第五十話 ほんの些細なこと 67
翌日、登校した私は自身の教室ではなく生徒指導室へと向かった。 昨日、下校する前に荒井先生の口から「明日の朝は教室じゃなくて生徒指導室に来て欲しい」と言われていたからだ。 そうして生徒指導室に辿り着いた私は、荒井先生が来るまでその場で時間を過ごした。
それから朝のホームルームが終わる時刻から数分後、荒井先生が生徒指導室に現れた。 私はひとまず朝の挨拶をした。 先生は挨拶を返しつつ気難しい顔をしながら私の対面に座った。 そこで先生は私が昨日引き起こした騒動に対する、私に科せられた罰則の旨を語った。
第一に手渡されたのが、A5サイズの一枚の紙だった。 そこには、謹慎処分通知書と見出しがあって、当中学校学則〇〇条の規定により謹慎の処分に付したから通知する、と説明されてあった。 しっかりと校長先生の判も捺されていて、謹慎処分の期間は、明日から一か月間だった。
一か月後というと暦が三月へと移り変わってしまうほどに長い期間で、ちょうどその期間中に学年末考査が行われるから、私の考査の扱いはどうなるのだろうと心配になっている内に先生が「学校の規則で謹慎中は試験を受けられないけど、救済措置として見込み点はもらえて全教科零点って事にはならないから安心して」と説明してくれた。
見込み点とは何かと先生に訊ねると、以前の試験結果を参考に、この生徒の学力ならばこの教科ではこれくらいの点数が取れるだろうという『見込み』で試験の点数を決定するという、現状の私のような謹慎者や何らかの病気による休学中の生徒に対する学校側の配慮だと教えてくれた。
ただ、その見込み点というのは例えば私が去年末に行われた期末考査の数学の試験で百点満点を取っていたから見込みとして学年末考査の数学も百点にしよう、という安易な決定方法ではなく、いくら以前の試験結果が良かったからといえども見込み点の換算には上限があり、おおかた七割程度が相場だという。
つまり前回の試験で特定の教科で百点を取っていたとしても、その教科に対する私への見込み点は最大でも七〇点が上限となる。 転じて今回の学年末考査で私が見込み点のみの結果で全クラス一位を取る事は決してありえないという事だ。
見込み点の仕組みを聞き、中学最後の試験の結果を自身の手でなく学校側に委ねなければならないというやるせない心持を抱いて私が項垂れている最中、荒井先生は「落ち込んでいるところに追い打ちを掛けるようで悪いんだけど、謹慎のほかにもう一つ処分があってね」と、ばつの悪そうに語った後、更に何らかの処分の記載されているであろう紙を私に差し出してきた。 私は恐る恐るその紙を手に取って内容を確かめた。
なるほど先生が言い淀むはずだと、私は先に見せた先生のひどく物憂い態度に納得した。 私に科せられたもう一つの処分、それは、私のA特待の剥奪だった。
中学三年間、ずっと私が維持し続けてきたA特待。 その恩典があったからこそ私はこの私立中学校に通い続けてこられた訳であって、それが私の手から離れるという事は即ち、私はこれ以上この学校には居続けられなくなってしまうという事と同意義なのである。
ただ、謹慎処分と違ってこちらの処分には私が今回の騒動を引き起こす発端となった、女生徒らの教室内での理央や私に対する誹謗中傷の喧伝という徳義上の過ちを見据えた上での情状酌量が適応されたのか、謹慎明けの一か月後からたちまちA特待制度が使用出来なくなるのではなくて、私がこの中学を卒業するまでは引き続きA特待の恩典を継続出来るものとするという注釈が通知書に書かれてあった。
その恩情も、謹慎明け後からの私の登校日数が残すところ二週間足らずだったからこその学校側の判断だったのだろうけれど、たとえ二週間足らずといえども片道二千円弱の電車通学費用の事を考えると、私のしでかした騒動の大きさを思えばこの上無い最大級の恩情だと言っても過言では無い。 だからA特待を剥奪されたからと言って私が学校側を非難するのはまったくの筋違いという事だ。 私は改めて謹慎及びA特待剥奪処分を真摯に受け止めた。
そして私はこれからの進路についての考えを改めざるを得なかった。 私のA特待が剥奪されてしまった以上、進学先だった当高校で再びA特待を得る事はとても難しいだろう。 いえ、ことによると今回の騒動が原因で、以降私の成績や素行が甚だ優秀であったとしても、その騒動が糸を引いて二度と特待制度を受ける事は出来ないかもしれない。 だから、中学卒業までは登校したとしても、どのみち私はもうこの学校には居られなくなるだろう。
私の感情的な行為が原因で、よもやここまで私の進路が激変してしまうなんて思いもしなかった。 愚かだった。 浅はかだった。 目先の怒りに囚われて行動してしまった結果、私は私の未来の芽を摘んでしまった。 芽の無い土に水をやり続けたところで、同じ芽が生えてくる事はありえない。 後の祭り。 盆から零れ落ちた水は二度と元には戻らない。 私はとてつもない喪失感に襲われ、一寸先すら真っ暗闇に閉ざされてしまったかのよう、ただただ途方に暮れた。
それから先生は更に一枚の紙を私に渡した。 まだ何らかの処分があったのだろうかと辟易しながらその紙を見てみると、そこには見知らぬ人物の名前と電話番号が二つ一組で都合三つ書かれてあった。 そしてそれらの情報が、私が手を下した三人の女生徒の名であるという事を瞬時に理解した私は、昨日私の働いた暴力について彼女らの家庭に詫びを入れなければならないのだなと悟った。
荒井先生は私の推察通りその紙についての説明を行って、よく親と相談し、先方への謝罪を果たして欲しいと私に伝えてきた。 また母に迷惑と心労を掛ける事になってしまうけれど、相手側に怪我を負わせてしまった以上、怪我の治療費などを考慮すると最早私のみで責任を取れる範疇では無かったから、あまり気乗りはしないけれど、ここは素直に母に頼ろうと観念した。




