは、淡い桃色のマフラーだ。
これまで玲さんの学校での持ち物や身に着けているものを僕なりに観察した結果、玲さんは薄紅色をしたものを好んで使用している事を既に把握していた。 薄紅色という言葉だけを聞くとピンクのイメージが湧いてくるものだけれど、別に視界に入った途端に目移りしてしまうほど濃く明るい桃色ではなく、白にほんの少しだけ紅色を混ぜたような申し訳程度の、しかし桜色よりはやや濃いめの、慎ましやかな色だ。 そうして玲さんの好んでいるであろう色調情報を頼りに、僕は終業式が終わってから地元に戻った後、家には帰らずにその足で地元では有名な駅前の洋服屋へ足を運んだ。
店へ立ち寄った時点ではクリスマスプレゼントとして玲さんに贈る品に目星などはまったく付けていなかったけれど、どうせ贈るならば以前の花火大会の時に購入したアクセサリーのよう、普段から身に着ける何かを贈りたいという僕の我儘な思いがあって、そうした目で店内中の品を見回っている内に例のマフラーを見つけて、それを購入したという次第だったのだ。 ちなみに値段の方は――アルバイトをしていない高校生では手の届かないほど高価ではないけれども、決して安易に手を伸ばす事の出来る安価でもないとだけ言っておこう。
「……そうですね、よく、似合ってると思います」
しかしながら、まず間違いなく玲さんのお惚けとは分かり切っているけれども、こうしてプレゼントの贈り主を勘違いされては『それは僕が贈ったものだ』と言い出しづらいもので、その上いくら本当に似合っているとはいえ、自分の贈った品を高評価で品評するなど自画自賛のようでばつが悪すぎる。 よもや玲さんは僕が出しゃばってクリスマスプレゼントなどを贈った事に対する報復で僕を困らせてやろうと画策しているのではないかしらという推測すら浮かんできた。
「でしょー? 私も一目見た瞬間に気に入っちゃってさ。 まるで私の欲しい物も好みの色とかも全部知ってたんじゃないかって思えるくらい好みが合っててねー。 身に付けたら実際これまた肌触りも良くてあったかいと来たものだからびっくりしちゃったよ。 昨日までサンタの存在に否定的だったけど、ここまで好みを当てられると私でも信じちゃうなぁ」
先の推測の耳で玲さんの言葉を聞いていると、白々しさしか感じられなかった。 これはまさしく、間違いなく玲さんのからかいに違いない。 となれば、昨日の寝る間際の火中の栗じゃあないけれど、玲さんが僕を対等の者だと認めてくれた今、僕も必要以上に下手に出る必要は無い。 何より、からかいの中の話だとは言え、僕のなけなしの小遣いを奮発して玲さんの為に贈った品をサンタなどの手柄にされてたまるものか。 ここはひとつ、僕の強情な意思を貫いて逆に玲さんを困らせてやろうと思う。
「玲さん、そのプレゼントを贈ったのは誰だと思いますか」
「ん、だからさっき言ったじゃない。 これは私の事をよく知ってるサンタから――」
「違います」
「えっ」
「そのプレゼントは、僕が用意したものです」
「……」玲さんはきょとんとしつつ目を丸くしていた。
「もう一度言います。 そのマフラーは、僕が玲さんの為に、玲さんの事を想って選んだものです。 断じてサンタクロースが贈ったものなんかじゃ、無いですっ」
僕は古谷さんばりの熱い視線を以って、玲さんの目を直視しながら力強くそう言い切った。 さぁ、どう出る玲さん。 今の僕は火傷すら厭わない。 今の僕なら玲さんを言い負かせる――そうした根拠の無い自信さえあった僕は決して玲さんから目を反らす事もなく、彼女の応答を待った。
「いや、うん。 枕元のプレゼントを見た時点で分かってた。 なんか、ごめん」
――肩透かしというか、なんというか、あの玲さんが僕から視線を逸らし、気まずさと照れ隠しのつもりか、マフラーで口元を隠しつつ弱々しい語調で素直にからかいを認めたばかりか謝罪まで果たしてきた。
「え、あの、玲さん?」
思わぬ玲さんの弱気にかえって僕の方が惑わされてしまい、先に拵えていた謎の自信はすっかり空に溶け、あからさまに焦りの色を見せてしまった。
「……でも、このマフラーの造形とか色が私の好みだったってのは嘘でも何でもないよ。 すごく、気に入ってる。 だから、ありがと。 君からこれを貰えて、とっても嬉しかった」
「……いえ、玲さんが気に入ってくれたのなら、僕も嬉しいです」
何だか妙な空気になってしまった。 どこで加減を間違えたのか、端から玲さんを困らせてやるという一心でひと演技してみたけれども、玲さんはこれまで僕に見せた事の無い殊勝さとしおらしさを以って、僕の贈ったマフラーを心より気に入ってくれているという事を僕に明かした。
ひょっとするとこの態度さえも玲さんの演技ではなかろうかという推測が一瞬頭を過ったけれど、いつまで経っても玲さんからのネタバラシは耳に聞こえてこず、僕と玲さんはしばし無言のまま、お互いに吸い込む予定の無かったであろう何とも甘酸っぱい空気の中で呼吸していた。




