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そうして君は僕を知る  作者: 琉慧
第五部 太陽は月を照らして
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第五十話 ほんの些細なこと 61

「――あ、気が付いたんだね! 坂井さん、大丈夫だった?!」

 開目かいもく一番聞こえてきたのは、荒井先生のひどく心配そうな声だった。


「……荒井、先生?」


 先生の声を耳にしてだんだんと意識を取り戻してきた私はその場で上体を起こした。 何故だか頭と身体がすこぶる重い。 私はどうして見覚えの無い部屋で仰向けになっていたのだろうと記憶を呼び覚まそうとするけれど、頭が重く思考が鈍っている所為せいなのか、この部屋に来るまでの経緯いきさつが何一つ思い出せない。


 かろうじて思い出せたのは、理央の母が扉横のスイッチを押すのと同時に、私が理央の死を受け入れたという事のみ。 私の目を覚ましてから荒井先生の言った「気が付いた」という言葉から察するに、私は理央の死を受け入れてから何かしらの要因が作用して気を失っていたと考えるべきだろう。


 粗方の私の置かれた状況は把握はあくしたけれど、さすがに意識を失っていた間の事までは補完し切れなかったから、私の意識の無い間に何が起こったのかを知る為、まず私は現状確認として「先生、ここは?」と荒井先生にたずねた。


「ここは斎場の控室。 火葬が終わるまで少し時間が掛かるから、あれからみんなでここに移動して食事を摂っていたんだよ」


 先生にそう説明されて、私は少し辺りを見回した。 そこは縦長の畳部屋で、部屋の中央部に長卓が間隔を空けて縦方向へと四台並べられていた。 私と先生は、恐らく上座であろう最も人のつどった卓から見て一番端の卓付近に居た。 そのそれぞれの卓の上には、様々な軽食類の盛り合わせが載せられた容器や飲み物が段取りされてあって、私と荒井先生を除いた参列者は各々(おのおの)卓に着き、それらの食事を摂っていた。


「もう、理央の火葬は始まってるんですね」

「うん。 終わるまで一時間くらいは掛かるって言ってた」

「そうですか。 ……あの、先生。 私、この部屋に来るまでの記憶が無いんですけど、私に何があったんでしょうか」

「覚えて、ないの?」荒井先生は戸惑いつつそう言った。


「理央のお母さんが扉の横のスイッチを操作したところまでは覚えてるんですけど」

 私は正直に、意識の無くなる前に見た最後の光景を先生に伝えた。


「そっか」と先生は消沈気味につぶやいた。 それから先生は、私の意識を失っていた間に起こった私の行動を説明してくれた――


 理央の母が扉横のスイッチを操作し終えたあと、火葬には相応の時間が掛かるので控室でお待ちくださいという職員の案内に従って参列者は控室に移動しようとしていた。 しかし私はその場に佇立ちょりつしたまま微動だにせず、その様子を荒井先生がいぶかしみ、私を呼び掛けるため先生が私の肩に手を触れて間もなく、私は理央のひつぎおさめられた火葬炉の扉に走り、大声で何度も何度も理央の名を呼びながら、ぼろぼろと涙を流しつつ両手で扉を力任せに叩いていたという。


 異変に気が付いた参列者の一部と職員が私を扉から引き離したはいいけれど、依然私は涙を流しながら理央の名を呼びつつ扉へ向かって身体を進めていたようで、信じがたい事だけれど、成人男性が二人掛かりで身体を抑えてようやく私の暴走を抑制出来るといったほどに、その時の私の火葬炉の扉へ向かおうとする進行力は想像を絶していたようだった。 しかしその力が持続されたのもほんの十数秒で、私の身体は糸の断ち切られた糸繰人形マリオネットのよう途端に力を失くし、その場で意識を失ったという。


 斎場職員によると、今回の私のよう、これまで寡黙かもくに葬儀にたずさわっていた参列者が火葬前後に急に取り乱して錯乱したり意識を失ったりする事は決して珍しくはない出来事で、そうした場面に何度も直面してきた職員が言うに、私の意識を失った原因は恐らく力任せの過度な運動の継続と精神興奮状態により誘発された過呼吸によって引き起こされてしまったもので、浅いけれど呼吸はあるから、安静に休ませていれば数分で意識は戻るだろうという事で、私は職員にかつがれて控室に寝かされていた――というのが私の気を失っていた間の顛末てんまつだと荒井先生は語った。 その顛末を聞き終えた後、私はとてつもない忸怩じくじの念にさいなまれ始めた。


 やはり散々理央の死から逃避したうえ、火葬直前という葬儀最後の場面で様々な感情に触発され突発的に理央の死を受け入れてしまったものだから、その反動はしかるべくして私の身に降りかかったのだろう。 よもや私が粛然しゅくぜんたる葬儀の場ではばかりも無く取り乱し、火葬炉の扉を叩くなどという暴挙に出ようとは、私自身でさえもにわかに信じがたかった。


 しかし荒井先生は人の立場をおとしめるような冗談を言う人では決してなく、実際に私が意識を失って部分的な記憶障害におちいっている事から、先生の話した顛末てんまつは一から十までまったく真実なのだろう。 だからこそ私は己の無意識の内にしでかした愚行を心より恥じ、理央の親族に多大な迷惑を掛けてしまった事を深く深く猛省した。


 それから私が目を覚ましたのに気が付いたのか、上座の方から理央の母が真っすぐにこちらへ向かってきて、何も言わずに私の目の前で膝を付いてつま先だけを立てた跪坐きざの格好で腰を下ろした。 私は覚えず身構えて息をんだ。 最後の最後に理央の葬儀の進行をさまたげてしまった私をとがめてくるものかと思ってしまったからだ。 けれど、覚悟はしていた。


 いくら理央の友人だったからとは言え、血縁関係で言えば私と理央はまったくの赤の他人。 その私が親族を差し置いて錯乱してしまうなど、身勝手もはなはだしい。 だから私は今ここで理央の母に怒鳴られたり頬を引っぱたかれたりしても文句の一つも言えないし、そうされても仕方の無い事を私はやってしまったから、そうする事で理央の母を含めた親族の気が幾何いくばくかでも晴れるのであれば、私はどんな咎めの言葉でも受け入れようと、私は胸中に強い覚悟をしたためた。 しかしその覚悟は間もなく私にとって無意味なものに成り果てた。


 理央の母は私の前に腰を下ろして間もなく、両腕で私の身体を優しく抱擁した。 彼女の付けていたであろう香水の甘く優しい匂いが、私の鼻腔をくすぐった。


「……おばさん」

 私は彼女が何故私を抱擁したのか理解出来なかった。


「ごめんね、ごめんね玲ちゃん」

 理央の母は何故だか私に謝罪の言葉を繰り返していた。


 謝らなければならない立場にあるのは私の方だというのに、何故理央の母から謝罪を受けているのかまるで要領を得られなかった私は、しかし言葉に詰まって何も口にする事が出来なかった。

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