第五十一話 The light called ”you” 1
玲さんが全てを語り終え、掛け時計の秒針の音が顕著に聞こえ始めた頃、時刻は既に零時を回っていた。 二十二時過ぎから話していたから、玲さんはおよそ二時間以上自分の辛い過去を語っていた事になる。 些か喋り疲れたのか、玲さんは「ふう」と深い溜息をついたあと、それまでの流暢な語りが嘘だったかのよう黙りこくっていた。 僕の方も秒針の音に耳を傾けたまま、何も言い出せずにいた。
正直なところ、玲さんの過去に起きてしまった出来事は僕の想像していたよりずっと辛く苦しいものだった。 あらかじめ玲さんの口から理央さんの死を聞かされていたとはいえ、いざその辺りの話を聞かされた時にはその話にまるで関わりのなかった僕でさえ胸が締め上げられるように苦しくなった。 なるほどだから僕が初めて玲さんの過去に迫った時にその内容を一切語ろうとしなかった訳だと、あの時の彼女の頑なな韜晦の意思の本質を今まさに理解したような気分だった。
そして僕はこれで玲さんの過去の一切を知った事になるけれど、その話の中で僕はどうしても腑に落ちないというか、何故そうしたのか理由の分からない出来事があった。 それは玲さんの中学時代の話ではなく、僕と出会ってからの話についてだ。 ただ、ようように自身の過去を語り終えた玲さんに水を差してしまうような行為は僕としても避けたいところだったけれど、ここまで深く玲さんの過去に踏み込んでしまった以上、今だからこそ聞きたい事は聞いておくべきだと僕は思った。
「玲さん、僕に全てを話してくれて、ありがとうございました」
しかし出し抜けに疑問を投げかけるのも気が引けたから、ひとまず僕は僕に辛い過去を語ってくれた玲さんに礼を言った。
「ううん、私のほうこそ、こんな生々しい話を長々聞かせちゃってごめん」
辛い過去を振り返り続けたせいか、玲さんの声と横顔からは多少の憔悴の色が見受けられた。 玲さんの方から語ると言ってくれたとはいえ、彼女の過去を知りたいという発端を作ってしまったのは僕の方だったから、玲さんをこうした辛い目に遭わせてしまってつくづく悪い事をしたと、彼女に対する深い罪悪感を抱いた。
「――あっ、手握りっ放しだったね! ごめん、疲れちゃったでしょ」と、思い出したかのようちょっと慌て気味に僕の左手から自身の右手を解いたのは玲さんだった。 そういえば言われるまですっかり忘れていたけれど、玲さんが話し終わるまで僕はずっと彼女と手を繋ぎ続けていた。
けれどその行為は別に僕の中でまったく苦ではなく、かえって玲さんと手を繋ぎ続けている事で、たとえば理央さんとの情事を語る場面では手のぬくもりがあからさまに上昇したり、また、理央さんの死を初めて知った時を語る場面では手から温度が徐々に失われてゆくといったように、語りの場面場面での手の温度の相違が文字通り手に取るように判然と感じ取れて、当時の玲さんはこの場面でこうした感情を抱いていたのだろうなと、より玲さんの話に没入する事が出来たから、元々は玲さんに僕の勇気を分けてくれと懇願されて繋いだ手だったけれど、結果的に僕としても玲さんと手を繋げていて良かったというのが僕の本音だった。 だから僕は、
「いえ、言葉だけでなく玲さんの手からも感情が伝わってきたので、むしろ僕としてはずっと手を繋げてて良かったです」と、素直に本音を述べた。 玲さんは「そっか」と優しく呟いた後、微笑を浮かべていた。 その頬には若干の紅潮も見受けられた。
今になって僕と手を繋ぎ続けていた事に照れ臭さを感じているのだろうかと思っては見たけれど、そんな事で玲さんが照れという感情を覚えるだろうかと真っ先に疑問を感じた。
全体、異性と手を繋ぐなんてのは別に恋人同士だけの特権という訳でもなく、とりわけ僕たちのような学生の時分にはそうした場面に直面する事もあるだろうから別段特別感などは無い筈だけれど、なるほど二時間もの長時間異性と手を繋いでいたのは僕も初めての事であり、いくら比較的接触に易い手同士の繋がりだとはいえ、その長い間ずっと玲さんと体温を共有していたのも事実で、そう考えると僕たちはそうした関係でもないのにまるで病める時も健やかなる時も永遠の愛を誓い合った恋人同士の如くお互いに手を握り合っていたから、何だか僕の方も途端に謂れの無い照れ臭さに襲われ始めてしまった。
しまいには玲さんの横顔さえも見ていられなくなった僕は頬を熱くしつつたまらず顔を正面に戻して指で頬を掻いた。 何なのだろう、この空気は。 これまで僕が玲さんと接している際に吸い込んだ事のない、言うなれば、とても甘ったるい空気だった。




