第五十一話 The light called ”you” 2
しばらく僕はその空気を黙って吸い込んでいた。 それから胸焼けがしそうなほど肺に甘ったるさが蓄積した頃、これ以上その空気を吸い込む事が出来なくなった僕は、
「あ、あのっ! さっきの話の中で、ちょっと聞きたい事があったんですけど」と、慣れない空気の換気を図った。
「えっ? あぁ、うん。 何かな」玲さんの方も胸焼けしていたのか、ちょっと対応にまごついた様子だった。
「えっと、玲さんがこれまで僕の力になり続けてくれたのは、理央さんに対する罪の意識を少しでも和らげる為の罪滅ぼしだったんですよね」
「……うん。 今更隠すつもりもないけど、私は君の悩みを利用して、少しでも罪の痛みから逃れようとしてた。 正直、この事は君だけには知られたくなかったなぁ。 もう、私に幻滅しちゃったんじゃない?」と、玲さんは少し哀愁を覗かせた微笑を浮かべつつ半ば諦めの口調でそう言い放った。 確かにその事実を玲さんと出会って間もなく本人の口から聞かされていたら、僕はその時点で玲さんを心底軽蔑してしまっていた事だろう。
けれども玲さんは僕を『利用』していると悪い言葉を使用したけれど、今日の今日までその事実が僕に悟られていない以上、これまでの玲さんの僕に対する力添えは間違いなく僕の為に彼女の本心によって行われていたと言えるだろうから、今でも玲さんにとって僕への力添えは『利用』という体だったのかも知れないけれど、僕にとって玲さんの力添えは紛れも無い『善意』そのものに違いなかった。 だから玲さんが僕に対し後ろ暗さを抱く必要など、これっぽっちも無いのだ。
「いえ、たとえ本当に玲さんのこれまでの僕に対する力添えが玲さんのいうところの『僕を利用していた』という話であっても、そもそも玲さんの存在が無ければ僕は今もなお一人ぼっちで自分の性質の在り方についてあれこれ心を迷わせていたと思いますし、それを思えば、僕にとって玲さんの力添えは善意そのものに違いなかったですよ。 むしろ、僕はこれまで玲さんに何の恩返しも出来ていないと思い込んでましたから、僕の悩みを利用する事によって玲さんの罪の意識を少しでも和らげる事が出来ていたのだとしたら、僕にとってこれほど嬉しい事は無いですよ。 ――幻滅なんてする訳ないじゃないですか。 玲さんからしてみれば、利用した人からこんな事を言われるのはおかしいと思うかも知れませんけど、それでも今日はあえて言わせてもらいますよ。 玲さん、あなたは僕の恩人です」
僕は思ったままを玲さんにぶつけた。 利用していた人間に『恩人だ』などと大層な身分を与えられて困惑したのか、当初玲さんは複雑そうな顔つきを呈していた。 けれどその顔も次第に柔らかさを帯び始め、最終的に玲さんは「……ほんと、君はどこまで生意気なんだか」と僕に悪態を付きつつも、その顔には嬉しさを堪え切れないといったような、そうした喜びの感情を顕にしていた。 やはり玲さんが俯いている様は似合わない。 こうして前を向いて明朗闊達な態度を取っている玲さんこそが実に玲さんらしい。
「それで、君の聞きたい事はそれだったの?」と、玲さんが少し首を傾げつつ僕に訊ねてくる。
「いえ、さっきのは確認みたいなもので。 ……玲さんは僕の性質を知ってから僕に力添えする事を決めたって言ってましたけど、その話を聞くまでは玲さんも僕がそういう人間だっていう事は知らなかったんですよね? なら何で玲さんは僕と古谷さんとの告白のくだりを聞いただけで僕を呼び出して話をしようと思ったんですか?」
今しがた玲さんに問い質した内容は、僕が彼女の過去を聞き終えてからずっと気になっていた事だった。 当初、玲さんが初めて僕を呼び出した理由は、彼女の憩いの場である実習棟の東非常階段最上階の踊り場で昼食後のお昼寝を取ろうとしていた時に僕と古谷さんのやり取りが始まってしまい、扉一枚分の隔たりがあったとはいえ完全な防音にはならず、僕たちの声がうるさくて寝るに寝られなくなってしまった事への逆恨みで僕を呼び出し、お小言を食らわせる為だと思っていた。
しかしながら、先の玲さんの話の中で語られていた僕との邂逅のくだりを聞いた限り、どうも彼女は端から僕という人間に何らかの目星を付けて接触を果たしたように思えて仕方が無かった。 一体あの時の僕の『何』が玲さんの心を惹き付けたと言うのだろう。
現に玲さんが僕と接触を図らなければ、僕は今こうして彼女の自宅で彼女の真隣に腰を下ろしつつ炬燵で足を温めながら彼女の過去を聞いたりなどしていなかったろうから、玲さんの心を動かした僕の『何』かは彼女にとって天啓にも近しい確信だったと言っても過言ではない。
だから僕は、その『何』かの正体を知りたくて堪らなかった。 玲さんは一度だけ浅い溜息を吐いた後「君にしたら顔も知らない私に急に呼び出されたんだから、そうやって疑問に思うのも無理はないよね」と、ちょっとばつの悪そうに言った。 それから玲さんは続けて語り始めた。




