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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第五部 太陽は月を照らして
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第五十話 ほんの些細なこと 71

 教室での別れを済ませた後、私たちクラス一同は校門の方へと足を運んだ。 その場所で校舎を背景にクラス単位で記念写真を撮影する事になっていたからだ。

 卒業式の一週間ほど前より続いていた、陽気な春を思わせる温暖な気候が開花を助けたのか、校門のそばの桜の木々はまるで私たちの学び舎からの旅立ちを祝うよう例年の開花予想より早く、枝という枝に薄紅色の花弁を満開に咲かせていた。


 これまで私の中での桜とは入学式などの門出のイメージがあったけれど、こうして自身の旅立ちを桜に見送られてみると、何だか途端に哀愁めいた気持ちが心の底から湧いてくる。 同じ事象でも、受ける側のその時々の立場によって物事の見方や受け取り方が変わってくる感覚は中々に興味の深いものだった。


 それから写真撮影を終えた私は、撮影の並びから少し外れて校舎を一望いちぼうし、改めてこの学校ともお別れだという事実を心の中で噛み締めていた。 すると私の傍に誰かが近寄って来る気配を感じたから、私はおもむろに気配のした方を振り向いた。 そこに居たのは荒井先生だった。


「坂井さん、卒業おめでとう」

 先生は口元を緩めながらそう言った。


「ありがとうございます、先生」

 私もまた口元をほころばせつつそう答えた。


「一人で何を見てたの?」

「いえ、特には。 ただ、この三年間、いろんな事があったなって振り返ってたんです」

「そうだね。 色んな事があった。 楽しい事も、辛い事も」と言いつつ先生は私の隣に立ち、しみじみと校舎の方を眺めていた。 それから先生は私の方を見ながら「坂井さん、背、すごい伸びたよね。 一年の時は私の方が高かったのに、今じゃすっかり抜かされちゃった」と私の身長について語り始めた。


「そうですね。 でも正直これ以上伸びても目立つだけなので、この辺で止まってくれるといいんですけど」

「あはは、確かにね。 今は一七〇センチ無いくらいだったっけ」

「最後に測った時で確か一六九でした」

「おー、下手な男子より高い訳だ。 坂井さんってスタイルも良いから、一七〇センチ超えたらモデルさんとしても通用しそうだね!」


 ――などという閑談かんだんをしばらく交わしている内に、先生は急に話頭を転じて、

「坂井さんとはここでお別れだけど、別の高校でも頑張ってね。 私の受け持った生徒の中にA特待の生徒が二人(・・)も居た事、私はずっと誇りに思ってるよ」と激励してくれた。


「ありがとうございます。 先生にはこれまでたくさん迷惑を掛けてしまいましたけど、私も荒井先生が中学最後の担任で本当に良かったと思ってますし、荒井先生の事を一人の大人として尊敬していました。 またどこかで、先生にお会い出来る事を心から願っています」


 そうして互いに別れの言葉を交わし、私は荒井先生とあつい握手を果たした後、荒井先生に一礼してからその場を去った。 それから校門近くに居た母と合流し、私の晴れ姿を父に見せる為の写真撮影を母のスマートフォンで済ませ、母に「もう、みんなとお別れは済んだ?」という問いに「うん、大丈夫」と答え、私は今一度校舎の方を振り返り、様々な意味をめて心の中で "さようなら" と別れの言葉を告げたあと、母と共に学校を去ろうとした――


「玲ちゃん」


 ――間際、私の足を止めたのは、聞き覚えのある女性の声だった。 私は私の名を呼んだ声のした方を振り向いた。 その人物は校門より少し離れた場所に立って私の方を見ていた。 その人は、理央の母だった。


 平日は夕方まで仕事に出向いている筈の理央の母が何故この日この時間帯に学校に居るのかという事を怪訝けげんに思いつつ、この場で私を呼び止めたという事は何らかの事情で私と接触したかったのだろうと、突拍子も無く私の目の前に現れた理央の母の意図はたちまち理解出来た。 けれども、理央の母が恐らく仕事を休んでわざわざ卒業式の日に私に会いに来てまで伝えようとする内容まではさすがに読み取れなかったから、


「おばさん、どうしたんですか?」と、私は彼女の元へと近づいて真意を探ろうとした。 理央の母は私の姿を見るなり口元に笑みを浮かべながら「玲ちゃん、卒業おめでとう」と私に伝えてきた。


「えっ、あ、どうも、ありがとうございます」


 理央の母が今この場に居るというだけでもやや混乱しているというのに、立ちどころに卒業の祝いの言葉などを言われたものだから、どう対応して良いのか分からなくなって、とてもしどろもどろになってしまった。 そうして私が戸惑っている間に理央の母は私の母の姿を見つけたのか、その場で私の母に向けてお辞儀をしていた。


「それで、私に何か用でしたか」

 母同士の無言のやり取りが終わった事を確認した後、このままもくし続けている訳にもいかないから、私は自分から話を進めた。 理央の母は一度だけ目線を下げた後、何かを決意したような面持ちをこしらえて私を正視してきた。


「……今日の卒業式に合わせて昨日くらいから理央の持ち物を整理してたんだけど――あの子の机の引き出しの中からこんなものを見つけちゃってね」


 理央の母はそう言い終えてから、自身の肩にげていた茶色のショルダーバッグの中から何かを取り出し、私に差し出した。 それは、一つの封書だった。 その封書の表側には『坂井 玲さんへ』と丁寧ていねいな字でつづられてあり、そして、私の記憶に間違いがなければ、それはまさしく理央の字だった。


「これは、理央ちゃんの書いた手紙かなにかですか」

「多分ね。 裏面にはあの日の日付も書かれてあるし、きっとあの日、事を起こす前に玲ちゃんあてに書いたものじゃないかしら」


 あの日、理央が自殺をする前に私宛に書いた手紙――そこには一体、何が書かれているというのだろう。 こうした場合、遺書ととらえる方が妥当なのだろうけれど、親族でも身内でもなく、何故私に向けて手紙などを残したのか、私にはまるで理解出来なかった。


「なるほど。 ……あの、理央ちゃんのこういう手紙って、おばさんを始めとした身内にも書かれていたんですか?」


 当然、遺書を書くならば私などよりも、理央の母や身内に書き残すのが普通だろう。 だから私は、こうした手紙が私以外の人宛にも複数存在しているものかと推察した。


「『お母さん、ごめんなさい』っていう私宛の書置きはあの子の机の上に置いてあったんだけど、昨日粗方理央の荷物を整理した限りでは、見つかったのは玲ちゃん宛のその手紙だけだったわ」


 しかし予想とは裏腹に、理央の手紙は私宛にしか書かれていないらしかった。 ますます理央の意図が分からなくなってくる。 もちろん、今すぐにでもその手紙の内容を確認したいというはやった気持ちは私の心に芽生えている。 けれども、その手紙を差し出された時点で、私の胸には一抹の懸念が蔓延はびこっていた。


「そうですか。 ……でも、いくら私宛に書かれたものとはいえ、理央ちゃんの遺書とも言えるその手紙を、私が受け取ってもいいんでしょうか。 その、言いづらいんですけど、これも一つの理央ちゃんの形見だと思いますし、私よりはおばさんが持っていた方が理央ちゃんも喜ぶかと」


 ――私の懸念は以上の通りだった。 親族身内を差し置いて、私だけが理央からの最後の手紙を受け取るなど、烏滸おこがましいにも程がある。 こうした理央の生前に関わった物品は、もう二度とこの世に生成される事は無い。 なればこそ、たとえ私宛に書かれた手紙であれど、私などよりも親族身内が理央の生きた証として保管しておいた方がよっぽど心の支えになるだろうと考えた。 しかし理央の母はおもむろにかぶりを振った後、私の知った風な幼い考えを根本からくつがえした。


「理央は本当に玲ちゃんの事が好きだったから、きっと理央は玲ちゃんにだけは最後に言い残したい事があったと思うの。 それを確かめもせずに、あの子の遺品だからと言ってずっとしまっておくっていうのもあの子が浮かばれないだろうから、玲ちゃんさえ良かったら、あの子からの最後の手紙、読んであげて」


 理央の母はうっすら笑みを浮かべながらはっきりとそう答えたあと、再度私の前に理央の手紙を差し出してきた。 正直、理央の母の言葉がもっとも過ぎて、私の幼い考えは立ちどころに風化し、ぐうの音も出せなかった。 そもそも彼女の言う通り、手紙とは相手に読まれて初めて手紙という対話手段として機能するのであって、それを遺品だ何だと丁重に扱い続けた末に手紙の中身が生涯相手に読まれなければ、なるほど先に彼女の言った通り、それでは理央が浮かばれない。


「……わかりました。 受け取らせてもらいます」


 ようように私は彼女から理央の手紙を受け取った。 それからしばし私の進路の話になって、例の暴行事件は話したところで彼女に困惑を与えてしまうだけだから言わずに済ませたけれど、通学時間に嫌気が差していた事がきっかけで内部進学を諦めて地元の公立高校に進学する事を決めたと話すと、「長時間通学は辛いものね」と私の進路変更に賛同してくれていた。


 そのあと彼女は私に断ってから私の母の傍に立ち寄り世間話をしていた。 理央の通夜の際に私の母も参列していたから、きっとその辺りの話なのだろうと察した。 その話も間もなく終わって、「――それじゃあ、高校でも頑張ってね玲ちゃん。 またこの街に寄る事があったら、その時は理央に会いに来てあげて」と言い残し、理央の母はその場から去っていった。 私は先ほど受け取った理央の手紙を鞄の中にしまい込み、母と共に帰路へと就いた。 手紙は帰宅して落ち着いてから中身をあらためるつもりでいたから、帰路の電車内ではさわらずにいた。


 ――そうして、夕食と風呂を済ませて自室に戻った私は、鞄の中から理央の手紙を取り出してテーブルの上に置き、それをしばし眺めていた。

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