第五十一話 The light called ”you” 8
「あれ、もうこんな時間だったんだね。 どうりで眠たくなるわけだ。 こんな時間まで起きてたの久しぶりだよ。 ふぁぁ」
玲さんにそう言われて部屋の掛け時計で時間を確認してみると時刻は午前一時前。 なるほど玲さんも欠伸を漏らす訳だ。 人の欠伸は自分にうつると言う話じゃあないけれど、玲さんの欠伸を見た途端に僕の方も若干眠気が襲って来て、小さな欠伸を催した。 それを見ていた玲さんは、
「話したい事は全部話せたし、君の方も眠たそうだし、今日はもう寝ちゃおうか」と就寝を提案してくる。
「そうですね。 あんまり夜更かししてたらサンタも来にくいでしょうし」
「サンタ、ね。 君はいつまで信じてた?」
サンタという単語に思うところがあったのか、玲さんはちょっと微笑を浮かべつつ、サンタクロースの存在について僕に問い掛けてきた。
「僕は――小学二年くらいまでは」
「私もそのくらいだったかなぁ」
「やっぱり同じくらいなんですね。 実は僕、その時期のクリスマスにトラウマがあって」
「うんうん」
「その時のプレゼントにリスのぬいぐるみを貰ったんですよ」
「へー、やっぱりその頃からかわいいものが好きだったんだ」
「はい。 それで、プレゼントを貰ったその日の朝に居間で石油式のストーブを焚いてて、何を思ったのか僕は、その上でリスのぬいぐるみの底面を温めて、同じ部屋に居た兄たちにそのぬくもりを与えて驚かせてやろうっていう訳の分からない思考をしてしまったんです」
「それで、どうなったの?」
「それほど長い時間はストーブの上に置いてなかったんですけど、やっぱり元々かなり天板が熱くなっていた事もあって、兄にぬいぐるみの手触りの違和感を伝えられた頃には、リスの底面は焦げてチリチリになってしまっていました」
「あー、それは。 確かに子供だとそこまで頭回らないもんね」
「そうなんです。 それで貰ったばかりのぬいぐるみを焦がしてしまったっていう、ぬいぐるみへの罪悪感から大泣きしてしまって、その日のうちにそのぬいぐるみも手放してしまって、その事は今でもすごく後悔してるんです」
「手放したっていうのは、捨てちゃったって事?」
「いえ、さすがに捨てるのは可哀相だったので、しばらくは僕の目に入らないよう親がどこかに隠していてくれてて、今では玄関に飾ってます。 それで罪滅ぼしじゃないですけど、僕が外出してから家に帰った時には、そのリスのぬいぐるみを必ず撫でてあげてるんです」
「ふふっ、優しいんだね君は。 でも何だかその気持ち分かるなぁ。 私も小さい頃ぬいぐるみが好きでさ、幼稚園とかで他の園児にぬいぐるみが乱雑に扱われてると心が痛くなって、つい止めに入ってたもん。 よくケンカになったもんだよ」
「玲さんらしいですね。 でも、何というか、すごい大袈裟な話になるんですけど、ぬいぐるみとか動物の人形とかって、その生きものの容を持った時点で魂があるような気がするんですよね。 そう思ってるのは僕だけなのかも知れないですけど」
「ううん。 私もその考えと似たような事を昔から考えてたから、何もおかしい事じゃないと思うよ。 何より、物を大切にするっていう気持ちは大事だから、きっとそのリスのぬいぐるみは、君の事を恨んだりしてないんじゃないかな」
「そうだと、いいんですけどね。 ――って、ごめんなさい。 寝るとか言っておきながらこんな話振っちゃって」
「いいよいいよ。 おかげで君の面白い話も聞けたし。 それじゃ今度こそ寝よっか。 君のふとん用意するから、テーブルの移動とかちょっとだけ手伝ってくれる?」
そうして僕は玲さんと寝床の準備を始めた。 準備自体はすぐに終わって、それから僕たちは互いに寝支度を済ませたあと部屋の電灯を消し、僕は床に敷いた布団へ、玲さんはベッドの上の布団へ入った。
「何だか、妙な気分です」
部屋の中心辺りに敷かれた布団の中で、僕は常夜灯を見つめながらそう呟いた。
「妙な、気分って?」
玲さんはすかさず僕の心持の真意について探ろうとしてくる。 僕の頭は玲さんのベッドの方を向いているから、その状態からではベッドに寝ている玲さんの様子を窺う事は出来ないけれど、声自体は良く耳に聞こえてくる。 しかしやはり眠いのか、声にいつものはきはきとした勢いがなく、今にも眠りに落ちてしまいそうな雰囲気が先の声からは漂っていた。
「まさかこうして玲さんの部屋で玲さんと一緒に寝る日が来るとは思ってもいなかったもので、嬉しいような、緊張するような」
玲さんが眠いのであれば無理に会話に誘うのも悪い気がしたけれど、自分で話題を振っておきながら途端に会話を止めてしまうのもどうかと思ったから、ひとまず玲さんの応答が続くまでは引き続き会話を続けようと取り決めた。
「嬉しいっていうのは、君は私と一緒に寝たいっていう願望があったって事?」と、玲さんは眠たげながら冷静に僕の発言から僕の心持を推察しようとしている。
「いやいや違いますよっ! 嬉しいっていうのはちょっと表現が直球過ぎたかも知れないです。 ……何というか、これまで僕は玲さんに散々子供扱いされてきて、実際今も玲さんからしてみれば僕は子供みたいなものなのかも知れないですけど、そんな僕が今日玲さんの為に色々と力になる事が出来て、それが出来たのは玲さんが僕の事を対等な者と認めてくれたお陰なのかなって思うと嬉しくなったんです。
それに、僕たちはこれまで色々と考えの違いからぶつかって来ましたけど、結果的にあの時の衝突も無駄なものでは無かったんだなと思うと感慨深くて。 だから、僕が今抱いてる妙な気持ちは、そういうところから湧いて来てるんだと思います」
「……そっか。 私もよくあそこから君と仲直り出来たとは思ってるよ。 君が私を力づくで押し倒してきた時はさすがに絶交を覚悟してたけどね」
「それは、その、本当にごめんなさい……」
その件を言われると、僕は本当に玲さんに頭が上がらなくなってしまう。
「ふふ、今更謝らなくていいって。 あのとき君がああなっちゃったのは私のせいでもあったんだから。 ――でも、ほんとうにキミと仲直り出来てよかったよ」
何だかいつもの玲さんより語調が柔らかい気がする。 別に普段の彼女がそうではないという事ではないけれど、何故だろうか、今の玲さんの声からは穢れ一つの無い純粋さを感じてしまう。 そうした感覚も助けたうえ、玲さんの口から先の率直で素直な安堵が聞けるとは思ってもいなかったからちょっと驚かされている。
「玲さんにそう言ってもらえると、僕もすごく嬉しいです。 正直、玲さんと絶交になりそうな時、何度も泣きそうになってましたからね僕」
でもそれと同じくらい喜ばしかったし、僕も玲さんとまさしく同じ気持ちだったから、正直にそう答えた。
「……キミってさ、そういう恥ずかしい事を結構平気で本人に言うよね」
また玲さんの語調が少し変わった。 雰囲気としては僕をからかってくる時の、少しトーンを上げた喋り方に似てはいたけれど、いつものからかいのそれとは違っていて、どちらかというとそれは気まずさというか、こそばゆさというか、気恥ずかしさというか、そうした羞恥の雰囲気だった。 ことによると玲さんは今――
「玲さん、もしかして照れてます?」
つい先ほど久々にからかわれた事もあったから、僕なりの反撃という事でお小言を貰う覚悟で火中の栗を拾いにいった。
「ん……そんなの、照れるに決まってるじゃない。 だって――
「え、いま何て」
「……」
「玲さん?」と僕が声を掛けた時には、玲さんの方から静かな寝息が聞こえ始めていた。 就寝の段取りをしていた頃から何度も欠伸を催したり目を擦ったりして睡魔と戦っていたようだから、どうやら僕と喋っている内に寝てしまったようだった。 これが俗に言われる『寝落ち』というものに違いない。
ある程度の火傷は覚悟していたけれど、これで火中の栗が弾けずに済んだと、ほっと安心した。
しかし玲さんがそうなってしまったのも無理はない。 普段の玲さんは零時前後には決まって床に就いていると聞いていたし、何より今日は数年来の理央さんに関する蟠りが解消出来て、玲さんは心の底から安堵していたろうから、そうした安心から来る心地よい睡魔に導かれるがままに玲さんは布団に入って間もなく眠りに落ちてしまったのだろう。
玲さんが寝落ちする前に小声で呟いた言葉は今も気になるけれども、睡眠のお手本とでも言わんばかりの自然な入眠を果たした彼女を無理やり起床させてまで聞くほど火急の事態という訳でも無かったから、明日起床して覚えていたら玲さんに聞いてみようといった安易な気持ちで割り切った。
それにしても入眠前の玲さんは自身の感情に正直というか、えらく素直だった。 ひょっとすると玲さんは睡魔と戦っている時、自覚も無しにとても素直な性格になるのかもしれない。 別に弱みを握ったつもりもないけれど、玲さんの意外な一面を知る数少ない一人として人知れず心の中で得意になっていようと思う。
そして僕は僕より先に玲さんが眠ってくれた事を大いに喜んでいる。 玲さんほどじゃあ無いけれども、僕自身も布団に入って間もなく睡魔が訪れていたから、お互いに床に就いてから以降も玲さんが元気なままだったらどうしようかと不安を抱いていただけに、これで僕の思っていた通りの動きが出来そうだと僕は安堵した。
玲さんの入眠を確認してから僕がやろうとしている事。
それは、クリスマスならではの――




