第五十一話 The light called ”you” 3
「この際だから正直に言うけど、私ね、君と知り合うまでずっと男性不信だったんだ」
玲さんは観念した様子でそう告白した。
「男性不信、ですか」
僕が玲さんと接している限りでは、彼女が僕の前でそうした素振りを見せた事は一度も無かったから、意想外な玲さんの告白にはさすがに驚きを隠せなかった。
「うん。 それも元々じゃなくって、中学時代に理央の事を性の対象にしか見てなかったあいつらの下劣で低俗な会話が原因でね。 本性を現す前のそいつらの言動が私にとっていかにもな良い人だった事も相まって、男っていうのは女の前では表面上は理性を保ちつつ、その理性の裏では女を下劣な目でしか見る事の出来ない生きものなんだって思い込んじゃってたんだ」
なるほどそれらの男子生徒の会話が理央さんを自殺へと追い遣るきっかけとなってしまったのは明白だったから、玲さんが男性に対しそうした強い嫌悪感を抱いてしまうのも無理は無いだろう。
僕自身も中学時代に綾香の二面性を垣間見てしまって、玲さんのよう不信とまでは行かなかったけれども、一時期は女性と接するのを完全に恐れてしまっていたから、玲さんと立場は違えども、そうした偏向思想を抱いてしまう心理も決して分からないでは無かった。 玲さんは更に語りを続けた。
「それで古谷さんがあの場所で君に向けて奇妙な告白を始めた時、この子は面白い事を言う子だなって私は思った。 でもきっと相手の男は『そんな事言わずに今すぐ付き合おうよ』なんて下心丸見えの誘い文句で古谷さんからの告白を受け取るんだろうなって決めつけてた。 でも君は私の予想に反して、その奇妙な告白を受け入れたばかりか当時友達の居なかった古谷さんと友達になってあげようとさえして、その時に私は思い知らされたの。 世の中にはこういう男の人も居るんだ、ってね」
「そうだったんですか。 それで僕の存在が気になって、双葉さんと三郎太伝に顔も知らない僕の事を呼び出したって訳だったんですね」と僕が確信に迫ると、玲さんは「そういう事」と頷いた。 あの時点で僕が玲さんからそうした風に思われていたとは露知らず、誇らしいような照れ臭いような、何とも言えない複雑な感情が僕の心をうろついていた。
けれども、少なく見積もっても丸二年以上ものあいだ男性不信だったであろう玲さんからしてみれば、確かに僕の存在は玲さんにとって特有極まりない稀有な存在であったろうから、あれほどまでに唐突な手段を講じてまで僕という人間と接触を試みようとした彼女の出所の判然としない積極性にも、これで理由らしい理由が付けられる。
そうして玲さんの執着とも言える行動力の謎にようやく合点のいった僕は「何だか、これまであちらこちらに散らばっていた点の数々が線として結びついたような気分です」と、自身の得心が行ったのを玲さんに伝えた。 「君の納得のいく答えが出せて良かったよ」と、玲さんもどこか満足げだった。
それからお互いにしばし黙している内に、玲さんはテーブルの上に置いていた封筒に手を伸ばし、大事そうに両手で掴んだままその封筒を少しのあいだ見つめた後、「……じゃあ最後に、もう一つだけ君にお願いしてもいいかな」と、玲さんは何か覚悟を決めたような口ぶりでそう言った。 僕は迷わず「はい」とだけ答えた。 僕が別段の困惑も無くそう答えられたのは、既に玲さんからの願いの内容に当たりを付けていたからだ。
玲さんの過去の話を聞き終えて、僕は彼女の中学時代に起きた悲劇をほぼ知る事が出来た。 けれども、たった一つだけ話の中で知れなかった事柄がある。 それは、理央さんからの手紙の内容だ。
これは僕どころか玲さんさえも中身を見た事の無い未知の領域であり、そして玲さんがあれだけ自身の中で禁忌として扱っていた封筒を手に取ったという事は即ち、彼女は今この場で、その手紙に認められた内容を確認しようとしているのだろう。 その際に一人では心細いから、僕も一緒に手紙を読んで欲しいと願い出るつもりに違いないと僕は推測していたのだ。
「今から私がこの封筒を開けるから、君にはこの封筒の中に入っている手紙を一人で読んで貰いたいんだ」
僕の推測は大方当たっていた。 しかし、手紙を僕一人だけに読ませるのは意想外だったから、たちまちいい返事を返せなかった僕は「僕だけで、いいんですか」と、暗に『玲さんは手紙を読まなくていいのか』という問いを投げ掛けてしまった。
「……うん。 私もそうだとは思いたくないし、絶対だとは言い切れないけど、多分その手紙には、私にとって思わしくない事が書かれてあると思ってる。 それで、もし本当にその手紙に私の思っている通りの内容が書かれていて、私がそれを直接見てしまった時、多分、私の心は完全に壊れちゃうと思う。 その時は、理央の後を追うしか罪を償う方法は無いとさえ覚悟してる。 だから私は今の今までその封筒を開ける事が出来なくて、自分の犯した罪から逃げ続けてきたんだ」
玲さんは両手に持っていた封筒を震わせながらそう答えた。 やはり玲さんにとってその封筒は、今もなお彼女の心に決して自由を許さず幽閉する罪の牢獄なのだろうという事が窺えた。 僕は何も言葉にする事が出来ず、無言で一度だけ頷いた。
「だけど、これ以上逃げ続けても何の解決にもならない事は、君が教えてくれた。 だからと言って、私にはこの中に入ってる手紙を読む勇気は無くてね。 そこで君に、私の代わりにこの手紙を読んで欲しいんだ」
「……」
ついさっきは二つ返事で玲さんからの願いとやらを聞き入れると答えてしまったけれど、こうして僕一人のみに手紙を読んで欲しいと頼まれてしまうと、僕もなかなか心を動かす事が出来なかった。




