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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第五部 太陽は月を照らして
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第五十一話 The light called ”you” 7

 玲さんは手紙を胸辺りに抱き締めたまま、しばらく泣き続けていた。 そうして嗚咽おえつが収まった頃、玲さんは写真をテーブルの上に置き、指で涙をぬぐい終えてから僕の方を見て「ごめん、情けないところ見せちゃったね」と微笑を浮かべて見せた。 不謹慎だという事は理解していたけれども、その姿がとても美しく僕の目に映った。


「いえ。 僕も玲さんにはずっと前に泣いてるところを目の前で見られてますから、これでおあいこですね」

 玲さんの笑みを確認出来て僕も知らずの内に安堵していたのか、玲さんにお小言を頂戴しそうな事を言ってしまった。


「おあいこって……ほんと、君はこんな時でも生意気なんだから。 でも――ありがとう」


「えっ、ちょっ、玲さんっ?!」


 果たしてお小言を言われてしまったなと思って間もなく、玲さんは炬燵こたつから足を抜いて横座りのまま身体を僕側に向けてきたかと思うと、感謝の言葉と共に何の前触れもなく僕の体を正面から抱き締めてきた。 玲さんのあまりの意想外な行動に、僕はただただ驚くしかなかった。


「今日、やっと理央と向き合えたような気がするんだ。 それが出来たのは、他の誰でもない君のおかげだよ。 君が私に勇気をくれたから、私は理央に呆れられずに済んだ。 ……だから、君にお礼がしたいんだ」


「お礼、って」


 玲さんの言う『お礼』の意味がまるで分からなかった僕は、その言葉を続けて口にした。 ただならぬ玲さんの雰囲気を感じ取った僕は先の玲さんのよう炬燵から足を抜いて、抱き締められた状態のまま横座りの足を滑らすように身体をひねり、玲さんの方へ身体を向けた。


 すると玲さんはおもむろに抱擁を解き、その手で僕の両肩を持ったうえで僕の目をじっと見つめてきた。 先ほどまで泣き続けていたせいか、若干目が充血していて、下まぶた辺りが赤くなっている。 心なしか頬にも紅潮が見受けられ、かすかに開いた口からはなまめかしい吐息が聞こえてくる。


「今日はクリスマスでしょ。 そんな日に、男と女が同じ部屋でする事と言ったら、アレ(・・)しかないでしょ」


 玲さんが喋る度に動く、うるおいのある瑞々(みずみず)しい唇が僕の目を奪う。


「アレ、って」僕はまた先と似たような口ぶりで返答した。


「わかってるくせに」玲さんは半眼気味に悪戯いたずらっぽくそう呟いたあと「目、つむって」と僕に願って来た。 訳も分からぬまま、僕は目を閉じた。 それから間もなく、僕の両肩に乗っていた玲さんの両手が離れた感覚を得た。


 しかし、素直に目を閉じては見たけれど、何だか玲さんの様子が変だ。 まるで人が変わったかのようにさえ思えてくる。 いくら理央さんに関するわだかまりが無くなったであろうとはいえ、短時間のあいだにこうも人が変わるものなのだろうか。


 なるほどそれは少なくとも三年以上ものあいだ玲さんの心の中に纏綿てんめんし続けていたから、それが取り払われた事によって心の軽さを取り戻した玲さんの人が変わったように見えるのも仕方のない事なのかもしれないけれども、本当に玲さんは僕とそれ(・・)をしようとしているのだろうかと疑わずにはいられなかった。


 ――さっきはついうそぶいてしまったけれど、性の知識にうとい僕だって、先に玲さんの言った言葉について理解出来ていない訳ではない。 クリスマス、恋人同士と過ごす日、同じ部屋で、男と女が二人きり、性の六時間――つまり、玲さんの言いたかった事は、そういう事だろう。


 もちろん、違和感はいだいた。 クリスマスにぼくあきらさんが同じ部屋で二人きりというシチュエーションは間違いないけれど、僕と玲さんは恋人同士などではない。 だから、玲さんの口からそうした軽躁な思考が生まれる事自体がそもそもおかしいのだと僕は思っていた。


 しかしながら、自分が誰も好きになる資格も誰にも好かれる資格も無いという呪縛じゅばくから解き放たれた玲さんが、今目の前に居る僕を一人の男として求めようとしている可能性は決して否定は出来ず、恋人同士でもない僕たちがそうした行為をするのは如何いかがなものかという倫理的思考と、今日は玲さんという人間を余すことなく受け入れてやるとあらかじめ決めていたから、ここまで来ておいて玲さんの想いを受け入れてあげられないのは如何なものかという信念的思考が僕の心の中でせめぎ合ってしまっていたからこそ僕は、まともな答えも出せないまま玲さんの言われるがままに目をつむってしまったのだ。


 そうして、暗闇の中で様々な思考を巡らせているうちに、玲さんの吐息の聞こえ方が徐々に大きくなっている事に気が付いた。 すなわち、玲さんの顔が僕の顔に近づきつつあるという事だ。 本当に玲さんは、本気で僕の身体を求めようとしているのだろうかと、少し臆病になってくる。


 僕の男のかたちがまだしっかりとかたちを保っていれば、僕は男としてすんなり玲さんを受け入れてあげられたのかもしれない。 けれど僕の男の容は、例の一件をてすっかり雲散うんさん霧消むしょうしてしまった。


 正直なところ、僕にさえも今僕がどちらの性別を保っているのか分からないのだ――いえ、ことによると男の容が無くなってしまったという事は、僕の心はまた女に逆戻ってしまっているのかもしれない。 だとすれば僕は、玲さんを受け入れる訳には行かなくなってしまう。 僕は、玲さんだけは当事者にしたくないと強く願っているから。


 ――でも、理央さんという人の事を知って、唯一本当の自分を知っている人の前では、もっと自分に正直になっても良いのではなかろうかという気持ちも沸いていた。 古谷さんとの関係が終わってしまった今、そして、僕が男のかたちを失くしてしまった今、僕の事を受け入れてくれるのは、玲さんしか居ない。 こうして玲さんが自分に正直になっているのだから、もっと僕も正直になっていいのかも知れない――そう結論付けた途端に自分でも驚くほどに心が落ち着いた。


 こうした(・・・・)知識は玲さんの方が良く知っているだろうから、玲さんにすべてをゆだねよう。 きっと玲さんは優しく僕をリードしてくれるはずだ。 そして目を瞑らせたという事と、玲さんの顔が僕に近づきつつあるという事は、まず口づけをするつもりに違いない。 さぁ、来るなら来い――


「……んっ」


 そうして、僕は唇に確かな感触を得た。 僕が以前玲さんに口づけを迫ってしまった時はかすかに触れただけだったけれど、今回はしっかりと唇が触れ合い続けている。 何だか妙な気分だ。 ただ唇と唇が触れ合っているだけなのに、胸がどきどきする。 自身の呼吸と心拍数が徐々に荒くなってゆくのが分かる。


 それにしても、口づけが始まった瞬間、いやに玲さんの唇が冷えていたような気がする。 人の唇どころか自分の唇の温度でさえ確かめた事は無いし、初めて玲さんと口づけをした時期が夏で、今は冬だから、そうした気候と体温の関係もあるに違いないと、僕は玲さんの唇のいやに温度の低い理由に予測を付けた。


 しかし、口づけが長い。 もうかれこれ一分以上は続いているような気さえする。 恋人同士の口づけというものは、これほどまでに長く続けるものなのだろうか。 僕の呼吸と心拍数は乱れる一方だった。 かたや玲さんの方はと言えば、若干鼻息の荒くなりつつある僕とは打って変わって、呼吸の一つすら聞こえてこない。 さすが何度も理央さんと情事を交わしていただけあって、こうした行為には慣れているのだろうと玲さんの冷静さに感心しつつ、それからも口づけは続いた。


 ――異変に気が付いたのは、それから数分後だった。 いつまで経っても口づけが終わらないのだ。 さすがにこれはおかしいと思い始めて、もう目を開けてしまおうかと考えているうちに、何故か玲さんのくすくすという笑い声が僕の思っているよりも少し遠いところから僕の耳に聞こえてきた。


 玲さんは今もなお口づけをしているはずなのに、どうしてここまではっきりと彼女の笑い声などが聞こえてくるのか。 いよいよ異変の疑いが確信に変わって間もなく、「目、もう開けていいよ」という玲さんの声を聞いた僕は、長らく閉じていた目をおもむろに開いた。 そこで僕が見たのは、自身の右人差し指を僕の唇にてがいながら、白い歯を覗かせつつにやにやと僕を観察する玲さんだった。


「……何やってるんですか、玲さん」

 玲さんの人差し指から唇を引いたあと、僕は彼女の行為について言及した。


「いやー、何だか久しぶりに君の事をからかいたくなっちゃって。 でも、変に抵抗しなかったところを見ると、割と乗り気だったんじゃない?」


「そ、それは、その」

 はなから玲さんの態度がからかいのそれだとはつゆ知らず、真っ向から彼女の愛を受け止めようとしていたなんて、口が裂けても言える筈がない。 僕は頬を熱くしつつあからさまに玲さんから視線を逸らしてしまった。


「何も言い返せないって事は、図星って事でいいのかな? まあ今日はクリスマスだし、雰囲気に流されちゃうのも無理はないか。 残念だったね、君の期待通りの流れにならなくて」


「……もう、何もこんな時にからかわないでもいいじゃないですかっ。 さっきまで僕がどれだけ玲さんの事を心配してたと思ってるんですかっ」

 久々に玲さんにしてやられたせいか、ついつい反抗的になってしまった。


「あはは、ごめんごめん。 代わりと言っちゃ何だけど、これで我慢してくれるかな」と言って、玲さんは僕の唇に当てていた人差し指を自分の唇にてがった。 それはつまり、指を経由した僕との間接キスに相違なかった。


「え……玲さん?」

「ん、どうしたの?」唇から人差し指を離したあと、玲さんはいつもの調子でそう答えた。


「……いえ、何でもないです」


 これ以上余計な口を挟むとまた色々とからかわれそうだったから、自分で話を振っておきながらも僕は玲さんのどこまでがからかいなのか分からない行為にこれ以上言及するのを取り止めた。 玲さんはにやにやと僕を笑い飛ばしていた。


 けれども、僕をからかう余裕が出てきたという事は、それだけ玲さんの心が快復したという事だ。 玲さんに明るさが戻ったのは僕のお陰だと恩着せがましくのたまうつもりもないけれど、それでも、玲さんの屈託のない笑顔を取り戻せた事は純粋に嬉しく思う。 僕は玲さんの笑っている姿がとても好きだから。

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